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コロナで打撃を受け、オフィスをリニューアルして1ヶ月の経過。ついでに創業からここまで思うことをまとめてみる。

2020年10月31日。事業を少しリニューアルして1ヶ月、HOLDER第4期の1ヶ月を終えました。

リニューアルを終えて1ヶ月の経過について思うことをまとめてみる。

コロナの影響もあり、いくつか自然発生した空室を今までのレンタルオフィスではなく、短期貸のオフィス兼MTGスペースに変更しました。

プロモーションもしていないし、知名度もない中、少しずつお問合せをいただき、ご利用をいただくことができました。

いわゆるアーリーアダプター的な方々(スタートアップ・ベンチャー)が中心ですが、大手企業のご利用も。定期的にご利用いただく企業も増えています。1日利用のオフィスは予想以上に好評です。

仕事=会社=オフィスという常識が変わり始めた今、本当に働き方が多様化してきて、一部の方(おそらく感度の高い方々)にご評価頂けているのは嬉しい限りです。

いつもながら、すごく小さな市場を自ら作って広げたい。やっと、まだ少しぼんやりとはしているけど、いまやるべきことが定まった気がします。

せっかくなので、ここまでの経緯をあらためて整理してみることにする。

26歳で前の会社を起業して、経営者としては本当にでたらめだったけど、命をかけて事業をやってきた自負だけはある。いくつか小さなヒットも作ったし、いくつもの失敗も経験した。

途中いろいろあったけど、一般的には順調に事業を拡大していた15年目(今から5年前)くらいになって、何か自分で作った会社の社長というレールにのっかっているだけのような自分に嫌気がさした。

なんとなくうまくいっている人みたいな中途半端な結果を受け入れてしまっている自分。現場は社員にまかせて社長が実務をやらなくてもまわる組織を作るべきと言われる。で、自分はいったい何をすんだ?となるから新規事業を作る。でも、またある程度形になったら社員に渡すんだろうということはわかっている。

そういうことに多少もんもんとしていたり、時代も変わってきたし、いくつかのきっかけもあって、自分で作った会社とかすべての現実と少し距離を置いて沖縄で事業を作ることにした。

当時のキャッチフレーズ「もっと暮らしやすくなるための日本づくり」。ただ純粋に、せめてそれを実現しようと思っているということを、そういう動きを具体的にしたかった。

その後、福岡や埼玉に倉庫を作ったり、札幌に拠点を増やしたり、資金調達をしてみたりTVCM作ったりそこからは数年色々やった。売上も創業10年くらいで2億(粗利だけど)くらいだったものが16億(粗利ではぜんぜんないけど)までの規模になった。

でも、どれだけ動いても、結局、あの嫌気の根本的な原因は解決できなかったのかも知れない。(キャッチフレーズに近づいていた気は個人的にはしていたけど、会社としてそうなっていたわけではないのだろう。本当にずっとスタンドプレイがすぎた社長だったと思う。)

結果、自分の会社から独立した。(2009年にも新会社作って自分で謀反を起こすという意味不明なことをしたけど、今回はもっとガチ。本当に離れる)

資金調達までしていたし、新卒採用の際はご両親に挨拶に行っていたし、多くの取引先との約束とか。色々なものをないがしろにすることになってしまった。突然の退任。関係者の皆さんにかけたご迷惑は一生忘れてはいけないと今でも思う。パートナーさんやクライアント含めきちんとした挨拶もほとんどしていない。

ただ、その退任は、すべての関係者の皆さんのためになる決断だったと今でも心から信じている。悲しいとか寂しいとかいう感情は今もほとんどないのは、今でもそう信じているからだと感じる。

その当時の自分の持ち株(全部ではないけど)を買ってもらって作った事業資金で、HOLDERを作った。もう一回、何もしがらみのないところで、全力でチャレンジをしたかった。ある意味うまくEXITしたと思われたかも知れない。一瞬そんな気分も味わったけど、どっかにお金をプールするようなことはしたくなかったから、基本全部つっこむと決めた。で、実際にそうした。

さて、HOLDERはスタートした。

入札型(今は辞めました)のシェアオフィス。今までの知見もいかして、デザインや家具にもこだわった。オフィスも所有から利用にかわるはず。今でも入札という発想は悪くないと思うけど、なにせ資金が足りなかった。あっという間にお金がなくなって、車を売ったり、自宅を縮小して生活を圧縮したり、追加でも全資金をつっこんだけど、ほとんど底をついた。

失敗なれしているからか、不思議と焦燥感はなかったかも知れない。新しいことを始めるときに失敗はつきものだし、オリジナルをはじめていきなりうまくいくなんてわけがない。後悔もない。

できる改善を続けるしかない。苦し紛れにスタートしたシェアスペース事業がある一定の成果を出した。贅沢に空間を作ったおかげで評判が良い。スクールやセミナーなど想定外のクライアントがリピートで利用を続けてくれていた。オフィス以外のクライアントとの接点はいろいろと考えるきっかけになった。

