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雨が降っても、穴があいても、生きていく

人には穴があり、その穴を埋めることはできない。
穴は幼少期に親によってつくられる。
「かわいい、かわいい」と育ててくれた親の子にも、「かわいいと言われないとダメな自分」と思ってしまう穴ができる。
誰しも穴があり、できるのはその穴の形を知っていくこと。

岸田奈美さんがXでお話しされていました。
詳しくは『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』に書かれているそうです。
僕も今読み進めています。

「生きていく」ということを、色んな人が色んな言葉で表しています。
穴があいて、埋めようともがいたり、埋められないことや埋めるための穴でないことを知ったり、穴があいたまま自分や他者と笑い合える道を探していくこと、かもしれません。
人生とは旅、かもしれませんね。

最近気になっているのが、「そめる・そまる」という言葉です。
生きていくと「勝手にそめられていく」ことがあります。
「あの人に」「あの出来事に」と分かりやすく特定できる場合もあれば、「社会」とか「雰囲気」にそめられることもあると思います。

例えば、「私色にしたい」と思って何かをそめようとする。
その対象物が、「完全な私色になること」はあり得ないと思うんですね。
なぜなら、もともとの色があるから。
そめてしまおうと思っても、できるのは「まざること」だけです。

そめてしまうではなく、まざり合っていく。
まざる濃淡はあれど、僕たちは「表すことにさらされている」のだと思います。
表現することって、とても勇気がいると思うんですよね。
でも、一人ひとりに「もともとの色」があって、穴と同じようにその色も決して無くならないものだから、まざりにいっても大丈夫。
生きていくとは、まざり合うこと、かもしれませんね。

息が止まるほど
何に悩むのだろう
地球に染まるほど
何が変わるのだろう
私に染めるほど
私がわかるのだろう
何も怖くない
何も怖くない

STARs/木村カエラ

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Rinfinity~食にたずさわる人の生き方~
料理人や農業従事者の方へのインタビュー記事を発信しています。
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