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【聖学生信仰】第二回「拓大カルト(ネオ・ナチズム)篇」【拓殖大学外国語学部英米語学科】4年間八王子キャンパス1998年4月入学~2002年3月卒業「光陰矢如旅人行不帰時」



第三章 「拓殖大学生のイノセント(黒ミサカルト)」

1 私の体験談 必修単位A組のクラスメイト

ナウシカ(Holy Communion)

クシャナは巨神兵の復活によりこの地に王道楽土を築き腐海の虫にも瘴気にも怯えなくて良い暮らしを約束すると言った。
しかしその根拠はどこにもないのだ。
この発言はクシャナ自身が虫に体を食われたことに対する私怨(「優等」への弾圧によって生まれるプライド(複合感情))が影響している。
根拠のないイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とするデマゴーグ(優越感)であるのだ。

風の谷のナウシカ スタジオジブリ絵コンテ全集〈1〉

クシャナの演説(デマゴーグ)
それはイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とすることの〈呪術崇拝から形成される象徴(偶像崇拝)〉である。
「優等」への弾圧によって生まれる黒ミサクルトのプライド(複合感情)であるのだ。

風の谷のナウシカ スタジオジブリ絵コンテ全集〈1〉

裏切り(騙し討)は兵法であり、イノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とするデマゴーグは犯罪学である。

最初に言っておきますが拓殖大学(UNIVERSITY)の学籍番号順は「平仮名」の「あいうえお順」でありました。
そしてその学籍番号順で単純に区切られた必修クラスが存在しました。
毎日必ず同じクラスで講義を受けることになります。
4年間変わらないクラスが私が在籍したA組でした。
英米語学科はA組からD組まで4クラス存在します。
単純に言ってA組のクラスメイトの苗字は「あ」からに始まりD組は苗字が「ん」で終わることを示しています。
だからD組に私の苗字の最初の「平仮名」の「お」は絶対に存在しません。
ただ最初に外国語学部だった私達は何故D組に外国人の留学生が集結しているのか疑問でありました。
当初クラス分けの仕組みを把握できていなかった私たちにとってD組は特別優秀なハイクラスメンバーなのではないかと考えていました。
しかし実際にクラス分けの仕組みが解ってくると単に最後のクラスに留学生が入っただけであることが解ってきました。
それだけの「必修単位」のクラス分けでしかなかったのでした。

私を裏切り恫喝してきたA組の男子のクラスメイトは大学一年生時に学食で一緒に昼飯を食べたり何回か外で遊んだりしました。
学生生活では少しは人付き合いが必要だと考えていました。
私は「袖振り合うも多生の縁」の付き合いぐらいのつもりでした。

○袖(そで)振り合うも多生(たしょう)の縁(えん)
道で人と袖を触れあうようなちょっとしたことでも、前世からの因縁によるものだ。袖すり合うも多生の縁。
→多生の縁
◈「多生」は、仏語で、何度も生まれ変わること。「他生の縁」とも書くが、「多少の縁」と書くのは誤り。

『大辞泉 第二版』 小学館

別に私がその学生に好意があるわけではありませんでした。
そしてその人達と一緒にいて遊ぶために大学に入学したわけではありません。
このA組の男を含め紋切り型カンバセーション(黒ミサカルト)の会話を何人かの男子クラスメイトと行いました。
それは私との内容のない会話ですが彼らはdoxaの塊であり一体そこから何を思い込むのか得体が知れませんでした。
一言で評して相手はかなり低能だったのです。
そこにカトリックロゴス感覚(Holy Communion)によるメッセージのコミュニケーションは全くありませんでした。
こちらがデマゴギーを避けカトリックロゴス感覚(Holy Communion)によるメッセージを発しても相互扶助は成立しなかったのです。
逆に彼らとの間には一方的な紋切り型カンバセーション(黒ミサカルト)が存在しました。
彼らは信仰あるカトリックロゴス感覚(Holy Communion)によるメッセージのコミュニケーションを完全弾圧していました。
彼らはイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とすることの崇拝者であったのです。
まー当時で言えば「とんねるず」の「野猿」のような人たちでした。
彼らの紋切り型カンバセーション(黒ミサカルト)とはイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とするデマゴーグでありました。
彼らは裏で何を言っているのか得体が知れず信用はしていませんでした。
しかし彼らは大学内における最低限のマナーとルールぐらいは守ると私は誤認していました。
崇拝心理描写(特権階級心理)だけで存在する彼らの関係は驚くほど幼稚で稚拙で徐々に相手にするのも嫌になりました。
彼らはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)を弾圧する。
そして自分の都合のいいように他者を考えそして自分に都合の悪いことは棚に上げて相手(他者)を非難し責任を擦り付ける。
まさに堕天使ルシフェル(堕落者)の紋切り型カンバセーション(黒ミサカルト)でありました。

紋切り型カンバセーション(黒ミサカルト)をする連中にはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)によるメッセージもカトリックロゴス感覚(Holy Communion)によるコミュニケーションもなくただマウンティグする心理を至上にして人間関係を築き服従を迫る嫌な連中と解ってきました。
私は「私は勉強するために大学に来たのだ!」とさかんに主張して彼らに訴えるようになりました。
相手は阿呆しかしないようなことを平気でする。
そして私にストーキングしてくるようになったためであります。
そしてストーキングを相手の方だと主張します。
自分が因縁を付けているのに相手の方が因縁を付けていると主張するのです。
私に関わる女学生にわざと嫌らしく付きまとっていました。
私との立場の逆転を狙っているようでした。
私はそういった関係が本当に不快でした。
彼らは不快な連中だったのです。
本当に性根の腐った連中でした。
崇拝心理描写(特権階級心理)のカルト感覚(サタン崇拝)の為せる技です。
「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」を貶めネオ・ナチズムとすることで社会的に乗っ取りを謀っていました。
それは「社会的詐欺」でした。
「神の王国の到来」にマウンティングする心理は全てを「模造品」にするキチガイ認識です。
「歴史」も変えてしまうのです。
自分のやったことも都合よく忘却して変更しています。
彼らがやったことが私にされているのです。
「イノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とする崇拝関係」を「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」が原因となって引き起こされたとして社会的に責任を擦り付けるという「社会的詐欺」の存在でした。
あまりにも腐った連中だと思いました。
これでは「なんでもあり」です。
このようなやり方は文化に対してサブカルチャーであると指摘することができます。
そしてサブカルチャーがネオ・ナチズムと同様の黒ミサカルトであることを物語っています。
その黒ミサカルトとは「ギルティー」と「イノセント」の逆転によっています。

