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物事はらせん階段のように進んでくしかない

おはようございます、こんにちは、こんばんは、多田です。

皆さんは成長を感じていますか?そもそも成長って何なんでしょうね
身長がすくすくと伸びていた子供のころと比べて、自分の成長が確かなものとして認識できないので自分の進んでいる方が成長なのか後退なのかもあやふやになりますよね。
体重が増えていることは唯一進化ですかね。え、それは退化だって?まぁ価値観は人それぞれなので。

そんな冗談はさておき、自分の中で成長というものがこうなんじゃないかという感覚が最近芽生えてきたのでここに書きます。
それが題の通り「らせん階段のようなもの」だということです。

らせん階段ってあんな沢山上らされるくせに、全然上に進みませんよね。
けど、現実世界もそうなんだと最近思いはじめました。
同じ時間のXY軸での面積は広がっているけれども、時間のZ軸としては進みがゆっくりなんです。
そう思えば「こんなに時間も経って歳も取っているのに、自分って成長しないなぁ」と思うのは当然のことなのかなと思います。

また数年前には分からなかったこと、理解できなかったこと、共感できなかったことが、ふと腑に落ちることがあることってありますよね。それも座標軸での物理的な近さがあると思います。
自動的に進むZ軸の中で、過去のXY軸の位置に近づく、重なることで、後方視的な理解に繋がるのだと考えています。

Z軸上において急いで上に進めないというのは、山を登ることと似ているのかもしれません。
エベレストですら頂上への高さは直線距離なら10000mも無いわけです。10000mなんて距離なら、歩いても走っても数時間くらいしかかからないですよね。
でも、実際は山壁を指で横になぞるように時間をかけて歩いていかなければいけないし、急いで高みを目指すと高山病になります。

物事や概念や個人の進歩もそうやって回り道して、精神的高山病にならないようゆっくり進むものなのだと思います。

じゃあ、結局上には簡単に進めないし、成長なんてしないじゃないかと言われそうですが、僕たちにはXY軸上での自由な行動が許されています。というよりも時間のZ軸は勝手に進んでいきますが、XYの平面上のポジションは意識、無意識にせよ自己選択をする必要がある、そうでなければ座標としては動かない、と思います。

大きく動くことでXY平面上で大きな面積となり、それがZ軸上で上に進むことで塊となっていきます、まるで3Dプリンターで物体を作るかの如く。
そうして出来上がった物体が自分の人生そのもの、様々な個性的な形になると思いますが、はたから見てすごい人ってその物体が大きい人なんだと思います。まぁ一点集中の槍もカッコよさそうですけど(笑)
面積を大きくとるには、XY軸での自分のポジションを揺り動かさなければいけないはずです。それが自分のコンフォートゾーンから抜けた経験や行動を指すのだと思います。

結局何が言いたいのかは自分でも分からなくなってしまいましたが、脳内に人生のらせん階段を想起することで、意識的に人生の時々での選択肢を広く取ろうと意識づけられるんじゃないか、っていう話ですかね。

どうですか、皆さんもらせん階段はじめてみませんか?案外、認識としてあってるかもしれませんよ。だってほら、人間をコードする大本のDNAってらせん階段みたいですよね(笑)

そろそろ終わります、今日も読んでいただきありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします、ではでは。


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