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村上春樹「海辺のカフカ」レビュー(1,054字)

村上春樹の「海辺のカフカ」を読んだ。読了後は、良い感情と悪い感情が入り混じった感覚がある。
 
物語の最初は特に何事も起きないが、家出する「僕」とどう繋がるか分からない人物が徐々に距離を詰めてきて、どんどん読み進めたくなった。
一番好感を持ったのはナカタさんだ。猫と話せて、黙々と家具作りをしていた姿が印象的で、そのまま平和に過ごしてほしいと思うけれど、主人公の「僕」と佐伯さんに関わる方向に進んでしまい、何度もナカタさんを止めたくなった。
 
作中にガルシーア・ロルカが引用されており、学生の頃に合唱団で彼の詩を歌ったことを思い出した。ロルカの詩に、実を結ばぬ自分を同じく実のならないオレンジの樹と重ね合わせたものがあり、作中の「僕」との同調が感じられた。
ロルカはスペイン戦争で亡くなるが、「僕が死ぬだろうとき、僕のギターと一緒に埋めてくれ」という詩がその通りになる。図書館で出会う大島さんと「僕」が言う、スペイン戦争で死ぬことが本を愛するものとして一つの自己実現になるのも分かる気がする。
 
作中歌の「海辺のカフカ」中に登場する2つのコード(和音)について、筆者は具体的なコードを想定しているのかが気になった。
 
佐伯さんへの恋の描写は、深く共感できた。「あなたが必要とすれば、私はそこにいるんだって」と、”僕の想像の中”の佐伯さんが言うように、恋をすると自分の都合のいいように考えてしまう。相手の気持ちを変えることはできないが、好意を口にすることでこちらに振り向かせることはできる。
 
表現方法では、性的描写が直接的すぎて、登場人物の側に気持ちが寄れなかった。男性にとって都合の良いことが起こりすぎていて、これなら官能小説を読んだ方がいいんではという表現だ。猫殺しの表現もかなりグロい。もうやめてあげて。
この点は筒井康隆もかなりのエロ・グロ表現をしてくるが、筒井の場合は、人間なら当然持っている感情を、妄想とユーモアで昇華してくれるので、自分も登場人物の側に入り込める。もっとやって、と言う気持ちになれる。
 
作品の悪い印象は以上の表現の点で、ストーリー、人物描写は大いに楽しめた。主人公のちょっとした成長には納得できたし、星野さんのナカタさんを助ける行動も理解できた。大島さんは中性的か。
一方で、さくらや、カーネルサンダースが連れてきた女性の行動は意味が分からないところが多い。やはり男性が想像する勝手な理想に過ぎないのか、そもそも女性の気持ちなんて簡単に理解できるものでないのか。他の村上作品ももう少し読み進めたい。


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