"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."

in・no・cent [ínəsənt]〓
―adj.
1 〈人が〉純潔な,清浄な,無垢(むく)の;世間知らずの:〓
2 〈人が〉無罪の,潔白な;(…の)罪を犯していない⦅of ...⦆:〓
3 〈行為などが〉悪意[悪気]のない:〓
4 〈事が〉無害の,毒にならない;〈病気などが〉悪性でない:〓
5 〈取引などが〉合法的な,公認の;(特に)禁制[密輸]でない.
6 ⦅話⦆ (…の)ない⦅of ...⦆:〓
7 〈人が〉無邪気な,無心な,天真爛漫(らんまん)な;お人よしの:〓
8 (…を)知らない,無知の;(…に)気づいていない⦅of ...⦆:〓
―n.
1 (心の)純潔[清浄]な人;潔白な[無罪の]人.
2 小さな子供,幼児:〓
3 無邪気[天真爛漫]な人.
4 新米,新参者.
5 おめでたい人,あほう,まぬけ:〓
6 ⦅米黒人俗/軽蔑的⦆ (黒人の公民権運動を支持する)進歩派の白人.
7 ⦅通例 innocents⦆ ⦅単数扱い⦆ ⦅米⦆ =bluet 1.
◊[文学・著作物]The Innocents Abroad『赤毛布外遊記』M.Twain のヨーロッパ旅行記(1869).
[c1200.中期英語<ラテン語 innocēns 無害な=in― IN―³+nocēns(nocēre「害する」の現在分詞)]
in・no・cent・ly〓
―adv.

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

guilt・y [ɡílti]〓
―adj. (guilt・i・er,―i・est)
1 (特に道徳・刑法上の)罪を犯した,有罪の(↔innocent);(…の)欠点のある⦅of ...⦆:〓
2 犯罪的な,罪になるような;罪に関係のある:〓
3 罪の意識のある,やましい;罪の意識で苦しむ,自責する;罪の意識から生ずる:〓
4 ⦅古⦆ 認識している,知っている,意識している.
5 ⦅廃⦆ (…の)責めを負うべき⦅of ...⦆:〓
―n. ⦅the guilties⦆ 罪悪感,罪の意識.
[1000年以前.⇀GUILT]
guílt・i・ly〓
―adv.
guílt・i・ness〓
―n.

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

「なんでもあり」なのか?
彼らにクレームを言うと崇拝心理描写(特権階級心理)のカルト感覚(サタン崇拝)の教祖と教理の支配の必要性を主張します。
彼らにとって「信仰」の道はなく「崇拝関係」しかありえないというのです。
「どうして崇拝しない?」
彼らは逆に質問してきます。
彼らは黒ミサカルト集団だったのです。
しかしこのようなカルト中心主義が屁理屈なのは当然です。
大学(UNIVERSITY)で屁理屈を崇拝する劣等な集団でした。
彼らは完全に狂気のカルト集団でした。
「優等(カトリックロゴス感覚)」への弾圧によって生まれるプライド(複合感情)を彼らは誇っています。
彼らはネオ・ナチズム(屁理屈崇拝)だったのです。

ne・o― [níːou,níːə]
―comb.
1 新しい,最近の,最新の,復活した,改変[改良,改造]した:neo―Darwinism,Neolithic,neoorthodoxy,neophyte.
2 〖化学〗 ネオ:1個の炭素原子が4個の炭素原子に結合した炭化水素の:neoarsphenamine. (また ne-)
[<ギリシャ語 néos; NEW と同根]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

ナチズム
Nazism
⇨ヒトラーの率いた⇨ナチスの運動およびイデオロギー。民族(国家)社会主義ともいう。党綱領 25ヵ条のほか,ヒトラーの『⇨わが闘争』,A.⇨ローゼンベルクの『20世紀の神話』などの著作に示されている。「血と土」の理念を掲げてアーリア人種の優越を説く人種論的ナショナリズムを鼓吹,ドイツの領土拡大を合理化した。また「指導者原理」によって民主主義,共産主義を徹底的に非難した。社会的不安や困窮の原因をユダヤ人という具体的存在に求めたことによって,没落の危機に瀕した中間層をはじめ広く社会の底辺層にまでその支持基盤を獲得したが,その背景には全体主義体制に固有の「強制的同質化」(→グライヒシャルトゥング)の徹底した推進の効果も考えられる。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

ナチス〖(ドイツ)Nazis〗
《Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterparteiの略称ナチ(Nazi)の複数形》ドイツの政党、国家社会主義ドイツ労働者党の略称。また、その党員。1920年ドイツ労働者党を改称して成立。翌年以降ヒトラーを党首とし、1933年に政権を掌握。反民主・反共産・反ユダヤ主義を標榜して、全体主義的独裁政治を推進。また、ベルサイユ体制の打破をめざして再軍備を強行、第二次大戦を引き起こし、1945年に敗戦とともに崩壊した。

