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クラスのブームから学んだこと

私が中学生だった頃、よく周りの大人たちはこう言った。
「大人になったら学生時代が一番楽しくて楽だったった、絶対戻りたいって思うことになるよ」
そうして大学生のときに大人と呼ばれる年齢に達したが、未だ学生時代に戻りたいと思ったことは一度もない。あの時そんなことを言っていた大人たちは、本当にそう思っていたのだろうか。

私は、中学校からシスターと呼ばれる、キリスト教の教えに従い生涯を社会に奉仕すると誓った女性たちが運営する中高一貫校に通っていた。中学校は男女別学で、男子とクラスは分けられていた(クラブ活動や、一部の授業は合同だった)。だからだろうか。中学生の頃の私は、山田詠美さんの小説で、カッコいいように描かれる少年少女の良さがちっとも分からなかったし、まだまだ子どもだった。
その学校は、校則が厳しい学校で、秀才が多く、授業も進行が速かった。授業についていくのがやっとだった私は、成績が良いことが全てだと思い込み、勉学に関係のなさそうなもの(娯楽は除く)をことごとく切り捨てた。
社会人になってから、その切り捨てたものの重要性に気付き、拾い集めて育んでいる。

その時の私を振り返って思うことは、確かに若くて可能性に溢れていたかも知れないが、ただそれだけで、浅はかだった。目の前の事以外は盲目的で、容易にあの時の自分にとって必要だと判断し、そう思い込んだものだけを大切にした。それでも、一つの過程として、ムダなことではなかったはずだ。そして、その一つの過程として、愚かさが頂点に達する時期があった。

私や、クラスメイトたちの愚かさが頂点に達したのが中学校2年生の14歳のときだ。
そして、クラスで大流行したものは、なんと男性下着のトランクスだった。

私のクラスは、全校生徒の中で柄が悪いと有名だった。ほとんどの少女は目立たない子だったが、数人派手な子がいた。その中で、特に軍を抜いていたのが、昔の任侠映画のチンピラのようなKさんだった。その子が、トランクスの大ブームを巻き起こした。

中学校での生活に慣れだした、中学2年生の春の頃だ。
体育の授業の前に、更衣室で体操服に着替えていたときのことだった。いつもこそこそ着替えるKさんをじっと観察していた子が、突然駆け寄ってKさんのスカートをつかみ、ぶわっとめくった。そして、「K、トランクスはいとーよー!」と叫んだ。
「バカじゃないの、やめてよ」とKさんは怒るが、なおもその子は止めない。呆気にとられて様子を見ていた私たちは、次第にバカみたいにおかしくなって、笑い転げた。
体育の授業後が始まって、先生に注意されても落ち着かない。しまいには、「先生、女子がトランクスはくのってどう思いますか?」と質問攻めにする有り様だった。Kさんは口をへの字にしたまま、仁王立ちしていた。

弱い子だったらいじめの対象になっていたのかもしれないが、Kさんは強く、成績もずば抜けて良く、ある意味では少女たちの理想的な存在であったのかもしれない。
Kさんが「トランクスはスースーして気持ちがいい」と言うと、トランクスを穿いて学校に来るクラスメイトが続出した。それを聞いて興味が湧いた私も、何を解放したいのかさっぱり分からなかったが、スーパーの衣料品売場で母におねだりして購入してもらい、実際に小さなサイズを穿いてみたが、その当時の私はチビでガリガリであったため、ズルズルと落ちてきて、パンツとしての役割を果たさなかった。そして、そのままタンスの肥やしになってしまった。

トランクスの大ブームが落ち着いた初夏の頃、英語の授業が始まる直前で、女性の非常勤講師が教室に入ってきたときだった。Kさんの股側の白いソックスが赤く染まっていることに気付いた子が叫び声をあげた。何事か分からなかったKさんは呆然と立ち尽くしていて、クラスの姉御肌の少女が先生に一言言って、Kさんを保健室に連れて行った。
Kさんが保健室に行って戻って来るまでの間は、授業が開始しなかった。驚きを隠せなかった私たちはキャッキャと笑い、おしゃべりに夢中になった。
しばらくして、Kさんが戻って来ると、先生はこう言った。
「みんな、Kさんは女の子なの。分かったでしょ。だから、もうあれこれ言わずに、授業始めますよ」
「でも、先生、Kはトランクスはいてますよ。それでも女の子って、いいますか?」
「そうよ。Kさんは誰よりも女の子よ。だって、髪型だって、ボブヘアーじゃない。女の子よ」
そして、私たちが落ち着かない中、英語の授業は開始した。

しかし、その翌日、Kさんは頭を角刈りにしてきた。それを見て、私たちは悪いことを言ったのではないかと凍りついたが、せいせいしたような表情をしていたKさんを見ているうちに、いつもの生活にすぐ戻った。

あの日、初老の人気のあった、非常勤の英語の先生が言ったことが悪かったのだろうか、と私は思ったが、よくわからない。14歳の頃は、少女それぞれに傷つき苦しむ言葉が違う。
Kさんは、見た目こそは男性的であったが、クラスメイトのことを全員、さん付けで呼び、あだ名で呼ぶことはなく、語調は荒かったが言葉遣いは、女の子だった。私を含め、他の子たちはわざと汚い言葉を使うこともあったが、それはきっと自分の性別等に違和感がなかったからだと思う。

クラスの圧倒的な存在として君臨していたKさんは、今考えてもどちらの性別になりたかったのかよくわからない。『もののけ姫』のサンのようなカッコよさや潔さはKさんにはなかったものの、似たような抗いや苦しみがあったに違いなく、ひょっとしたら時代の波に流された人間になることを嫌がっていたのかも知れない。

Kさんはそれから、色々な問題を起こしながら、多くの人を傷つけ卒業していった。

私は社会に出てから、度々Kさんのことを思い出す。社会に出ると、自分の性別はこれ、と決めずに、TPOで切り替える柔軟さが必要だと気付いた。
この世界には性差だけでなく、色々な差別がある。外見、貧困、宗教、病気等、様々な理由で虐げられることがある。そして、個人個人により色々な差がある。それを取り沙汰してバカにすれば、差別となる。一つ一つの違いを無くすのではなく、違いを認めて尊重すること、それを私は14歳のときに学んだ気がする。そして、それを今も大切にしている。


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