スペースシェアのマッチングサービスにも登録した。スペースマーケット等の手数料35%という設定にびっくりした。サイトの使いにくさやごちゃまぜ感も含め、ここは改善の余地が大いにありそうだなと感じた。いまだに多少使っているけど、正直満足度は低い。

とにかく、少しでも売上が上がるようにできることをやってみた。それでも限界があるので、運営をどんどんコンパクトにしていった。一人で全部をやるしかなくなっていった。

朝はやくにトイレ掃除をしたり、テーブルを拭いたり、備品補充したり、ゴミ捨てして、掃除機かけて開店する。自転車で2拠点まわって。昼間も受付業務や日常品の補充業務とかをやっていると、数億の資金調達までした会社を辞めてまで何をしてんだろうな。と、時々思う。

ただ、結果はいまいちだけど、勝負はあきらめてなかった。

オフィスを完全にもたなくなる時代は来ないかも知れないけど、ありかたは変わっていくと信じてたので。BtoBでもシェアスペースという概念がもっと拡大するような気がする。と、なんとなく思っていたりした。

そんな中、コロナが発生した。

入札で契約いただいたので想定外に安かった賃料を更新(あるいは終了して再募集)して、やっと値上げできるかなと思っていた矢先。

最悪のタイミングだったと思う。目論見が全部ふっとんだ。

まず入居企業に契約更新の確認をしたところ、いくつかの会社が解約を伝えて来られた。

第二の柱のシェアスペース事業(スクール、イベント等)も完全にゼロになった。

世の中的にはこれからはレンタルオフィスとかコワーキングは伸びそうだとか言われていたけど、そんな悠長な状況でもない。

緊急融資とかの話を聞いて、大手都市銀行に相談したけど相手にされなかった。お忙しいのは理解してるけど、こんな対応あるか?と思った。

これ以上失うものは何もない状態

さて、コロナ真っ只中に生まれた空室たち。さりげなくホームページで募集。たまにお問合せもくるけど、いまいちフィットはしない。足元見られるような話も。

そこで、思い切ってもっと契約とか使い方とかをコンパクトにしていこうと思った。空室になったレンタルオフィスを短期貸のワークスペースにコンバージョンしていった。

まとまりはないけど、これが経緯。ずいぶん紆余曲折したし、今でもしている。

で、いま、お陰様でちょっと光が見えてきた状態。手応えは感じる。リピート率が高くなじみの方が少しずつ増えていく。ありがたい。

いま新サービスを作っています。

数日だけとか、数時間だけ集まって仕事をするときに少しでも快適にすごせる場所。そこを探している方々が案外多いという仮説は多少検証された。

米国でうまくいっているものをやる的なのは趣味ではないけど、breather的なサービスはこれからの時代のニーズにあってる気がするし、そんなニーズを満たせるようなサービズを作ろうと考えています。あそこまで資金はかけれないしアセットも持てないけど。

反骨精神が足りなかった事に最近気づいた。

HOLDERでいけてるサービスを作る。そんなことを模索している中、尊敬する創造者、コム・デ・ギャルソンの川久保玲さんが大変めずらしく最近TVインタビューを受けられているのを発見。

こう語られていた。

『反骨精神』って言ったらおかしいけれども、何か普段から『こんなことがあっていいのか』と思うことに対していつも憤りを感じながら、それをエネルギーにしながらやってきたということだと思います」

川久保玲さんは78歳。久しぶりに頭をかち割られたような衝撃を受けた。

昔こんなこともおっしゃられていた記事を見た。

「作品に対し『よかったですね』『綺麗だったですね』と皆から評価を受けたら、不安で仕方ないです。そんなにわかり易いものを作ったのかと、自己嫌悪に陥ってしまいます」

世の中になんと思われようと、別にいいじゃないか。

そう思えなかったからモヤモヤしてたんだと思う。新卒で入ってきても、年を重ねたり家族が増えたりすると、当然に価値観も多様化する従業員。社会も変わっていく中、関係者にどうやって満足してもらうか。幸せにするか。過去通用していたベンチャーの勢いで乗り切る感がいまいち通用しなくなる時代。間違えるとすぐにブラックと言われる。そうならないように枠組みの中で勝負をする。ゲームとゆうかルールはより複雑化してきた。

資金調達もして、多少注目され、売上も伸ばして社員も増える。失いかけていく会社としての、リーダーとしての反骨精神。受け入れられず、とはいえ手を打てず、結果的には自分で作った会社を無責任に辞めることになった。

時代とか、人とかそういうものを言い訳にしていたのかもしれない。

心の中にある憤りを素直に感じて反骨精神でいこうと思う。

コロナは社会を変えたんじゃなくて、きっかけ。実は前から少しずつ変わりはじめていた合理的な社会(多くの矛盾や不完全が混在している)に少し近づけた。一時的な影響もあるだろし、これをきっかけに変わっていくものも多いと思う。

個人的にはこの数年でいろいろ失ったものも多いけど、いま、久しぶりにみずみずしい気持ちで仕事に向き合えていることは幸せなことだと思う。もうこれ以上失うものはないし。

心の中にある憤りを素直に感じて、反骨精神でいく。

新しいものを、新しい価値を作るしかない。こんなチャンスめったにない。

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