『大辞泉 第二版』 小学館

私は信仰を持っているから本当に間違いなら認めればいいと思います。
そして間違いを改善すればいいではないか!
反省するとは〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉です。
彼らは絶対に〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉をしません。
彼らはネオ・ナチズムの「アンチキリスト」なのです。
私は一緒にしないで勝手にやってくれと主張しました。
「ここ大学だからね!」と私は主張しました。
カルト感覚(サタン崇拝)がやりたいなら自分たちだけでやってくれ!
人を巻き込むな!
私はそんな馬鹿げたカルト感覚(サタン崇拝)に入る気はないからです。
彼らは何故私がグループを離れたか理解できないと言って付き纏う粘着質なストーカーとなりました。
最悪なクラスメイトでした。
馬鹿にしかできないことをする大学生は一体何ですか?
卒業アルバムのワンセンテンスの言葉に彼らの明らかなデマゴーグが書かれていました。
インチキ連中でした。
彼らにとってカルト感覚(サタン崇拝)が高尚だと考えたのでしょうか?
「一応此処大学だからね!」と教えなければならないような連中でした。
「相手にしたくない」の一点となっていきました。
因縁をつけてストーキングしてくるキチガイカルト感覚(サタン崇拝)の集団となったのです。
A組の男子学生の中心の男は拓大の付属高校である拓大紅陵高校出身者でした。
頭が馬鹿すぎでしたがたちの悪さは群を抜いていました。
程度の悪いカルト感覚(サタン崇拝)の頭脳だったのです。
要は「無知の知」も「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」にも縁が遠い「劣等」による「優等」への弾圧によって形成されるプライド(複合感情)の塊なのでした。
そして「優等」への弾圧によって生まれるプライド(複合感情)から妙に威張り出す拓大紅陵高校出身の男だったのです。
そして「優等」への弾圧によって生まれるプライド(複合感情)から平気で立場を入れ替える。
こちらがクレームを言うとそっちが方が威張っていると主張し自分のやったことは「優等」への弾圧によって生まれるプライド(複合感情)から絶対に認めない。
相手に擦り付け続けるのです。
すべて相手がやったことになっているのです。
そいつらは崇拝心理描写(特権階級心理)で平気であべこべの主張をする。
それをデマゴーグの胆力と称する。
彼らは出鱈目をやる胆力家だった。
そしてカルト感覚(サタン崇拝)だった。

当時は「早稲田スーパーフリー事件」が起こる時代であり大学生の質が低下していたのかもしれません。

カトリックロゴス感覚(Holy Communion)を解せない「劣等」から生じる「劣等感」を「優等」への弾圧によって生まれる「プライド(複合感情)」に逆転する「仕組み」を社会構造とする「劣等な社会」が日本に色濃い。
ここにあるのは文化の逆転です。
サブカルチャーとはこのような文化弾圧を言うのです。
文化とはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)であり〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉のことを示しています。
「科学的思考」は同様のことを示していてソクラテスの「無知の知」も同様です。
しかしここで文化弾圧が起こるのです。
文化を貶め弾圧し〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉を蹂躙することでイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とすることを賛美し扇動するカリスマが社会的最上位となります。
これは個人崇拝によるデマゴーグでありイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とすることので〈呪術崇拝から形成される象徴(偶像崇拝)〉となる。

フロイトの「人間モーゼと一神教」によると一神教は「至高の抽象化の高み」とされ多神教は「原始的段階に近い」とされている。
そして一神教は困難の中で偶像崇拝を禁止し呪術を厳格に禁止している。

そして私(Holy Communion)が拓殖大学(UNIVERSITY)へ通ったことに対する超人(サタン)の形成として行われた事件があった。

「早稲田スーパーフリー事件」です。

それは拓殖大学というUNIVERSITYへ私(Holy Communion)が曲がりなりにも学生として通い研究していることへの弾圧として行われたサタン崇拝(黒ミサカルト)の儀式ではないかと感じました。
何故ならば私(Holy Communion)が今まで生きてきた中で遭遇した「弾圧行為」が常にサタン崇拝(黒ミサカルト)の儀式の形成として行われてきたからです。

私は1998年4月に拓殖大学(UNIVERSITY)に入学し1999年4月に酷い裏切りを受けて学内で孤独に昼食を食べる「ボッチ飯の存在」となりました。

lonely 〓
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lonely・alone・isolated・homesick・forlorn・bereft・desolate
人に友人がいなくて[他人との接触がほとんどなくて]不幸であることを表す
【類語訳】孤独な,一人ぼっちの,寂しい,わびしい,孤立した,疎外感を感じた,郷愁にかられた,ホームシックにかかった
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lonely alone desolate
isolated forlorn
homesick bereft

〓to feel lonely/ alone/ isolated/ homesick/ forlorn/ bereft/ desolate
〓utterly alone/ isolated/ bereft/ desolate
〓desperately/ terribly lonely/ homesick

lonely
(友人[話しかける人]がいないために)孤独な,寂しい
◇She lives alone and often feels lonely.
彼女は独り住まいで,孤独に思うことが多い
◇The support they give to lonely old people is invaluable.
孤独な高齢者に対して行われる彼らの支援は非常に貴重である
alone
[名詞の前では用いない]《ややインフォーマル》(友人[話しかける人,助けてくれる人]がいないために)孤独な,一人ぼっちの,寂しい
◇I’ve been so alone since you went away.
あなたが立ち去ってしまってから私はとても寂しいです
◇Carol felt all alone in the world.
キャロルは世界中でまったくの一人ぼっちだと感じた
〓 lonelyとaloneの使い分け:aloneはlonelyよりもいくぶんインフォーマルで,名詞の前で用いることはできない.aloneは人が孤独を感じているだけでなく,ある意味で傷つきやすいことも意味することがある.
isolated
(他人とあまり接触を持たないために)孤立した,疎外感を感じた
◇I felt very isolated in my new job.
私は新しい仕事でとても疎外感を感じた
◇Elderly people easily become socially isolated.
高齢者は社会的に孤立してしまいがちだ
homesick
(家を離れていて家族[友人]がいなくて)郷愁にかられた,故郷を恋しがった,ホームシックにかかった
◇I felt homesick for Scotland.
私はスコットランドが恋しかった
◇Seeing other families together made him terribly homesick.
他の家族が一緒にいるのを見て彼はひどく郷愁にかられた
〓homesickness 〓 [U]
◇She soon got over her homesickness.
彼女はすぐに望郷の念[ホームシック]を克服した
forlorn
《書き言葉》(孤独なために)惨めな,哀れな
◇She looked so forlorn, standing there in the pouring rain.
彼女は土砂降りの雨の中でそこに立っているととても惨めに見えた
bereft
[名詞の前では用いない]《ややフォーマル》(人・物を失ったために)喪失感を感じた
◇He was utterly bereft when his wife died.
彼は妻が死んだとき,ひどい喪失感に包まれた
desolate
[名詞の前はまれ] (非常に孤独なために)寂しい,わびしい
◇The thought that her husband did not want the baby made her feel utterly desolate.
夫がその子どもを望んでいないことを考えると,彼女はたまらなく寂しかった

小学館 オックスフォード英語類語辞典

拓殖大学八王子キャンパスの学食には第一食堂から第三食堂まで三ヶ所の学食がありました。
拓殖大学男子学生寮の食堂も開放されていて合わせて四ヶ所の食堂があります。
学生寮の食堂には一度だけ食べに行ったことがあるのです。
裏切った彼らは確か第二食堂にいつもいました。
私は顔を合わせないように第一食堂か第三食堂でいつも昼食を食べていました。
彼らが何をしてくるか分からず危険だったからです。

