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20241008-02 陽のあたる教室(映画)

もう30年も前の映画だ。前半導入部はそこからさらに30年前の設定だから、60年も前の世界から物語が始まる。率直にいうと前半部は退屈。

なぜこんな音楽映画を観てるのだろう?そんな訝しげな家人の視線に、聞こえない子どもができてからのストーリーが主題になるみたいだから、と言い訳説明。

実は、退屈な前半部にもいろんな伏線が散りばめられていて、それがクライマックスで見事なほどに回収される。だから安心して退屈さを味わうのがよいよというのが録画をしている人たちにむけたメッセージ。配信版はないみたいだから、本作には今日の録画かDVDでしかアプローチできない。残念。

本作は音楽教師である主人公の人間としての葛藤と成長の物語であり、聞こえない子どもやその親御さんへの寄り添いとエールであり、教師の影響を受けた人たちのそれぞれの成長物語。ジャンルはミュージカル。音楽が聞こえる人たちにはそうなるんだろうな。ただ、音楽が聞こえなくても大丈夫。そんな映画。

主人公の子ども(ろう者)の幼少期。自分の思いが伝わらないいら立ち、それがわからない両親の戸惑いのシーン。成長過程における聞こえない子どもと聞こえる両親のぶつかり合いのシーン。それぞれに感情移入が過ぎて目を背けた。そんな辛い思いも、後半に向けて、特にクライマックスで一気に癒される。野球でいえば、前半に許した大量のリードを中盤から後半に向けて徐々に詰めていき、最終回の逆転サヨナラのドラマにつなげる映画とでもいえようか。

最初の授業で、主人公は退屈な音楽の定義を読み上げる。その退屈さを、全編をとおして、本作でいえば30年かけて覆していき、主人公やその家族だけでなく、登場人物それぞれの人生における音楽の定義を再構築していく。聞こえない人間にとっても「音楽っていいな」と、そんな感情に誘ってくれる良作。

ちょうど『あの日、小林書店で。』を読んでレビューを書いたり、著者さんからうれしいリポストをもらったりしていたタイミングだったから、主人公が小林由美子さんに重なったりもした。

あの本もこんな映画になるんじゃないかな。ってか、映画にしてほしい。本だけにしておくのはもったいないもの。そんな空想を広げる私の中の店主のキャスティングは吉永小百合さん。妄想に過ぎると笑わば笑え。

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