縄文土器が指紋鑑定のきっかけ?!
「現場に残された指紋があなたのものと一致しました。」
刑事ドラマでおなじみの鑑識官が白い粉をポンポンとはたいて採取した指紋から犯人を特定する、あの指紋鑑定。この指紋鑑定のルーツが縄文土器にあるって知っていましたか?
ここまでは知ってる人は多いのではないでしょうか。
しかし、これでは縄文土器と指紋鑑定がなんで結びつくのかわかりませんよね。ちょっと待ってください。今から説明しますね。実はこんなエピソードが残っているんです。
モース博士と縄文土器
時は明治時代。貝の調査のために来日したアメリカ人の動物学者 エドワード・シルベスター・モース(1838-1925)は、横浜から東京に向かう汽車の車窓から偶然、遺跡を発見しました。その遺跡がのちに「日本考古学発祥の地」と称される大森貝塚(東京都品川区)です。
この遺跡でモース博士は、縄文土器を発見し、その土器についた指の痕に気づきました。その様子をみていたのが、イギリス人医師 ヘンリー・フォールズ(宣教師、医師、科学者 1843-1930)。モース博士と日本で知り合い、その流れで発掘の手伝いをしていたフォールズ医師は、この縄文人の指紋に興味を抱いたのです。
フォールズ医師と指紋鑑定
フォールズ医師は、縄文土器に残された指紋から「土器の作者を特定できるのでは?」と考え、診察の合間に指紋研究を進めました。なんと、数千人の日本人の指紋を集め、現在の指紋研究で行われている基礎となる研究のほとんどを行なったのです。フォールズ医師はこの研究の成果を東京で書きあげ、1880年にイギリスの科学雑誌「ネイチャー」に発表しました。
実は指紋の研究自体はもっと前、日本でいうと江戸時代初期にはイギリスで始まっていました。なので厳密にいえば、フォールズ医師は指紋研究の創始者というわけではありません。
しかし、フォールズ医師はこの指紋研究を実際に個人識別に利用できないかと考え、研究し、論文を世界に向けて最初に送り出した人なのです。つまり、指紋の実用化のきっかけを生み出した人というわけです。
人の指紋は子供から大人になるまで、一生変化することがない。また、一卵性の双子であってもそれぞれ違う指紋をもつ。だから指紋をみれば、誰かがわかる。
この研究にイギリス警察がいち早く関心を示し、1901年指紋鑑定が捜査に取り入れられました。その後、急速に世界各国に拡がった指紋鑑定は、日本でも明治44年(1911)から警察で採用され、犯罪特定の切り札として利用されるようになりました。
犯罪操作だけでなく、スマホのロック解除の方法にも応用されている指紋認証。知らない人はいないこの技術は、日本の土の中に埋まっていた縄文土器にのこった古代人の手の痕跡にルーツがあった、そう考えるとロマンがありませんか?
いかがだったでしょうか。自己紹介後の初投稿としてはマニアックだったでしょうか?
ちなみに私は今日はじめて知りました。『新版 縄文美術館』という本に書いてあってびっくり。図版が多めでパラパラめくるだけでも面白いので気になったら読んでみてくださいね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?