2000年4月、大学三年時に私は当初希望していた英国留学に落選し今後の学生生活も考えて拓殖大学(UNIVERSITY)の学生生活課に相談に行きました。

周囲の出鱈目が酷く意味不明な暴言や作為が存在している様に感じていたことを相談しておくべきと感じたからです。
私は明らかに相手学生が可怪しいと訴えました。
学生生活課の職員は解ったと了解し何かあったら直ぐに相談してくださいと言ってくれました。
しかしその私の告発行為が火に油を注ぐような感じになった様にも感じられることがありました。
無理矢理、私の方が抑えつけられ過失があるとされるのです。
何かが可怪しいと私は学生生活課に再度訴えました。
しかしそれで改善しなくとも告発はしなければならない行為なのです。
その後周囲の人間の感覚は崩壊していくように思えました。
それは明らかなdoxaが明らかなdoxaだと判明になっていくことで崇拝関係が崩壊していくことを示していました。
しかしそこに信仰が芽生えるわけもなくただ私への攻撃が暴走していくように見えました。
その中で私を追い落とす動きが盛んに見られた。

そういった危機的な中で私にカトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)のメッセージとコミュニケーションを発する女学生がいた。
そして彼女が私にとって「永遠の誓い」とも言える存在となったと告白しておきましょう。

そしてこの大学の異常状態への私の告発はこの時は全く実らなかった。
しかし数年後に「早稲田スーパーフリー事件」が明るみになった時にこの事件の背景が深刻な問題である「カルト事件」を形成する「屁理屈」であり、それは「穢のない欲望(イノセント)」の黒ミサカルトだと知るようになりました。
彼らの「屁理屈」は信仰弾圧による文化否定にあったのです。
それは「劣等」が「優等」を弾圧することで大威張りするネオ・ナチズムだったのです。
ここで大事な啓示ポイントは「アドルフ・ヒットラー」は決して「劣等」を「優等」へ育てたドイツ国家復興ではなく、「劣等」が「優等」を弾圧し勝ったネオ・ナチズム(黒ミサカルト)であるという点です。
劣等は黒ミサカルトであり、優等はカトリックミサであるからです。
これは一般常識と言えるものでしょう。
では何故ヒットラーのナチズムがネオ・ナチズムであるのかを説明します。
実はナチズムはマルティン・ハイデッガーのことを指しているからです。
マルティン・ハイデッガーのナチズム(カトリックミサ)に対しアドルフ・ヒットラーのネオ・ナチズム(黒ミサカルト)が勝ったナチス・ドイツ国家成立が大事件となったのです。
そこではユダヤ人虐殺などおぞましい蛮行が行われたとされています。
マルティン・ハイデッガーの弟子で愛人でもあったとされるハンナ・アーレントはユダヤ人でした。
ハンナ・アーレントはカール・ヤスパースの弟子でもありました。
ここに優等(カトリックミサ)と劣等(黒ミサカルト)に関する感覚が如実に表れています。

"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."

2 スーパーフリー事件(スーパーフリーじけん)

スーパーフリー事件(スーパーフリーじけん)は、早稲田大学のイベントサークルを舞台にして行われた大規模な輪姦事件[1][2][3]。
早稲田大学のインカレサークル「スーパーフリー」のメンバーは、女子大生らへの輪姦を1998年4月頃[3]から常習的に行っていた。輪姦された女性の数は数百人以上に上る。2003年5月18日に警察に被害届が出されたことで発覚した。早稲田大学の他にも東京大学、慶應義塾大学、学習院大学などの学生ら合わせて14人が準強姦罪で実刑判決を受けた。
この事件は重大な社会的波紋を呼び、2004年の集団強姦罪・集団強姦致死傷罪の創設につながった[4]。
起訴されたのは3件の輪姦のみであり[2]、関与した多くの者が未逮捕のままとなった。輪姦を幇助した女性も多数存在したが、女性は1人も逮捕されなかった。
「スーパーフリー」は「スーフリ」と略称されることもある。

ウィキペディア

3 大学時の周囲の異常な環境はスーパーフリーだった!(その影響は八王子にも及んでいたのだ!)

私には大学生の時にクラスメイトが沢山いました。
ただそのクラスは男子学生が少なく近くに居た男子学生と行動を共にすることが多かった。
学籍番号が近かったので同じクラスになり席も近かったからです。
それで一緒に学食で昼飯を食べたりしていました。
しかしそのクラスメイトは私に酷い裏切り行為をしました。
複数のクラスメイト(男子学生)で突然に強硬な態度で私の購入した教科書と私の出席した講義のノートをあまり仲の良くない男子学生に無条件に譲れと要求してきました。
それは私がどの男子学生とクラスメイト等に一方的に諂うことを意味していて私の持ち物を無条件に彼らに譲ることの強要だった。
そして当然に彼らは私に礼すら言わないだろうことは明らかだった。
当時相手は四人か五人の男子学生だったと記憶している。

「ヤラレタ!」と感じました。

あまりにも露骨な裏切りだった。
それが「明らかな敵」ならば当然の失策であり私のミスである。
しかしこちらが親切にした上に一年近く一緒に昼食を食べていた相手からの突然の手のひら返しだったことを考えればそうはならないと信じたかった。
私はそれが明らかな敵を相手にした私の失策とはいい難いと信じたかった。

※拓大紅陵高校出身の学生は後に第三者(別の拓大紅陵高校出身者)を使って何故付き合いを止めたかわからないと質問してきた。インチキすぎて彼は自分で聴けるわけがないからだろう。「親切にしてくれたのに付き合いを止めた理由がわからない」と主張してきた。拓大紅陵高校出身の学生の主張はすべて逆転している。彼は私が親切にしてくれたと主張する。しかし彼が私に親切にしてくれたわけではない。だから彼の主張する権利は薄弱である。彼が親切にしてそれを私が裏切ったのなら彼に主張する権利は確かにあるだろう。しかしそのような不平等な関係の中で彼は少しでも恩返しをするどころかただ私に侮辱行為を露骨に行った。この決定的な裏切り行為をした人間が口先だけで心配していると言い張る。そして彼は理由がわからないと主張し自分の行為は当たり前なのだとする傲慢な主張を繰り返した。私は彼の存在に心の底から冷え切って嫌悪感しか抱かなかった。彼らはキチガイストーカーだった。私の拓殖大学の学生生活の経験上で言えることは拓大紅陵高校出身者はすべてとは言わないが露骨なキチガイが多いということです。ただ劣等であるか?それとも変な思想教育を受けているのか?その辺りは知らないが実際拓殖大学で異様な頭の中身をしている人間は拓大紅陵高校出身者が断然多かった。そういった拓大紅陵高校出身の学生の態度を「慇懃無礼」と評する事もできるだろう。しかし加害者が被害者に対し被害者面することは「慇懃無礼」の中でも最低最悪の無礼だと私は思う。

