給食という呪い

 会食恐怖、嘔吐恐怖、それに加えて完食恐怖(こういった用語があるのか分からないが完食への恐怖が強いためあえて完食恐怖としたい)、そういった食べる事への恐怖についてきっかけから書いていきたい。

はじまり

 学校給食がきっかけだった。少食で食べられなかったが、好き嫌いで食べないのと区別なく食べ残す事を罰する教師が多くいた。皆が食べ終わった後、まだ全て食べ終えていない者は食べられなくとも食器と睨み続け食べられないのに食べようとしなくてはならない。食器などを回収する時間には食べ残しは流石に回収されるが、その時間がとても長く感じられた。そのときの気持ちに適した言葉が浮かばないが、何か失敗を思わせる恥や劣等感、後ろめたさ、悪い感情を繰り返し植え付けられた。
 また食べきれないから先に少なめに盛り付けてもらう場合にも毎回教師に量を減らした皿を見せ了承を得る必要があり、食べられないのが悪、異常かのように思わせた。
 それでも1人につき数で決まった品、パンやコロッケなどのフライなどは減らせないため、食べたふりをしてこっそり隠して持ち帰り家のキッチンのゴミ箱に捨てていた。その罪悪感、惨めさは残っている。
 明日の給食の献立を見ては食べられるだろうか考えて憂鬱な気持ちばかりで、給食のせいで学校へ行きたくなかったし休む事もあった。

 そうやって小学校の給食により食べる事への苦手意識を学ばされた。

潜伏から自覚

 高校生になれば給食はなくなり弁当となる事で安心し解決したかに思えた。しかし、鬱病となった20歳前後にはストレスが吐き気に出るようになる。誰かと食事をしているときにも吐き気でトイレに駆け込む事があった。     そこから誰かと食事しているときにまた吐き気がしたらどうしようという「会食時の吐き気への予期不安」を意識するようになる。その不安のとおりに実際吐き気が起こるのが10回に1回であっても会食時に吐き気がして駄目だったという事実が恐怖を大きくしていった。

会食恐怖から完食恐怖へ

 そのうちに会食を避けられる場合はなるべく避け、どうしても避けられないときには頓服薬で不安を減らそうと努め酷く精神を擦り減らした。それも数年で限界となり、避けられない会食も避けるようになった。会食恐怖症であると伝えて断るようにした。伝えるのも苦しかったが、それ以上に会食の場面から逃げたかった。
 しかし「会食時の吐き気への予期不安」のうち会食という機会を取り除いただけで「吐き気に対する予期不安」は消えていなかった。その事に気付くのは、これまで一度も不安の無かった実家での食事中の吐き気がきっかけだった。会食でないのに何故吐き気が出たのか、食べきれないと思ったからだ、小学生の頃の給食のときのように。
 
 思えば自分が外食など料理を選ぶとき、これが美味しそうだとか考えなかった、完食できそうかどうかしか考えていなかった。小学生の頃からずっと「目の前に用意されているものを全て食べなくてはならない」という強迫観念が呪いのようにあった。

 それからは実家での食事、団欒にも不安がついて回った。調子が悪いときは食べられずに心が落ち着くまで横になった。ただし家にいて症状が出る分には、横になることができ、気分がよくなれば少し食べてという融通が利き生活への支障は少なくて済んだ。
 それでも不安から吐き気の症状を多く繰り返すうちにひとりで食事をしているときにも「吐き気への予期不安」により食事の手が止まることも増えた。食べるということへの苦手意識が大きくなりすぎ手が付けられなくなっていた。

克服は困難としても

 ある程度の生活はできるように考えなくてはならない。そこで、最近の症状が出る場面、そのときの感覚などを書き出してみる。

・疲れているとき
  気分が落ち込みやすく不安を抑え込めない
・夕食時
  夜になると疲れが出てくる点、夕食が一番料理の量が多い点
・個別に盛られた料理のとき
  これだけは自分が食べなくてはならないというプレッシャー
・テーブルの上に多くの料理が並び食べきれないと感じたとき
  食べきれないというイメージが不安を与える
・緊張しているとき
  疲れているときと同じく不安を抑え込めない
・口の中に多く入れすぎたとき
  口の中にあるものを吐き出してはいけないと思うとよくない
・これだけ食べきればちょうど完食だという直前の2、3口
  食べきらなくてはならないというプレッシャー

 これらをみると完食の脅迫観念、普段のコンディションの問題の2点が主に思う。
 不安を抑え込めるくらいのコンディションを安定的に作る必要がある。それができれば苦労しないが、体力をつけて疲れにくくし、リラックスできるように色々な方法を試し続けるしかない。
 完食への脅迫観念には、最初から残す前提で食べ始めるようにする。これを残したら次の食事であれと一緒に食べようなど。3食できちんと食べなくてはならないという考えもなくし、食べたいと思える時に食べるなどしていきたい。

結局のところ

 嫌なことにばかり目に入り頭の中で膨らんでいかないように、好きなこと嬉しいこと楽しいことを視界の隅に見つけては頭の中へ丁寧にしまっていく、それだけ。






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