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#004 ハワイイにおけるシンボルとしてのカメハメハ大王
当初、ハワイイ島北部の小さな田舎町カパアウに立つカメハメハ大王像の履いておられるサンダルについて調べようと思っていたんですが、有力情報にヒットせぬ。
ならば調査ターゲットを変えて、サンダルの下の台座に刻まれている文字の方について、ひと調べ。
ここまで近づいて仔細に眺めることができると、調べもの好きとしてはたまらんですよね。
対象が高尚であろうとなかろうと、分からないことを分かりたいという意欲の発動が抑えられなくなります。
![](https://assets.st-note.com/img/1706269579715-17y6b14UJH.jpg?width=800)
刻印が示すところのフェルディナンド・バルベディエンヌとは、1838年にパリで創業した鋳造所なんだそうな。像の設置に至る経緯はこんな感じ。
① 1878年 ハワイイ王国から発注を受けたフィレンツェ在住の彫刻家がまず実物大の石膏模型を作成し
② その模型をパリの鋳造所バルベディエンヌに送って鋳型を作り、ブロンズの像が完成します。
③ でこの像をドイツのブレーメン港に運び
④ そこからハワイイに向けて出荷したものの
⑤ 南大西洋で大嵐に遭遇したりそれで船上火災が発生したりして
⑥ 輸送船はフォークランド諸島の付近で像もろとも沈没。
⑦ それから様々な紆余曲折(詳細省略)を経て、この初号モデルのカメハメハ大王像は現在、彼の生誕地に近いハワイイ島のカパアウという町に設置されているわけです。
沈没!の報を受け、保険金によって直ちに製作された二号モデルに当たるのが、いまホノルルに立っているあの像。というのは有名な話ですよね。
そこで考えてみる。
そもそも「大王像のホノルルへの建立の目的」は、外来者キャプテン・クックのハワイイ到着100年を祝うこと。であれば、当の大王としてはそれは屈辱的な扱いと感じるんじゃなかろうか。
沈没による消失を経ながらも最終的にハワイイに戻ってきたことについて、「さすが強運で知られる大王らしい」という言い方もあります。
が 自身の望まぬ(つまり生前に彼自身が指示などしていない)形でホノルルに "だけ" シンボリックに据えられてしまうことに対しての、大王の魂の強力な抵抗だったんじゃないかな、という気もするんです。
どうなんですか大王様。
像ってたいていの場合、当人の死後に、当人の預かり知らぬところで、後世の発注者の何らかの政治的意図に基づいて作られるものですよね。
霊力も強力だったと聞く大王ですから、あまりに恐れ多くてその偶像を作ることなど彼の存命中には誰も考えなどしなかったのではないかと想像するんです。
そうなると現存する三体の像(ホノルル・ヒロ・カパアウ)は単なる観光資源なのか、とも思うんですけど、とはいえ現代ハワイイにおいてきちんと敬愛のシンボリックな対象となっているのは紛れもない事実なわけで、考えるとけっこう複雑な気持ちにもなります。
でも結局のところ、そこに何を見るのかは人それぞれ、なのが偶像というものなんでしょうねえ。
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