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20241006-01 鷲田清一先生のコラム

朝からうれしいことがあった。

それは今朝の新聞のコラムが鷲田清一先生だったこと。鷲田先生の本には随分とお世話になってきた。お会いしたことはないけども。

私の本棚の数列は先生の本で占められている。ときどき、その本の背表紙が「読んで」とささやきかけてくれる。聞こえない耳にもちゃんと届くのがうれしい。読み始めると、そのうれしさが増し、思考が深まり、曰く言い難い思いに言語化のヒントを与えてくれる。これも一種のセレンディピティといえようか。

「鷲田です。鷹ではありません」そんな定番の「つかみ」があるそうだ。先生のお弟子さんにあたる私が信頼する先生から教わった。ますますファンになった。

どれくらいのファンかというと、似たような風貌の方を鷲田先生では?と思ったりするほどに。困ったことに、街中に出るとそんなおじ様がたくさんいたりするのだけども。

5年間ほど花の東京に勤務したときに、唯一見た有名人はデビ夫人だった。ホテルオークラのエントランスですれ違った。オーラがあった。出川にいじられる夫人ではなかった。当然だけど。そんな感じで鷲田先生にもどこかですれ違えたらうれしい。

さて、そのコラム。

「漏れちゃう。のは本当にダメなことなのだろうか?」という、『テクノロジーに利他はあるのか?』(ミシマ社)の伊藤亜紗先生の言葉に「しびれた」鷲田先生の論考が展開される。

紙面で鷲田先生と対話した私は、自分を「漏れちゃう」側、隠す立場に位置付けてきた若いころに思い至る。聞こえないことはよくないこと。聞こえるように努力しなさい。集中力がないから聞こえないんだ。今思えば散々な言われ方をした。身近な家族からも。

障害の社会モデルという概念も、合理的配慮という概念もなかったころ。なんなら、支援だって、筆談だってそんなことを教えてくれる世界はなかった。パソコン通訳や字幕や音声認識で聞こえなくてもコミュニケーションできる世界が訪れるなんて。それこそ、宇宙人と地球人が地球で共存することを妄想する方がリアリティがあっただろう。

人の助けを借りないといけない存在は悪という時代は確かにそこにあった。そんな時代に聞こる人たちの世界の中で、唯一の聞こえない存在として若いころを過ごした私が唯一取りえた選択肢が、自らを「漏れる」側、隠す立場に位置付けることだった。当時の願掛けは、今思えば笑えるほどに情けない。「どうぞ、聞こえないことで恥をかきませんように」

ヘタレだった私が、どうしてこうした自己開示ができるようになったかというと、それこそ1冊の本が書けるほどのものだし(出版のオファーを歓迎します)、この業界でいろんなところで語ってきた知る人ぞ知るほどの逸話があるので、いつかあらためてここに書く。そのいつかが、いつになるかは私にもわからないけど。

「漏れる」ということを肯定的にとらえる世界があることを、もっと世の人に知ってほしい。昔の私のように、自分から「漏れる=隠す」方向に逃げるしか生きるすべがない人に、今を苦しむ人にこそ知ってほしい。きっと「漏れる」側のつらさをきっとわかってくれる人に出会えるから。鷲田先生がコラムに書かれていた「ふくよかで、住み心地がいい」世界だって必ずあるから。そんなことを思う。

「きっと」と私は繰り返して書いた。無責任に書いたわけではない。なぜならば、私がその役割を担う覚悟だけはあるつもりだから。それを鷲田先生はコラムで「気前のよさ」(リベラリティ)と仮定し、私は「恩返し」と定義する。

鷲田先生が名付けた「アローン・トゥゲザー」という相反する言葉のつながりでできた概念を、私はまさにしびれながら心の引き出しに取り入れる。こんなにしびれる日曜日だってあってよい。

なんだか、力が入ってしまった。

ミシマ社も好きだ。京都は丸太町の民家で実験的にやった本屋にも行ったほど。あんな本屋がいろんなところにあるといいなと、松岡正剛さんの松丸本舗が好きだった私は思う。

せめて自分の本棚くらいは、と松丸本舗に倣って意味のつながりを持たせて所蔵本を並べているのだけど、鷲田先生、阿久悠さん、松岡正剛さん、平尾誠二さん、さだまさしさんの本たちは著者毎に塊になっている。思えば、私を救ってくれた恩人たちというカテゴリーなのかもしれない。

このnoteを鷲田先生のことで書き始められたことをうれしく思う。

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