聖横溝正史原作「悪魔の手毬唄」 第3回〈神の手毬唄〉
【カトリック芸術信仰】
殉教者(確信性の確保)の「男女の愛の証し」は「永遠の命」となった!
副題 「神の探偵」は「神の証人」となった
「神の手毬唄」
「猟奇的殺人事件」 は「青池リカ」の殉教者(確信性の確保)の「男女の愛の証し」として決行された。
「青池リカ」は下賤の身あったと同時に、殺人犯だった故に「磯川警部」と実際に結ばれることは決してなかった。
しかし殉教者(確信性の確保)の「メッセージとコミュニケーション」は「最高善の神罰」を解する「神の探偵」によって「永遠の愛の証し」を可能としました。
結局、「青池リカ」は殉教者(確信性の確保) の「男女の愛の証し」がなかった「青池源治郎」の子々孫々を惨殺していくことによって「永遠の愛の証し」をしたとしか言いようがないだろう。
実際に「青池リカ」とは他者と違って抜きん出て高尚な存在だった。
しかし「青池リカ」は下賤に生まれた女だった。
又は高尚故に下賤に貶された女だった。
彼女は「三位一体のペルソナ」であったからです。
これは「仮説」ですが「青池源治郎と青池リカの夫婦」の第一子であった「歌名雄」は実際に「青池源治郎」の子ではなかったのではないか?
「歌名雄《かなお》」は「青池リカ」が「永遠の愛の証し」を持った相手との間で儲けた「愛の子」だったのではないかといった想像である。
それが「神の子」であったという発想は至極当然であった。
しかし第二子の「里子」は「青池源治郎の子」だったと想像される。
それは「里子」の「痣」である。
「孕み女が火を見て痣ができる」といった迷信は実際に非科学的であった。
しかし「里子」の「痣」が青池リカと「永遠の愛の証し」を持たない相手との間で生れた「穢れた子供(悪魔の子)」の烙印であったなら合点がいくだろう。
「悪魔の子」は「偶像崇拝と呪術崇拝」の「子」であって「神の子」の敵対者だった。
そういったあり方は「青池リカ」に殉教者(確信性の確保) の「男女の愛の証し」を解する高尚さがあるということから推察される。
「横溝正史原作」の意図はそこにあったのではないだろうか?
「猟奇的殺人事件」は「青池源治郎」の子々孫々を「ゴリアテ」として殺していった「最高善の神罰事件」であった。
そしてそこまで「青池リカ」が「愛の証し」に拘った理由とは「磯川警部」のためだったのだろうと推察される。
それは「ダビデ」や「イエス・キリスト」といった殉教者(確信性の確保)のためとも言える。
「青池リカ」の一連の行動は全て殉教者(確信性の確保)の「男女の愛の証し」に収斂される。
それは「磯川警部」の殉教者(確信性の確保)の「男女の愛の証し」へ向けられた「純愛信仰」であった。
最後に一言蛇足を付け加えれば「青池リカ」が殉教者(確信性の確保)の「男女の愛の証し」を向けた「歌名雄の父親」も「磯川警部」であったかもしれない。
どうして其の様になったかは一切書かれていない。
ただそのような蛇足への私の反証も同時に沸き起こってくる。
何故ならばもし「青池リカ」が「磯崎警部」との「純愛信仰」へ「確信性の確保」を持つことができたなら「猟奇的殺人事件」の動機はなかったからである。
「神の子」を「神の番の証し」とした「青池リカと磯崎警部」の男女関係とは高度な精神的姿勢ユーモアであった。
そのような蛇足こそ無粋であるだろう。
そして「神の子」を「男女の愛の証し」としたことは最も神聖な愛のあり方と言えるだろう。
そこにあるのは殉教者(確信性の確保) の「男女の愛の証し」による「純愛信仰」であった。
このような「最高善の神罰」への強烈な拘りがあり得たのは殉教者(確信性の確保) の「男女の愛の証し」を欲する相手が確実にいたことを物語っている。
そして「磯川警部と金田一耕助の別れ際の名シーン」で「純愛信仰」は唐突に語られた。
その唐突さによって「純愛信仰」の在り処を「神の探偵」が見事に指摘してこの事件は幕を閉じていく。
「金田一耕助」から「警部さん、あなたはリカを愛していられたのですね。 」と指摘された「磯川警部」は「知識の廃棄」によって殉教者(確信性の確保)の「男女の愛の証し」が入る場所を確保する。
それは「警部さん、リカはあなたを愛していられたのですね。 」という殉教者(確信性の確保)であった。
殉教者(確信性の確保)の「男女の愛の証し」は「神の探偵」の「金田一耕助」を「神の証人」とすることによって「純愛信仰」として示され、そして「神の証し」とされた。
それが「神の探偵」の「金田一耕助」が担った「神の役目」だったのです。
「青池リカ」は過剰にみっともなく死んだ。
それは「青池リカ」が殉教者(確信性の確保)の「男女の愛の証し」だけに拘ったことの顕れであった。
何故急に「青池リカ」はここに来て「最高善の神罰」による殉教者(確信性の確保)の「男女の愛の証し」に拘ったのだろうか?
それは「磯川警部」が差し向けた「金田一耕助」の存在が「神の探偵」であると悟ったことによっている。
「青池リカ」はそこに「黙示録」を見たのかも知れない。
「猟奇的殺人事件」は「神の探偵」が担った「神の証人」の殉教者(確信性の確保)によって「男女の愛の証し」としてなされたのです。
これはある意味で「悪魔の手毬唄」ではなく「神の手毬唄」であったのです。
こういったあり方は反転術式と呼ばれ高度な芸術手法となっている。
この作品は「最高善の神」を愛する「純愛信仰」となって「永遠の命」となる。
これは三対神徳(愛徳と望徳と信徳)を成立させる。
そして「猟奇的殺人事件」は枢要徳(正義と勇気と節制と思慮)によって決行された。
「猟奇的殺人事件」は「七元徳」によって決行された崇高な「最高善の神罰事件」であることが証明された。
この「最高善の神罰事件」は「磯川警部と青池リカ」の殉教者(確信性の確保)の「男女の愛の証し」として行われた。
そしてそれは「永遠の命」となったのです。
完
(再編集版)
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