見出し画像

皆さんの生きる意味ってなんですか?

「あなたは自分の生きる意味ってしっかりと説明できますか?」
いつも会った人に一番聞きたい質問なんですけれども聞いたら絶対「こいつ中二病なんだな」と思われるから聞けないんです。

僕は医師という職業なのです患者さんにそんなこと聞いてしまったらそれこそ問題になりますしね(もしかしたら貴方のこと治したくないんですって意味にとられかねない)。

ですからこの質問はお互いに相手の顔が見えないこんな空間だからこそ成立する質問だと思ったんです。じゃあ聞くしかないなと。

もし良かったら教えてください。コメントしていただけるなら嬉しいです。

皆さんに聞いておきながら自分の考えを言わないのかという声が聞こえてきそうですね。ごもっともです。え、誰も言ってないって?
僕が言いたいから言うんです!!

僕の生きる意味は「死なない」ためです。

何言ってるんだと思いましたよね。僕もいつもそう思います。けれどもそう考えるようになってから少し人生を生きるのが楽になったんです。

いつも他人からは「挫折を感じた事なんてなさそうだね」と遠慮のない言葉を投げかけられます。確かにその他人が想像するような挫折はしてないかもしれません。けれども、ある程度のことが出来て環境にも才能にも特に不満が無い状況で生まれる行き場のない絶望感は確かにあるのです。

太宰治「人間失格」にこんな文章があります。

『その人たちの不幸は、所謂世間に対して堂々と抗議が出来、また「世間」もその人たちの抗議を容易に理解します。しかし、自分の不幸は、すべて自分の罪悪からなので、誰にも抗議のしようが無いし、また口ごもりながら一言でも抗議めいた事を言いかけると、ヒラメならずとも世間の人たち全部、よくもまぁそんな口がきけたものだと呆れかえるに違いないし…』

大学生になり「人間失格」を読み返し、この文章を読んだとき僕は泣きました。恵まれた僕の絶望感は確かに人に理解されないどころか激怒させるものであるということに気づいたからでしょうか。

そして人生を生きる意味が特に答えられない自分は太宰に習い、自殺を決意、決行しようしました。特に死ぬ意味もないまま。

けれどやっぱり弱いんですよね。地面を上から見下ろすと震え、一歩前に進むことなんて決して出来やしない。自殺できる人間は強いんだなと思って、更に絶望しながら泣きました。自分は一生懸命生きることも、死ぬことも出来ない人間なんだと。

そこからしばらく心の実がすっぽり抜き取られたような虚ろな日々を過ごしました。けれども大学にはどうにか行けちゃうし、恐らく周りにはそんなこと気づかれて無かったと思います。
中途半端に上手くできる中途半端な人間でした。

その後どう考えて今何を考えているか。それはまた次回の記事にしようと思います。先延ばしです。良かったらコメントお願いしますね。感想、叱咤激励も待ってます!(誹謗中傷は泣いちゃうかも)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?