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お金を稼ぐための勉強かぁ
おはようございます、こんにちは、こんばんは、ただです。
去年くらいから細々と積み立てNISAを始めていましてね。まぁここ何ヶ月かはマイナスになってさっき見たらしっかりとプラスに戻って来てましたね。まだ大した額でもないので特に心が浮き沈むことも無いのですが。
世の中には株、不動産などで富を築き悠々自適に暮らす人々がいますよね。幾らかはそういう知り合いもいますが、そういう話を聞いてもあまりワクワクしてこないですよね。皆さんはワクワクしますか?
株を買ったり、不動産を回したりするのって結局お金の為じゃないですか。いや、特定の支援したい会社の株を買ったり、人に住居を貸すことが意味のあることであるとか理由は作れますけど実際そんなこと思ってないですよね。いわゆる「お金を稼ぐために勉強して、お金を使ってお金を稼いでるわけですよ」
その先に何があるのかと考えると空しい気持ちになります。ビルゲイツみたいに稼いだお金で途上国の支援をするとかならまだ心が躍りますけど、そのお金で牛脂を腹に蓄えてゴルフ場の会員券でも買うぐらいだったらなぁ……(よく分からない何かに喧嘩売ってますかね、僕はサーロインもゴルフも大好きですよ)
恵まれた考えなんですかね。そう書いてる自分にも空しくなってきます。結局噛み付いておきながらスマートに小気味よく生きようとする自分を捨てきれない。そんな立場から理想や夢を語っても誰の心にも響かないんかな。
自分の記録ノートを読み直していると、姜 尚中さんの著書「悩む力」の記録の所にこんな引用がありました。
「(すると結局は漱石たちと同じように、)できる範囲でお金を稼ぎ、できる範囲でお金を使い、心を失わない為のモラルを探りつつ、資本の論理の上を滑っていくしかない」
→以降自分の文章。 お金を稼ぐために仕事をする。これは自分自身がお金に使われている操り人形のように思える。心を失わないモラルというものは自分の仕事に意味を持つことによって得られるものだと私は考える。第一に心に従い、それに付随して生きるに足りるお金が手に入る。そんな生き方、仕事が最高ではないだろうか。その為に今、今後4.50年は最低続く仕事に対して真剣に考えていく必要性がある。
やけに真面目ですね(笑)、いや過去の文章を読み返すのは恥ずかしい……
今こんなことを考えているってことは生き方に満足してないんでしょうね。医師として人を救う仕事ってのは確かに局地的に見れば意義があるのかもしれませんが俯瞰で見ればどうなんだろうという気持ちもありますしね。(その意見は本当に炎上しそうですが、でも今度書きたいと思います)
今回はまとまりのない文章で申し訳ありません。ではでは。
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