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2023年6月10日(土)

名刺交換代わりに渡したステッカーのお返しに
湿布をもらって約1ヶ月が経った。

マスターのホリさんからお願いされていたお店のステッカーが完成したのでデザイナーの毛柴さんと一緒にHOLLYへ向かった。

マッチ箱に使用したデザインでステッカーをつくってほしいと前回依頼されたのだ。

初めてお店へ訪問した2月に見せてもらったマッチ箱は全部で3つ。
すべてホリさんが自分でデザインしたものだ。

毛柴さんはどのデザインでステッカーをつくるか確認するために、
何度か一人でお店に足を運んだそうだ。

ステッカーの用意ができたから一緒に渡しに行こうとお誘いを受け、
約1ヶ月ぶりにホリさんのところへ会いに行った。

この日は午前中、青空市の手伝いをしていた。
毎年楽しみにしているヤングコーンをお裾分けしようと持っていった。

「おれはコーンはきらいだ」と断られた。

みかんを持っていったときは
「随分とちっさいみかんだね」と言っていた。

ホリさんのこの調子にも段々慣れてきていた。

じゃあ、桃はどうです?と言って袋から出すと
「随分固そうな桃だね」とホリ節は変わらない。

「おれは柑橘系が好きなんだ」

そう言いながらも桃を受け取り皮を剥き、桃を切ってお皿に乗せてくれた。

なんだかんだホリさんは優しいのだ。

桃の上手な切り方知ってる?といって披露してくれた

「いいデザインだね」
ステッカーを渡すと嬉しそうだ。

私たちも記念に数枚もらい、残りは全部ホリさんへ渡した。

「マッチ箱を集めて、わざわざもらいにくる子もいるんだよ。
マッチがなくなったら代わりにこれを渡そう。」

ステッカーの出来を確認したホリさんはキッチンへ戻る。
キッチンからはジューっと何かを焼いている音が聞こえる。

しばらくすると
「はい、シールのお礼」といってタマゴサンドが出てきた。

HOLLYのサンドイッチでアメリカンサンド以外食べるのは初めてだ。

タマゴサンドは玉子焼きサンドだった。
カラシマヨネーズのほんのりツーンとする感じが玉子との相性がよい。

ちょうどお客さんがいないタイミングで
3人でゆっくり会話ができた。

「あんたこの辺のこと知ってる?」といって
ホリさんは何やら資料を取り出してきた。

昔の浅草の地図だ。

「ここが浅草宝塚劇場があった場所。花月劇場はここにあった。」

他にも仲見世通りの昔の地図を見せてくれた。

「ここにナガシマって喫茶店があったんだよ。100席くらいあって広かったんだよ。”キ”って書いてあるのは喫茶店のことだからね。」

店舗は一階に洋菓子販売スペース、一階の奥と二階に喫茶室、二階の奥にパン・ケーキ製造所、地階はアイスクリーム製造所と巨大なウォークイン型の冷蔵庫があったという。店の三階には独身従業員の男子寮があり、女子寮はナガシマの裏手にあったそうだ。

「HOLLYが伝えるナガシマの記憶(東京・向島)」戦後と喫茶店/鈴木文代 

地図の次には「ナガシマ」についてまとめられた資料と、HOLLYのインタビューが載っている「戦後と喫茶店」という本を見せてくれた。
HOLLYが掲載されているページには、すぐに開けるように水色の付箋がついていた。

どんどん昔の話を教えてくれる。

マスターは「ナガシマ」で下積み時代を過ごしたという。マスターの奥様はナガシマでホールのスタッフとして働き、マスターはサンドイッチ製造部門だったそうだ。

ナガシマは浅草の老舗洋菓子喫茶のひとつで、数十年前に閉店しており伝説の喫茶と言われているらしい。

ナガシマは戦前に鳥越で創業、パン製造•販売を行なっていたが戦後は浅草に移り本格的に洋菓子の製造を始めた。
昔の文献を探しても浅草の老舗洋菓子喫茶は「アンヂェラス」や「ボンソワール」の紹介が多く、「ナガシマ」の記載は多くない。

「HOLLYが伝えるナガシマの記憶(東京・向島)」戦後と喫茶店/鈴木文代

そして23歳、東京オリンピックが開催した1964年に喫茶HOLLYとして独立。
現在の向島のお店に移転してから約30年。
2023年12月24日で創業60年を迎えるという。

「そういえばあんた、もし日曜日にうちの店をやるならマヨネーズを教えてあげるよ。うちのマヨネーズは自家製なんだから。」

約60年、変わらず毎日つくり続けたサンドイッチに使われている
自家製マヨネーズ。
そんな簡単に教えちゃっていいのか、と内心驚きながらも
教えてほしいですと答えた。

「必要な材料を持ってきたら教えてやるよ」

なんだかよくわからない展開だが、ホリさんとの会話が楽しかった。


最後の桃の一切れを食べた。

「あれ、桃、もしかして全部食べちゃったの?」

柑橘系が好きだというから、桃はてっきり食べないのかと思い
ホリさんが剥いてくれた桃を二人で食べてしまった。

「なんだよ、ひどいなぁ〜。」と笑いながらホリさんはいう。

また果物もってきますよ、と約束してお店をでる。

はじめてお店へ来て、帰るときは
「あんた二度と来ないだろ」と言われたが、
「もう帰っちゃうの?」と外まで見送ってくれるようになった。

前回、キャップを被りながら写真を撮ったことを覚えていたのか
「今日は写真撮らないの?」と言われた。

少しずつ関係が育っていることが嬉しい。
HOLLYの横に牛のシールは貼られたままだ。

82歳、まだまだ元気でいてほしい。
青空市で墨田の近くへ来たときにはホリさんへ会いに行こうと思うようになっていた。

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