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無限大の笑顔で生きよう

いつも笑っていられるのは、空っぽだから。

空中庭園という映画に、こんなようなセリフがありました。
図星を指すような言葉だったので、心に残っています。

笑って生きたい。
そう願う人は多いのではないでしょうか?
僕も、笑って生きたいです。
では、「空っぽになって生きること」でそれを手に入れるのか?
それは、文字のごとくあまりに空しいことだと思います。

僕は、最近気づいたことがあります。
「空っぽ」と「無限大」は、それぞれ「なにもない」、「際限がない」という意味で、

何かが「ない」という共通項はあるけれど、その意味ははるかに違う

ということです。
当たり前と言えば、そうかもしれません。
でも、僕は「空っぽ」と「無限大」には、それが表に現れる部分を見てみると、似たようなところがある気がしていました。
例えば、最初にも書いた「笑顔」。
空っぽとは、

中に何も入っていないこと

です。
何も入っていないものは、何が起こっても何も響きません。
だからいつも笑っていられるのです。
空っぽでいようとすることは、小さくいようとすることです。
大きなスペースには何かが入り込む隙間があって、その隙間をなくして、小さくいようとすることで空っぽが手に入ります。
何も入り込まないようにする。
それが空っぽを作り出すように思います。

一方、無限大の笑顔とはどんなものでしょうか?
無限大とは、

限りなく大きいこと

です。
無限大でいようとすることは、大きく広げていこうとすることです。
大きく広がったスペースには何が入るでしょうか?
喜び、優しさ、楽しさ、興奮、哀しさ、怒り、寂しさ、傷。
色んなものが入ります。
傷つきたくない、そういう思いから空っぽを求めることがあるかもしれません。
空っぽでいれば、傷つかないかもしれません。
でも、傷つきたくないからとか、怒りたくないから笑うのと、
笑いたいから笑う、のでは大きく違います。
無限大でいようとしたら、たしかに傷つくことがあるかもしれません。
でも、そこで生まれる喜びも無限大なのです。

無限大というのは限りないので、何かで満ちることはないのかもしれません。
それも無限大の持つ希望です。

僕は、無限大の笑顔を真摯に体現していきたいと思います。


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