いんぎん‐ぶれい【˟慇˟懃無礼】
〘名・形動〙
表面は丁寧で礼儀正しいように見えるが、実は尊大で無礼なこと。また、そのさま。慇懃尾籠(いんぎんびろう)。「―な態度」

『大辞泉 第二版』 小学館

◗慇懃無礼
♦いんぎん無礼な
haughty under a cloak of apparent politeness
◾彼のいんぎん無礼さは腹にすえ兼ねる
I detest his insolent politeness.

『プログレッシブ和英中辞典(第3版)』 小学館

ただこのたちの悪い学生と同じクラスになり私が安易に交際したことが私のミスと主張するならそれに頷くしかないだろう。

しかし私にとってそれは突然の酷い侮辱行為だった。
強烈な屈辱を感じた。
そしてそれに対して自分の「劣等感」というより「相手の裏切りへの悲しさ」と「相手への軽蔑」を覚えた。

※先ほど書きましたが彼らは突然に昼飯時の学食において「行くぞ!」と「号令」をかけてきました。その後、「恐喝」に応じるよう暗に命令してきました。いつも所有物を貰っているように装って恐喝(いじめ)の透明化作戦を露骨に行ってきました。酷い手のひら返しでした。これは馬鹿な拓大学生達がカリスマのデマゴーグとしてその男を担いだということかもしれません。しかしそのような愚かなカルトグループを創って何が楽しいのでしょうか?彼らのやっていることは暴走族のヤンキー並みでした。彼らは半グレの恐喝グループであったのです。劣等すぎる学生でしたが彼らは就職難の中で成功者となっていきました。私は彼らが就職したことに文句は言いません。しかし人の学生生活の邪魔をするな!今度会ったら一発殴ってやりたいですね!しかし会うことはないでしょう。お互い嫌悪感しかないでしょうから・・・。

思わず立ち上がった私に向かって「お前は言ったら動いたのだよ!」と強硬に揚げ足を取って主張し私に屈服と服従を認めさせようとしました。

「お前は彼に屈服し服従したのだ!」と主張したのです。
「言ったら動いたことが動かぬ証だ!」と彼らは強硬に主張しました。

しかし逆に私にとってあまりにも馬鹿げた劣等な連中だと判明しびっくりしていました。
彼らは「愚問」を弄するクズでした。
完全なクズでした。
しかしクズと喧嘩をすることは厄介でもあります。
私は元からそれほど彼らに好感があった訳ではありませんが昼飯を一緒に食べることはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の信仰としての「隣人愛」の部類に属します。
しかし彼らは強烈に私を裏切りました。
そして私の持ち物である「教科書」と「ノート」を要求し集団脅迫行為をしてきました。
私は彼らとの付き合いについて「悔い改め」をしなければならなくなりました。
強烈な後悔です。
「別の人と付き合えばよかった。」
無駄な学生生活となったのです。
しかしそれを救済するのは「隣人愛」です。

別にそのグループの連中とどうしても付き合わなければならない理由は私にはない。
私は相手の強硬な態度を訝った。
「あなたとどうして付き合わなければならないのだ?」
要は相手がたちの悪い粘着質のストーカーだったのだ。

※拓大紅陵高校はかなりたちが悪い学生が多いと知った。

要は劣等な高校であり「優等」への弾圧によって生まれるプライド(複合感情)の塊の高校だった。
「優等」への弾圧によって生まれるプライド(複合感情)から威張る。
それはネオ・ナチズムを意味している。
それは拓殖大学(UNIVERSITY)には付属高校が2つあり「拓大一高」と「拓大紅陵高校」があるのだ。
そして明らかに「優等」への弾圧によって生まれるプライド(複合感情)の劣等学生(ネオ・ナチズム)が多かったのは拓大紅陵高校だった。
ただその時に私はどうしてその男子学生が自分で講義ノートを作らないのか理解できなかった。
どうして私が購入した教科書(一般教養「美学」)をそのあまり仲の良くない男に無条件に譲らなければならないのか理解できなかった。

完全なパワーハラスメントだったのです。

そのグループの中には同じ講義(一般教養「心理学」)に出席していた別の学生も居た。
私はその講義用ノートも要求された。
何故自分で講義に出席しないのだ。
そして何故大威張りで要求する!

彼はネオ・ナチズムだったのです。

しかもその講義に出席していたその他の学生が私の講義用ノートをその男の代理で要求してきたのだ。
何故か理解できなかった。
私に要求に来るならその学生が自分の講義用ノートをその男に貸せばいい筈であった。
意味不明であったのだ。
私は強い侮辱感を感じた。
怒りが沸き起こった。
私はその時当然主張した。
「自分のノートを貸してあげればいいのにどうしてわざわざ僕に言うの?」
私はその男の代理で突然当たり前のように言いに来た男子学生に質問した。
彼は一瞬怯んだ後に偉そうに主張したのだ。
「レポートの成績がいい人が貸すのだよ!」
何故その男に貸さなければならないのか依然不明であった。
人間関係が崩壊する蛮行を行った人たちが善人面を造っていた。

※ただここで補足の状況を説明します。
この状況は大学二年時の初頭に行われた。
大学一年時の初頭は入学したばかりでお互い全く知らない関係だった。
そして何故か大学入学時から必修講義に出ない男がそのノートと教科書を大威張りで要求してきたのだ。
私はそいつが学校を不登校だった入学時の当初に「親切心」からノートを貸してあげたことがあった。

彼はそれを論って人を見下したのだろう。
人の親切を見下す男だったのだ!

