夢は見ないと決めている


画像1

「イリスはどうなっていきたいのか?」
「こんなにたくさんのファンができたらちゃんとビジョンを示して
応援してもらえるようにしたほうがいい。」
「ミュージシャンなのに夢がないなんて。」
「夢見ようよ。」

と問われた時期があった。
(イリスとは私がやってる音楽パッケージイリスアンダーグラウンドのことである。)


やれやれと思いつつも、どれ、夢について考えてみるかなあなんて思っていたところテレビ番組「ぼくらの時代」に立川志らく氏が出ていて
「最近はオファーあったらとりあえずなんでもやってみるんです。
もしかしたらそれで落語がめちゃくちゃになるかもしれないけど。
談志の遺言が『人生、成り行き』でしたからね。」と言っていた。

ああああああ。談志。
「人生なんて食って、寝て、やって、終わり」って言ってた人。
ああああああ。談志。

講演家の中村文昭氏は
「夢は見ないよ。自分の小さい頭で考え付くような小さいことには興味がない。」
と言っていた。そのときも「YES!YES!」と頷いた。

夢を掲げてそこに作戦を立てて実行していくのは正しいし楽しいのかもしれない。でも向いてない。どこにたどり着くのかわからない方が面白い。
潜在意識が用意してくる現実に文句言いながらのっかる方が面白い。

夢は見ないけど自分の内側から「これやりたい!」と湧いたものは
ほとんんど拾っている。時に無茶なこともあるけどなるべく拾っている。


私と兄は4つ離れているが、その間に生まれてこれなかった命があったという。母はその子のことをたいそう気にしていた。きっと今でも気にしていると思う。なんでも妊娠中に仕事場で火事があってめちゃくちゃに動いてしまって、その時のせいで流れてしまったんじゃないかと言うのだ。

「宿りたい」ということが目的の魂がいる。
流れてしまったのは、誰のせいでもない。かわいそう、とも限らない。
もうひとりの兄ちゃんか姉ちゃんに会ってみたかったなあとは思うし、母はもちろん産んであげたかったろう。だからって気に病むことはないのだ。


どこかにそのことはずっとよぎっていて、自分の内側で衝動が起きたとき、
それが顕在意識とずれていたりするとき、もしかしたらその子がしたい体験なんじゃないかと思うことがある。潜在意識の勉強をしたら、ずれていく理由はわかったんだけど、同時に、そういう存在も自分の潜在領域に今も要る可能性もわかる。縁のあった魂だからだ。

どちらかはわからない。私がどこまでもわがままに生きたいので
「生まれてこれなかったお姉ちゃんの分」を口実にしたいだけかもしれない。そういえば、私はかなり頻繁にラップ音が聞こえる。
ほんとかどうか知らないけど「その子の音だ」と言われたこともある。
私はその音が好きで、出張先でもちょいちょい鳴らしてくるので
「あら来たの?」と会話してることがある。

ほんとのことはなんだか全然わからない。

夢は見ないけど、現実はけっこうファンタジックなのだ。
ファンタジックというかオカルトというか。
そのへんのお話は著書「癒しのやさぐれ」で書いた。

夢があるかどうかじゃなくて、ようするに前向いてご機嫌に元気に生きてりゃいいじゃんってことだと思う。小さな「やりたいこと」の延長線上に大きな「やりたいこと」があるんだと思う。小さいことで実績作って、初めて大きなことをやってみてって発注が来るような気もしてる。

まずは今日、自分を喜ばせて生きたか。それが大事さ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?