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「気付く」「認める」「ゆるす」

あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いします。

新年、最初のブログは去年の年末のクライアントさんとの出来事が、
自分にとって気付きが多かったので、
その時の様子を書かせて頂きたいと思います。

その方は、去年こどもさんを亡くされました。

本当に真摯な方で、
そのことを忘れないために、
全てのことを一旦やめて、
ずっと自分と向き合っておられました。

うちに来られた時は、
・腰痛
・発作の様な息苦しさ
・便秘
などに悩まれていました。

身体を診させて頂くと、
感情が溜まると言われている
「胸骨」
と言う骨の制限が強く、
そこから症状が出ていると考えました。

実は、僕もそのこどもさんを診させて頂いていたので、
何とも言えない気持ちが溢れてきましたが、

同時に、
そのご家族が本当に一生懸命
その子のことを診ていたことや、
愛情を持って接していたこと、
色んなことと真剣に向き合っていたことを知っています。

なので、
施術をさせて頂きながら、
初めて会った時のこと、
色んな思い出、
嬉しかったこと、
大変だったこと、
など本当に色んな話をしていました。

そして、
今もそうやって向き合っておられることに対して、
心から尊敬する想いと共に、

「もう、自分のことをゆるしても良いのでは?」
と言う言葉が出ていました。

今、思えば何を偉そうに言ってるんだと思いますが、
素直な気持ちだったと思います。

その日は、
心なしかスッキリした表情で
「今日は来て良かったです!!」
と帰られました。

そして、その次に来られた時には、
凄いスッキリした表情で来られました。

聞くと、前回の帰宅後
感情が嗚咽みたいに溢れ、
奥さんの前で泣き崩れ、
そこから腰痛がなくなった
と仰っていました。

そして、その日も施術させて頂きながら色んな話をしていました。

その時に印象的だったのが、
「自分はずっと頑張った先に結果があると思って生きてきた。
だから、思った様にいかないのは努力が足りないからだと。
今回のことも、向き合わないことや気を紛らわすことが嫌だった。
自分の弱さも、不甲斐なさも、全部ダメだと思っていた。
だから、そこを乗り越えるために、追い込んで、追い込んで。
その結果、何かしらの「答え」があると思っていた。」
と言うことを仰り、

「でも、そうじゃなくて、気付けば
絶対、無理!と思っていて、
そしたら、楽になった。」
と仰っていました。

そして、
「あの時の施術は、会話も含めて色んな気付きになりました。」
と何度も何度も素敵な笑顔で言って下さいました。

その時も喋っていたのですが、
僕らが受けてきた教育は
凸凹を埋めたり、足したりして、
「□」を作るものだったと思います。

そして、
それが出来ないのは努力が足りないからだと。

それは思考パターンになっていて、
反射・反応として、
ついつい自分の弱いところを埋めたり、足したりすることに、
価値があると思ってしまう部分があると思います。

でも、よく考えたら、
自分が「凹」だとして、
無理して「□」として生きるより、

「絶対無理!」
と認めて、
「凹」として生きた方が絶対に生きやすいと思うんです。

そして、
自分に足りないところを自分で埋めるのではなく、
得意な人に助けてもらって、

そうやって得意を生かしながら生きていける社会だったら生きやすいですよね。
と喋っていました。

誰だって凸凹があります。

それなら、まずその凹凸に
気づいて、
認めて、
ゆるすこと
が大切だと思います。

この「ゆるす」っていうのは、
甘えて良いという意味ではなく、
結果的に
「起こること」
だと思います。

そして、この
「自分の凹凸に気付く」
というプロセスの
きっかけを与えてくれるのは
「他人」
だと思うんです。

この方は、
こどもさんのことなどをきっかけに、
色んなことと向き合い、
結果として、
気付きが溢れて、
「凹」でも良いのだと「ゆるす」ことが出来たんだろうなと思ったら、
本当にすごいなと改めて尊敬しました。

これからは多様性の時代と言われています。

この世に起こることは、
全て
「起きているだけ」
だと思いますので、

折角なら、
その起きていることから、
自分や他人の凹凸に気付いて、
時に「絶対無理!」を認めて、
結果として、
認めて、
ゆるして、
周りの方と凸凹を埋め合いながら、
生きていきたい。

中々、この方みたいには難しいですが、
新年の最初に「目標」として、
どうしても書きたくて、
ご本人に許可を頂き、
こうして書かせて頂きました。

と言うことで、今年もよろしくお願いします。

中壽賀宣行

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