その時その男は無愛想に礼すら述べずにノートを受け取った。
私はその時からこの男の「人間性」を疑っていた。
その男はある人気のあった女子学生につきまといその女学生からみんなの前で「ストーカーの若ハゲ男」と罵られていた。
最初にこの女学生から「携帯番号」を聞き出したらしい。

私にとって彼は入学当初その他大勢の一人であり誰か全く知らなかった。
特に興味もなかった。

若ハゲ男に同情はするかもしれないが取り立てて好意を感じるわけがない。
女ならともかく勘違い人物だった。

そしてかなり危険人物だったのだ!
女に手が速いと感じた。
それから彼女への粘着質なストーカーが始まった。
明らかに嫌われているのに嫌らしくつきまとっていた。

私はそいつらと距離を置くようになった。

実際その男はそういった異常行動をとってそれを自慢するような異常者だった。

しかし何故か一年後の二年時の初めに私が学食で普段食事をしていた時に突然にその男を学食のグループに他のメンバーが引き入れた。
その男に対して何故か厚遇を始めて私に対して手のひら返しの明らかな冷遇を開始したのだ。
当たり前のように突然に「ノート」と「教科書」を傲慢に要求してきた。
それは集団脅迫行為だった。

礼も言わない「男」に「私」の方が諂えと要求してきたのだ。
完全な侮辱的な集団脅迫行為だった。
次は「金銭」の要求もあり得ると考えた。

ただ私もこの時点で「多勢に無勢」で必死となりかなり追い込まれた状況となっていた。
パワーハラスメントだが彼らに従う理由はなかった。

○多勢(たぜい)に無勢(ぶぜい)
相手が多人数なのに対して少人数なので、勝ち目がないこと。

『大辞泉 第二版』 小学館

「どうする?」と自問した。
味方に裏切られれば危機に瀕するのは世の習いである。
彼らは味方とは言えないかもしれない。
しかし今まで学食で一年近く一緒に食事をした仲だった。
そいつらがいきなり裏切ったのだから状況はかなりやばい。
複数のたちの悪い大学生を相手に一戦交えるのは苦痛だった。
そして馬鹿馬鹿しかった。
こんなクズを大学に入れた拓殖大学(UNIVERSITY)のレベルの低さを思い知った。

しかし同時期に「早稲田スーパーフリー事件」が起こっていたことを後に知ることになる。

これには何か関係と連動があるのだろうか?
私はこの後にその偶然を訝しく思った。

「社会人入試」で入学した大学でこんな馬鹿なことをされるとは考えていなかった。
しかし「売られた喧嘩」は買ってもいいと思った。
こいつらに負けてはいられないからだ。
ただ一人で戦うにはそれなりの戦い方があるだろうと一瞬で思案した。

先ずグループを出ることで明らかな「多勢に無勢」を何とかする必要があった。

パワーハラスメントに晒されるのは辛いからだ。
「多勢に無勢」を解消して初めて相手と勝負になると考えた。

私は明らかに彼らと距離を置きそのグループから物理的にも心理的にも離れた。
物理的にも離れたし心も離れたのだ。

そして拓殖大学(UNIVERSITY)は「呉越同舟」の場所となったのだ。

何故こうなったのだろう?
突然当たり前のように偉そうに私の所有物を要求してきた。
これが裏切りでなくて何であろうか?
私は納得できず彼らと完全に距離を置いた。
ただいきなり偉そうに顔つきまで変えてマウンティングしてきた複数のクラスメイトの心中がその時すぐには当然に理解できなかった。
この「明らかな裏切り」を軽蔑する以外になかった。
私をグループの最下位にして崇拝心理描写(特権階級心理)の虐めの対象にする。
そして奴隷のように扱おうとしたらしい。
しかしそれはいきなりの手のひら返しだった。

悲しい事件だった。

それは「優等」への弾圧によって生まれるプライド(複合感情)の劣等のなせる技なのだろう。
もうそれで彼らと仲が良い訳がなかった。
絶縁状態となった。
必修のクラスは「呉越同舟」の場所となった。

ごえつ‐どうしゅう【呉越同舟】 ‥ヱツ‥シウ
[孫子(九地)「夫れ呉人と越人と相悪(にく)む也、其の舟を同じくして済(わた)り風に遇うに当りては、其の相救うや、左右の手の如し」]仲の悪い者どうしが同じ場所に居合わせること。また、敵味方が共通の困難や利害に対して協力すること。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

私は席も変え一人で講義を受けることになった。
学食も一人で食べることになった。
私が居ないところで何か私についての嫌な話があったのだろうとは察しはついた。
それ以外に考えられないからだ。
私はその人たちに嫌悪感と警戒心を持ち明らかに距離を置き明らかに態度を変えた。
当然だった。
顔付きまで変えて強硬に私にマウンティングしてきた彼らと最早以前と同じ様に付き合う気がなかったからだ。

しかしそのクラスメイト達は私の方が理由もなく態度を変えたと言うイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とすることでありえるデマゴギーを流した。

そして飽くまで自分たちに否はないと言い張った。
彼の言い草に私は体が震えるほどの怒りを覚えた。
拓大紅陵高校出身のそのグループの中心学生は私に対しても周囲に対してもヌケヌケと言ってのけたのだ。

「心配しているのにどうしてかわからない!」

あまりにも人をなめた発言である。
私を露骨に裏切ってパワーハラスメントの「集団脅迫行為」をした連中が仲の悪くなった理由について周囲にそのように言い触らしそのように振る舞ったのだ。
人間関係が崩壊を来すときはこのように露骨な詐欺と黒ミサカルトが容認されたときだろう。

「何故か解らない。心配だ。」

私に対して彼らはそのように主張し続けました。
彼らはすべて嘘で塗り潰す気でいました。
嘘で塗り潰すことは「知の鵜呑み」の強要です。
「知の廃棄」は叡智の受肉であり学問の根幹です。
彼らは嘘で塗り潰すことを命じてきました。
それは「知の廃棄」を弾圧し「知の鵜呑み」によって大学(UNIVERSITY)を否定する最悪行為であったのです。
彼らは最も劣等な学生であり最も劣等な存在でした。
私は「人が言いたくないことは言わなくていい」と思います。
聞きたい側に自分が絶対服従する必要がないからです。
聞きたい側がどうしても聞きたいなら礼を尽くすべきでしょう。

彼らは理解不可能な絶対命令と絶対服従を形成していました。
それはカルトであることは解りますが魅力のない低能で馬鹿な拓殖大学学生が何を勘違いしたのでしょうか?

