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*自分の花を持つ(カサブランカの思い出)

家紋とか皇室のおしるしのお花とか、花はその家を象徴するものです。お客様のおひとりで海外の映画を紹介するお仕事をされている女性社長さんがいらっしゃいました。


数年前のお話です。私が朝出社すると、すでに電話が鳴っていたのです。あわただしく電話に出ると、彼女の秘書の方からの第一声は「出来るだけたくさんのカサブランカを明日までに用意してくれないか」というものでした。

その言葉で私はすべてを察しました。その会社の女性社長さんの危篤がここ数日伝えられていたからでした。その方は、開業当時からのお客様で、いつも暖かく、私たちの仕事に理解を示してくださった方で、50歳を過ぎたばかりのあまりにも早すぎるその知らせでした。

彼女は、映画とお花を愛した女性でした。彼女は海外出張から帰ると必ず電話をくださって、「私だけど、今度の週末は家にいるから、いつものお花をお願い」とオーダーをくださいました。いつものお花というのは、カサブランカ10本という内容でした。


カサブランカの初期(1985年頃)は、数も少なくて1本4000円くらいしていて、最高級品の代名詞で、家に飾るのには贅沢な時代でした。
彼女が素晴らしいのは、彼女の大好きなカサブランカの綺麗な季節、それも一年中でその花が一番綺麗な7月の上旬に亡くなられたことです。こんなオシャレな最期を迎えたのは、映画プロデューサーの彼女ならではの演出だったのでしょう。渋谷にある古い教会で行われた葬儀には、たくさんのカサブランカが、祭壇の写真を取り巻いて飾られ、献花は勿論カサブランカでした。


彼女ほどカサブランカの似合う女性を私は知りません。カサブランカを心から愛し、カサブランカという自分の愛する花を持った彼女の生き方は、花を一生の仕事にしている私にとっても羨ましい、精神的に余裕のある清々しい生き方に見えました。「自分の花を持つ」カッコ良さを心の底から感じた瞬間でした。

入り口に置いてある、ジャンヌモローと一緒に撮ったお気に入りの写真に写った彼女が「イングリイッドバーグマンほど美人じゃないけれど、映画関係者としてはカサブランカとちょっとシャレてみただけ。カサブランカの綺麗な時にサヨナラだね。」と聞こえた気がしました。

私は最高のオランダ産カサブランカをいつも届けました。本物の花を飾っていただいて、彼女が自分の花を持つお手伝いが出来たかと思うと、妙に満足する感情がありました。


よく、衣服を着こなすという言い方がありますが、花には、それに値する言葉が見当たりません。「自分の花を持つ」ことがどんなに希少なことなのかを裏付けているのかも知れません。


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