駆け足、お伊勢さん②
ウッカリ出だしから長くなりましたが
着きました伊勢市駅です。
外宮からお参りする為、ここで降りて5分ほど歩きます。
お土産屋さん的ロードを歩いていたら着くので方向オンチでも、そない迷いません。
割と空いて見えますが、外宮周辺って大体いつもこんな感じだったんじゃないかと思います。
着きましたよ、外宮。さあ別世界。
この辺に来ると縦の長さと横幅のスケールが急にデカくなるので、私なんかは眼の焦点が上手く合わせられなくなります。
ちなみに耳も詰まって音が聴こえにくくなってボーッとします。まあ困る程ではありません。
後ろの2人組のおばさま方が「私、こーゆーとこ来ると感じるの……オゾン……」など仰っておられ、(それ…マイナスイオンでは…?)と心の中で突っ込めるくらいには聴こえています。
関西人は何時でも何処でも1人でもツッコミをし続けています。
こーゆーの見るといつも、国は伊勢にお金をかけて大切にしているんなあ、とか感じたりします。
広大な敷地を管理して毎日お掃除してって、それだけでも大変な労力なわけで。
これからの会議はzoomで、なんて言ってるこの世の一方では、いるかいないかも分からないような(怒られるえ)神さまの場所を護るために国が財を投じている…
よくよく考えたら不思議な世界観だなあって私は思ったりします。
でもこうして国内に清浄にしている場所がいくつもあることが、何かを保つことになってるのかもな、とも。
風が強く、眩しく、美しい日です。
外宮から少し歩くと、月夜見宮があるとのことで行ってみました。
神路通を進んで行きます。
夜、神さまが通るんだって。
この通り沿いには小学校もありましたが、このような地域だと、どんな感じに育たはるんでしょうね。
伊勢って、外宮と内宮には人が多いのですが、それ以外は比較的ひっそりしていたりします。ここ月夜見宮もそんな感じでした。
実はお社を見ても1個1個の違いが私にはそない良く分かりません。感じるのはいつも、その辺りの雰囲気くらい。
凄く大きな木があるのですが、大きすぎてスケール感が伝わりにくいので、知らない人を入れて写してみた。
それでもあんまり伝わらないですね。めっちゃ大きな木でした。こんな木がこの辺にはきっと沢山あったりすると思うと、なんだか別世界過ぎてワケが分かりません。
月夜見宮は、今回はじめて寄ったのですが、静かで外宮より少しだけカジュアルというか、身体の中がちょっとだけ一息ついてるような場所でした。
さて、いつも行く外宮近くの伊勢うどんのお店がお休みだったので、宇治山田駅近くの『ちとせ』というお店へ。
アツアツでフワフワ……あー、思い出して遠い眼なったわ。
伊勢うどんは、普通のおうどんではなく、別個の食べ物やと思っていただければ。
(例えるなら、甘さの少ない熱くて柔らかい御手洗団子的な…?)
意識がいつもとちょっと違っちゃっていて何となく身体がいっぱいいっぱいなので、このぐらいシンプルな消化に良さげなもので丁度いいよな、とか思います。
しかし、月見だったら尚ウマいのでは。次はそうする。
つか次回は最初に宇治山田駅で降りて、ここで食べてから、バスで外宮に行くルートが良いのでは……
もはや自分への覚書と化してます。
さて、宇治山田駅前からバスで内宮へ向かいました。
日曜日ですが空いてます。4連休の翌週だから?それともコロナだからかな?
内宮側の駐車場は満車って出てましたので、皆さん御時世的にマイカーでいらしていたのかも知れません。
そろそろ日が傾いてきて、携帯の電源も少なくなってきて、写真も駆け足。
この日は、とにかく五十鈴川が美しくて、気になって仕方ない。
そこから、川の側にある滝祭神に。
なに、ここ。
通るのが初めてだったのか、通ってもあまり意識したことが無かったのか。
内宮の中にも関わらず、人も少なく、静かでとても美しい所でした。
出来れば、長く時間を取りたい、もう今夜は宿泊して明日も来ようか、と迷うくらい。
ネット情報によると、五十鈴川の水の神様で、内宮でのおとりつぎをしてくださる方のようです。
知らんかったけど、ここにずっといてたいなあ。
マジで泊まろうかしらん、とかちょっと考えながら先へ進む。
他の場所には、お参りの方がちゃんといらしていました。
相変わらずお社ごとの違いはあんまり分からないんだよね。
ただ、いつも思うのは、沢山の方がいろんな目的で来てるのに、誰を受け入れてもそないには変わらなくて凄いなあ、ってこと。
天皇陛下が来られている時は、どんな感じなのでしょうね。
さて、全てを周り終わったら、やっぱり一段落ついたな、帰ろうか、という気になったので、御札を買って帰ることに。
伊勢に来ると歩くところが多くて人も多くて、もはやおかげ横丁とか、よう立ち寄らんねんかな。
次回はやっぱり神宮会館にでも泊まって、朝から一番乗りするのも良いかな〜なんて思いつつ、タクって五十鈴川駅まで。
しまかぜには間に合わない時間につき、帰りはビスタカー。
めっちゃ空いてる。
私の乗った車両、4人くらいしかいはらへんかった。
時間がないと、もっと過ごしたいと願う。
だけど泊まったら本当にあの場所に長く滞在するのだろうか?
時間やお金が、体力が、有限だからこそ、殊更に美しく感じられるのではないか?
それって、今ここに生きているのも、そうなんじゃないの?
もし、全てが無限だったら、私はもっとぼんやりするんじゃないの?
そんなことをなんとはなしに考えたりしつつ、また次回も来ようと思ったりするんでした。
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