キチガイ崇拝ですか?
彼らは完全にキチガイに見えました。
ただ「カルト」を「崇拝する」という最も馬鹿なトートロジーと最も馬鹿な循環論証なのでした。

※拓大紅陵高校出身学生が加害者なのにヌケヌケと「心配」を主張したことは本当に腹立たしい発言だった。「嘘で塗り固める」ことを目的とした親切面でした。「嘘で塗り固めるキチガイ」が拓大紅陵高校の出身者に多数いたのです。

しん‐ぱい【心配】
〘名・形動〙(スル)
〓物事の先行きなどを気にして、心を悩ますこと。また、そのさま。気がかり。「親に―をかける」「将来を―する」「―な天気」
〓気にかけてめんどうをみること。世話をすること。「近くに住む娘が食事の―をしてくれる」
⇀しんぱい‐ごと【心配事】
⇀しんぱい‐しょう【心配性】

『大辞泉 第二版』 小学館

本来は「心配」は〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉に属することである。
しかし彼は私にいきなり服従を迫りいきなり物品を要求したことに関して一切触れず不仲となった理由が解らないといって惚けている。
それで彼は心配を主張するのだ。
彼の心配には〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉の欠片もないのだ。
イノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とすることによってカトリックロゴス感覚(Holy Communion)と立場を逆転させるのだ。
彼らは「優等」への弾圧によって生まれるプライド(複合感情)を誇り武器として恥ずべき行為をするのだ。

何が「心配」なんだ?
心配ってなんですか?
クズ野郎!

人を侮辱して人のものを傲慢に要求したことで冷え切った関係において飽くまで理由が解らないと言って「心配振り」をする。
あまりにも人を侮辱した態度であった。
この露骨な「心配振り」は露骨な「偽善」であった。
相手を殴りつけ喧嘩を売っておいて、相手に対してその行為の「無知振り」をして「心配振り」をする。
明らかに馬脚を露わしたその男は露骨な偽善であり狂人にしか見えなかった。
相手を昼間日中に殴っておきながらそれについて「無知振り」をしてその相手に対して「心配振り」の偽善をやって見せる。

これってなんですか?

イノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とすることでやり抜くらしい。
カトリックロゴス感覚(Holy Communion)で言えば明らかにおかしい。
殴ってきた相手が多重人格ですか?
病人ですか?
周囲も彼らの主張に沿って私にマウンティングしてきた。
周囲は狂気の状態になった。
特に必修講義は狂気であった。
明らかなキチガイが相手だったが狂気は私にされている。
しかしカトリックロゴス感覚(Holy Communion)で言えば明らかに私は正当であり相手が狂人だった。
イノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とすることを至上とする堕天使ルシフェル(堕落者)の狂人が拓殖大学(UNIVERSITY)の学生には多かったのだ。
しかし中にはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)を持った人もいた。

そういった人は稀有であったが今でもその人へ愛を持っている。

崇拝心理描写(特権階級心理)で私の方が逆に「手のひら返しのおかしい行動」とされたのだ。
これはアンチキリストの崇拝心理描写(特権階級心理)の典型と言えるものだ。

※イノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とすることの〈「呪術崇拝」から形成される象徴(偶像崇拝)〉である。

「優等」への弾圧によって生まれるプライド(複合感情)を形成するために立場を入れ替えるのだ。
カトリックロゴス感覚(Holy Communion)を「乗っ取る行為」は詐欺でしかない。
またカトリックロゴス感覚(Holy Communion)にイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とすることが擦り付ける「生贄行為」は詐欺でしかない。
人間関係において「なりきりの演技」が本物を乗っ取ることは詐欺の典型である。

(拓殖大学外国語学部英米語学科1998/4入学2002/3卒業)
辞書を何冊も持ってくるのでみんな大変だった。
女学生もカバンを一杯にして辞書を担いできたものだった。
しかし当時電子辞書が普及し始めていた。
まだ高価だったので直ぐには買えなかった。
しかしクラスメイトの何人か電子辞書を自費で導入しカバンが軽くなって良かったと言っていた。
「毎日重いのがうんざり!」
などと言い合ったものだ。
私も熟慮して電子辞書を選択し購入した。
今の学校は電子辞書が学校の購買部で購入できる。
最初から学校の支給があるらしい。
隔世の感である。

拓大英米語学科の辞書について

Sa・tan [séitn]〓
―n.
1 (キリスト教で)サタン,悪魔(▶the devil の固有名詞);悪魔のような人間:Satan reproving sin 罪を責める悪魔(自分の弱点・欠点を棚に上げて人を非難する人のこと):〓
2 〖軍事〗 セイタン:旧ソ連の ICBM の NATO コード名.
[900年以前. 中期英語,古期英語<後期ラテン語<ギリシャ語 Satân,Satán<ヘブライ語 śātān 敵]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

彼らはまさにSatanだった。

◇棚に上げる
〓自分のことを~に上げる
shut one’s eyes to [forget, fail to notice] one’s own 「faults [blemish]; do not see the beam in one’s own eye
◾自分のことは~に上げて人のことを責めるたぐいだ.
It’s (a case of) the pot calling the kettle black. 〖諺〗
◾自分のことを~に上げて人をとがめる
see the mote in another’s eye but fail to see the beam in one’s own eye; see what’s wrong with other people but not what’s wrong with oneself
◾自分の怠慢は~に上げて, 厳しすぎるだのと文句ばかり言う.
He forgets how lazy he is and just keeps complaining how strict other people are.

