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人間讃歌としての「ピンポン THE ANIMATION」

松本大洋さんの大ファンで、彼の作品を毎回楽しみに読んでいます。今回、アニメ版「ピンポン」をまとめて観ました。原作から20年近く経ってからのアニメ化でしたが、ピンポンの世界の雰囲気そのままに、新しい要素も加わっており、ちっとも古さを感じさせない素晴らしい作品でした。

作品の解釈は観る人に委ねられるべきで、私があれこれ言うのも余計なことは分かっているのですが、覚書として、また、考察をまとめる手段として記事を書いてみました。
作品の内容に触れますので、原作・アニメ版をご覧になっていない方はご注意ください。それでは、以下本文です。


① (序盤の)あらすじ

舞台は神奈川県藤沢市。星野裕(ペコ)と月本誠(スマイル)は小学生の頃からの卓球友達で、片瀬高校の一年生。才能に溢れながら、自惚れが強いペコと無愛想なスマイルは、他の部員から疎まれていた。
あるとき、中国ナショナルチームに所属していた孔文革(チャイナ)が強化選手として辻堂学園に招聘された。これを知ったペコとスマイルは、部活をサボって辻堂学園に偵察に訪れ、チャイナとの対戦にこぎつける。だが、チャイナの圧倒的な実力の前に、ペコはスコンク(完封)で敗れる。続けてスマイルとの対戦を望むチャイナだったが、スマイルは「どうせ負けますから」と言ってペコを連れて立ち去る。ペコの陰に隠れるように振る舞うスマイルに圧倒的な才能があることを、チャイナは見抜いていたのだった。
スマイルの才能を見抜いていたのはチャイナだけではない。前年度の全国大会を制した強豪、海王学園のエースプレイヤー風間竜一(ドラゴン)はスマイルを海王学園へ引き抜くために片瀬高校に赴くが、スマイルは不在だった。
夏。ペコとスマイルはインターハイ予選に出場する。スマイルの三回戦の相手はチャイナ。才能の片鱗を現しはじめたスマイルはチャイナ相手に優勢に試合を進めるが、負けると後がないチャイナの心境を慮り試合に敗れてしまう。一方ペコは四回戦で、幼馴染の海王学園に進学した佐久間学(アクマ)と対戦する。かつてはアクマを圧倒していたペコだったが、努力を重ねたアクマの堅実なプレーの前にまさかの敗北を喫する。


② 作品の考察

「才能か努力か」という議論はしばしば俎上にのぼりますが、この問いはピンポンという作品のひとつのテーマになっています。
小さい子供に将来の夢を尋ねたときに、「プロ野球選手」と答える子供は多くとも、「草野球選手」と答える子供はあまりいないと思います。人間とは何かを始める際に「自分は特別な存在なのだ」という肯定感や期待感を動機にするものなのかもしれません。しかし、ほとんどすべての人間がその過程で挫折や敗北を味わい、自信の揺らぎに直面します。
ピンポンの登場人物も、さまざまな形でこの問題に直面して苦しみます。見下していたスマイルに敗れ、卓球から足を洗うことになったアクマ。ナショナルチームを去り、辺境の島国でさらなる挫折を味わうことになったチャイナ。強豪チームのエースとして様々な重圧に耐えながら達した高みを、ペコに易々と超えられていったドラゴン。彼らはみな我々凡人からすれば大変な才能の持ち主であり、尋常ならぬ努力家です。ですが、どれだけ努力しても到達できない高みがあるという現実を、この作品は厳しく提示します。換言すればこの作品は、「努力すれば必ず報われる」といった類の安易で舌触りのよい結論から離れたところにあるものだと思います。そしてもう一歩踏み込んで考えると、「努力は無意味か?」という命題も、ピンポンを語る上であまりそぐわない気がします。スポーツを題材にした多くの物語が、努力の意味性という枠内で語られる中で、それを超越したところにこの作品の意義があると思います。

そして、私がピンポンという作品の最も素晴らしいと思う点が、努力の意味という呪縛から離れてなお、人間讃歌になっているところです。才能があるからないから、努力できるからできないから、そういうことじゃなくて、何の因果かこの世に生まれ落ちて、苦しみもがきながらもどうにかこうにか生を繋いでいき、さまざまな人生の模様を紡いでいく。その様のひとつひとつがかけがえのないものだということを、この作品は教えてくれているのだと思います。
社会人となったドラゴンは、不調から日本代表メンバーを外れてしまい、スマイルにこう漏らします。

「時々考えるんだ。自分はこのまま凡庸な選手で終わってしまうのではないかと」

それに対してスマイルはこう答えます。

「いいじゃないですか、凡庸。僕割と好きですよ、そういう選手」

これは風間への憐憫や安易な励ましではないと私は思います。なんていえばいいんでしょうね、少し大袈裟ですが、これは「祝福」だと思うんです。

作中の挿入歌「手のひらを太陽に」にこんな歌詞があります。

手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
(中略)
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから うれしいんだ

感情の起伏に乏しく「ロボット」と揶揄されるスマイルは、擦りむいた膝から滲んだ血を舐めて「血は鉄の味がする」ことを確かめます。孤独という殻に閉じこもる彼ですら、最後の最後のところで自分が「生きている」ことを確認することで自分を支えているのですね。

「結果がすべて」とか「努力は人を裏切らない」とか「効率」とか「SDGs」とか、世界は驚くほど多くのスローガンに満ちているように思えることがあります。ですが、そういうものから離れて、もっと根元にあるものを見る権利が我々にはまだ残されているのだということを、この作品を観ながら感じました。
チャイナのその後とか、風間一族のストーリーとか、新たに加わった要素もアニメ版にはありましたが、ピンポンという作品の本質的な魅力は十分に引き継がれていると思います。原作を読んだ方もそうでない方も、機会があればぜひご覧になってください。


③ おまけ(元卓球部あるある)

元卓球部員としてもアニメ版を色々楽しみました。あるあるだなあ、わかるなあ。と思った点をいくつかご紹介します。

まずはOp。アニメーションかっこいいですよね!ペコのサーブシーンとかたまりません。
この左手の感じ!
今は禁止されていますが、昔はインパクトの瞬間を隠すために体や左手でラケットを覆うようにサーブしたものです。

ラバーの質感もいいですね。スポンジ面をハサミで切った後のちょっとギザギザした感じとか。合板の感じもいい!
実写版でもありましたが、インパクトの瞬間の精密な描写はアニメ版でも健在です。粒高のぐにっと倒れる感じとかね。粒高の相手嫌だったなあ…
今はペンホルダー使う選手ってほとんどいませんけど、ペコみたく裏ー表反転式ペンの時代もまたいつかくるかもしれませんね。

YGサーブ!初めて見たときは衝撃でしたね。
チキータやミユータなど、新しい卓球技術も無理なく作品に取り込まれていて、ニヤリとしちゃいます。



いかがでしたでしょうか。
他にも、ヒーローとはなにか、百合枝さんの存在とはなにか、アクマの台詞がなぜ変化したか、など色々考えたことはあるのですが、キリがないのでこの辺で。
作品をご覧になった方がおられれば、ぜひ感想をお聞かせください。
それでは、読んでいただきありがとうございました。