知財から足を洗おう
人生とは不思議なものだ。私たちは何も知らずにこの世に生まれてくる。唯一決められていることは、遅かれ早かれ死ぬことだけ。一体、その間に何をすべきなのだろうか。
最近、欧州の資格試験に合格した。4つある科目の中で、私が3度も受験することになったのは、クレームドラフティングの試験だった。架空のクライアント(発明者)からの発明提案書を元に、特許出願用のクレームを作成する。クレームは特許の権利範囲を決めるものとなるため、その文言が非常に厳格に採点される。
試験自体は100点満点の50点で合格となるものの、発明の内容を試験委員が想定するものとは違ったように解釈してしまうと、合格はまず難しくなる。また、わずかな文言のミスでも数十点の減点につながり、過去の試験では "or" とすべきところを "and" と書いただけで合格が危うくなる年もあった。
それゆえ試験中は、試験委員が意図するところを外れないように、綱渡りのような緊張感を持って、慎重に慎重を重ねて問題文を読んで、そして答案を作成した。
意味のないかもしれない人生の中で、それでも人生を賭けるかのような真剣勝負のポイントゲームを3度も経験することができたのは、それだけでも価値のある体験だったのかもしれない。
私はかつて3年間の引きこもり生活を送り、それを含めて7年半もの間、定職から離れていた。日本での知財の資格は、私にとって社会復帰への重要な一歩となり、またドイツへの新たな旅の扉を開いてくれた。しかし、知財を生涯の仕事として人生を歩んでいこうとは、依然思うことができていない。
もしかしたら、知財方面での努力は、もうこれで十分なのかもしれない。欧州の資格を取得したことで、ドイツで一応の足場は築けただろう。これからは、知財から足を洗う方向に進んでいこう。たとえそれが完全な両足でなくても、片足だけでも違った方向に踏み出してみよう。
昨日、散歩中にオーディオ・ブックで般若心経の話をずっと聞いていて、「人間は生まれて死ぬだけの存在」ということを何度も耳にしたせいかもしれないが、試験合格を機にそのようなことを考えた。
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