『新和英大辞典 電子増補版』 研究社

○棚(たな)に上・げる
知らん顔をして問題にしない。不都合なことには触れずにおく。「自分のことは―・げて人の悪口ばかり言う」

『大辞泉 第二版』 小学館

堕天使ルシフェル(堕落者)のイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とすることだった。
堕天使ルシフェル(堕落者)とは〈「呪術崇拝」から形成される象徴(偶像崇拝)〉であるからだ。
彼らにとって崇拝心理描写(特権階級心理)を至上とするカルト感覚(サタン崇拝)の方が正常であり、崇拝心理描写(特権階級心理)を嫌悪し禁じカトリックロゴス感覚(Holy Communion)を至上とするカトリックロゴス感覚(Holy Communion)による信仰者の方が病者(狂人)とされたのだ。
最悪のディストピア(暗黒卿)である。
「神の王国の到来」が天国だとしたら黒ミサカルト(サタン崇拝)の国家日本は最悪のディストピア(暗黒卿)であった。
彼らは狂気の崇拝心理描写(特権階級心理)だったがそれは明らかなパワーハラスメントだった。
彼らの発言は矛盾に満ちたものであったが、彼らは「自分には態度を変えられる理由が全くわからない」から私の方が理不尽であり非難されるべきだと言い張った。
それが見え透いたデマゴギー(大嘘)であっても、彼らはグループ(拓殖大学)の社会的上位としてそのイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とすることのデマゴギーは崇拝心理描写(特権階級心理)を賛美し扇動し肯定された。
イノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とするデマゴーグたちにより私の立場は身の危険を感じるほどに追い詰められたのだ。
それはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)のメッセージのコミュニケーションを完全弾圧した純粋虚構の堕天使ルシフェル(堕落者)の紋切り型カンバセーション(黒ミサカルト)であった。
そういった他人を社会的下位者に追いやることであり得る社会的上位者のためのデマゴギー(大嘘)の紋切り型カンバセーション(黒ミサカルト)はその社会構造(黒ミサカルト(サタン崇拝))の問題でデマゴギーを嫌悪する「信仰」の存在を下位に置くことが容認されるために信仰者はデマゴギーによって貶すことが容認される。
しかしそれは真実を言うものが信仰者しかありえないというリアリティーによっていて、ある意味イノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とするデマゴーグ社会(黒ミサカルト(サタン崇拝))の紋切り型カンバセーション(黒ミサカルト)の成立の必然性として為される。
何故ならその様なイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とするデマゴーグ社会は信仰の敵の「世」である。
その「世」によって信仰は完全弾圧されるからだ。
その社会を維持し肯定するための絶対の「信仰弾圧」のためのデマゴギー(大嘘)を容認するカンバセーションでデマゴギー(純粋虚構)が形成される。
それがイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とすることの〈「呪術崇拝」から形成される象徴(偶像崇拝)〉であるのだ。

※「優等」への弾圧によって生まれるプライド(複合感情)を至上のものとするサタンの世界であった。

それがディストピアである。
「純粋オタク」は「純粋な虚構」としての「デマゴギー」である。
しかし「純愛芸術」は「救済」である。

"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."

「純粋なデマゴギー」とは純粋虚構であり全くの大嘘である。
しかしある人はその様な純粋な虚構こそ純粋オタクだと主張する。
例えば「新世紀エヴァンゲリオン」はそういう意味で純粋虚構であり純粋オタクである。
又、日本的英会話や日本的会話にはメッセージは欠落しカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の受肉したコミュニケーションは存在しない。
それはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)のメッセージのコミュニケーションではなく信仰を完全弾圧する堕天使ルシフェル(堕落者)の紋切り型カンバセーション(黒ミサカルト)であるのだ。
カトリックロゴス感覚(Holy Communion)のメッセージのない純粋虚構(純粋オタク)の存在は定型的な会話であり放送作家のシナリオ台本である堕天使ルシフェル(堕落者)の紋切り型カンバセーション(黒ミサカルト)であるのだ。
しかしそれは「純粋なデマゴギー」であり唯のイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とするデマゴーグを意味している。
イノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とするデマゴーグであるか純粋オタクであるかどちらとして見るべきだろうか?
実はサタンと純粋オタクは同義であったのです。
トートロジーと循環論証のあり方がデマゴギーだったのです。
ただデマゴギーとは崇拝心理描写(特権階級心理)であるイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とすることの存在であり、「純粋なデマゴギー」とは「透明度100%のクリスタル」であるがその意味するところは「完全に騙し抜く学問崇拝(知の鵜呑み)」であることを示している。

全く馬鹿な話だ!
完全に騙し抜くのが純粋オタク(黒ミサカルト(サタン崇拝))ということなのだ。

だから私を裏切ったクラスメイトは飽くまでデマゴギーを言い張りそして社会的上位者として真実を知る私を完全弾圧した。
そのようなイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とするデマゴーグはな特殊詐欺師(カルト関係の教祖)である。

※カルト感覚(サタン崇拝)とはイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とすることの〈「呪術崇拝」から形成される象徴(偶像崇拝)〉であり紋切り型カンバセーション(黒ミサカルト)である。

「優等」への弾圧によって生まれるプライド(複合感情)の存在でありカルト感覚(サタン崇拝)の教祖と教理はカトリックロゴス感覚(Holy Communion)が受肉しない劣等な存在の在り方である。
それは織田信長が死闘を演じた一向宗徒の存在と同様である。
信長は「劣等」が「優等」を完全弾圧することによって生まれるプライド(複合感情)であるサタン崇拝(一向宗徒)の殲滅を目指した。
信長はメシアであった。
信仰者がデマゴギーを嫌悪して敢えて発言する象徴はそこに聖なるカトリックロゴス感覚(Holy Communion)によるメッセージがありそれは聖芸術となる。
芸術とは崇拝心理描写(特権階級心理)であるサタンを嫌悪する信仰によって聖なるものとして創造された。
だからデマゴギーは嫌悪される。
特殊詐欺師の完全な騙し抜きは完全犯罪であり純粋オタク(黒ミサカルト(サタン崇拝))とも表現されるがそれが崇拝心理描写(特権階級心理)としてのイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とすることであるならカトリックロゴス感覚(Holy Communion)に嫌悪されカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の芸術とはなれない。
カトリックロゴス感覚(Holy Communion)をマウンティングすることを至上とする心理が最高に邪悪であるからだ。
完全犯罪の学問崇拝(知の鵜呑み)としてあるイノセント(黒ミサカルト)を超人(サタン)とするデマゴーグは純粋オタク(サタン)である。
しかし信仰から形成されたカトリックロゴス感覚(Holy Communion)のインスピレーションはメッセージを持ったコミュニケーションとして芸術(美学信仰)となる。

※オタクは「劣等」が「優等」を完全弾圧することによって形成されたプライド(複合感情)でありネオ・ナチズムであるです。

ネオ・ナチズムは一向宗徒とも言える。

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