競馬の暗部
サラブレッドは儚く脆い存在だ。その走りは時に人々を熱狂させ時に落胆させる。そして時に痛惜の念を抱かせる。サラブレッドはその大柄な馬体をガラスの脚と呼ばれるほど細い4本で支えている。一つの脚に故障が発生してしまえば他の3本に大きな負担が掛かり他の病気を併発し苦しみ衰弱しながら死に至る。そのため大きな故障を発生した競走馬は予後不良と宣告され安楽死処分となる。競馬に携わる人ならば誰しもが目の当たりにも耳にもしたくない事故の当事者となってしまった馬を紹介する。
① ジョワドヴィーヴル
ジョワドヴィーヴルはディープインパクトとビワハイジの間に2009年誕生した。歴史的牝馬であるブエナビスタが半姉に持つ超良血馬であった。その血統からデビュー前から注目を集め2歳女王決定戦である阪神ジュベナイルフィリーズを快勝。牝馬クラシック戦線の主役に名乗りを上げた。私自身もこの馬は強いと確信しいくつタイトルを制するのか期待していたのを今でも覚えている。しかしその世代には更なる怪物が潜んでいたのだ。牝馬三冠を含むG1を7つ制することになるジェンティルドンナだ。牝馬クラシック1冠目の桜花賞でそのジェンティルドンナにいいところなく敗退した上、骨折が判明し長期休養となってしまう。年明けに復帰するも芳しくない成績が続き早熟だったのかという声が上がっていたがそれでも私はこの馬を信じていた。ジェンティルドンナのライバルとして熱いレースを見せてくれるに違いないと。そしてジェンティルドンナ不在の中迎えた春の牝馬マイル女王決定戦のヴィクトリアマイル。最後方から上りタイムはメンバー中2番目の凄まじい末脚を伸ばし4着に入る。ようやく見えた復活の兆し。秋には大きいタイトルも取れるのではないかと期待していた矢先、そのわずか3週間後の調教中に故障発生。左下腿骨開放骨折であえなく安楽死処分となってしまった。復活の兆しが見えた矢先の調教中の事故はシャケトラが記憶に新しいだろう。馬名の由来はフランス語で生きる喜びだったがその生涯は栄光よりも悲運の連続だった。
② メジロラフィキ
今年の中山グランドジャンプでは昨年度の最優秀障害馬のシングンマイケルが最終障害を飛越できずに予後不良となってしまった。今から9年前にその中山グランドジャンプの最終障害で非業の死を遂げた馬がいる。メジロラフィキだ。2005年にメジロ牧場で産まれた同馬はパッとした成績ではなかった。初勝利まで5戦をかけ条件戦も2勝という華やかな重賞とは無縁の馬であった。しかし転厩後に障害戦へ転向すると華の舞台である中山グランドジャンプに出走までこぎ着けた。中山グランドジャンプは例年春に開催されるがこの年発生した東日本大震災により7月の開催となっていた。レースが始まるとメジロラフィキは逃げをうった。中盤でも安定した走りでリードを保っている。そして迎えた最終障害。ここを飛越できれば障害レースのビッグタイトルが見えてくる。しかし飛び越えることは出来なかった。飛越に失敗したメジロラフィキは転倒。頭から落下し首がぐにゃりと曲がりそのまま動かなくなってしまった。レースは直線で抜け出したマイネルネオスが勝利。ジョッキーの柴田大知は初のG1タイトルだったためインタビューで歓喜の涙を見せていたその裏ではメジロラフィキの厩務員がうつむきながら寄り添っていた。診断は第3頚椎骨折で予後不良ではなく死亡という扱いになった。ちなみに生産者であるメジロ牧場は同年の5月に解散している。
③ タガノテイオー
今年のクラシック戦線にはもう一頭主役と成り得る馬がいた。その名前はブルトガング。サンデーレーシングにおいて一口375万円で募集されたこの馬は2016年の桜花賞馬グランアレグリアの全弟として大きな期待を背負っていた。新馬戦では圧倒的なパフォーマンスを見せ将来を嘱望されていたがその後の放牧中に頸椎狭窄による腰萎で予後不良と診断されてしまった。わずか2歳で下った非情な通告はタガノテイオーを思い出した。タガノテイオーは1998年に社台ファームで産まれた。3歳(旧年齢)でデビューし新馬戦は後のダービー馬となるジャングルポケットにクビ差で先着を許すも難なく勝ち上がり初めて迎えた重賞札幌3歳Sではまたしてもジャングルポケットの後塵を拝し2着。その後重賞の東京スポーツ3歳Sを制覇し向かったG1朝日杯3歳S。ライバルのジャングルポケットや後の皐月賞馬アグネスタキオン、後にNHKマイルカップとJCダートを制するクロフネはラジオたんぱ杯に回るため朝日杯では1番人気となった。道中では好位をキープ。最後の直線であとは突き抜けるだけだった。しかしどうも伸びなく今まで先着を許していなかったメジロベイリーに交わされ2着となってしまう。伸びなかった理由はレース中に左第1趾骨粉砕骨折を発症していたからだ。メジロベイリーに並ぼうとするタガノテイオーの左足には血が滲んでいた。その後予後不良の診断が下り旧年齢3歳の短い生涯を終えた。
④ ロックハンドスター
時は2007年。沢尻エリカが報道陣に悪態をつき段ボール肉まん問題で食の安全が取りざたされ、小島よしおが「そんなの関係ねえ」で大きく飛躍した年。そして物語の舞台となる岩手競馬が累積赤字問題で危うく廃止になりかけた年。そんな年に生まれ、再ブレイクを果たし2009年に岩手競馬のイメージキャラクターに就任したルー大柴にちなんで「岩手の星」をルー語で命名された同馬。デビューすると岩手2歳三冠に手が届きそうになるほどスターとしての素質を見せていた。その後岩手3歳三冠を達成し岩手ローカル局によってドキュメント番組が制作され暮れの岩手競馬グランプリ競争でも優勝し岩手競馬年度代表馬として選出されるなど名実ともに岩手の星として燦爛と輝いていた。しかし年が明け3月11日。未曽有の災害が東北の地を襲った。その影響からか調子を崩してしまい凡走が続いてしまった。そして迎えた中央競馬との交流重賞であるマイルチャンピオンシップ南部杯。この年は岩手競馬復興支援として東京競馬場で開催された。調子は少しずつ復調気味だった。人気は振るわずとも岩手の意地を見せることで今度は復興の星として輝くはずだった。しかしそれは叶わなかった。しかも最悪の事態が起きてしまった。東京競馬場のダートコースは芝コースに発走地点が置かれており、その芝とダートの変わり目の地点で驚き転倒してしまった。右上腕骨骨折により予後不良。岩手の星は異郷の地で星になってしまった。
スポーツの現場にタラレバは一切不要である。しかしたまにはそのタラレバに耽ってみるのも魅力の一つかもしれない。競馬は特にタラレバが多いスポーツの一つだと思う。もしあの馬が健在で子孫を残せていたら、もしあの交配で不受胎じゃなかったら、もしかしたら肥育場に送られた馬も何かのきっかけで日本競馬史に名を残すような名馬になっていたかも…。このように競走馬の生死だけでも多くのタラレバが発生してしまう。しかしその分競馬の楽しみ方は多種多様だ。経済動物だと割り切って万馬券だけを追い求める者、ある競走馬の子孫を追いかける者、何事にもドラマ性を見出す者などなど…。これこそが競馬の魅力であり暗部ではないだろうか。