授業のオンライン化とオンライン授業

通学する学校の授業のオンライン化

私自身は、「オンライン授業」を推進すること自体は賛成の立場ですが、学校の「授業のオンライン化」には否定的です。ITインフラ環境の整備状態が気になっています。

もとからあった授業のオンライン化とオンライン授業は、目的が異なるのでは?というのが問です。

通学する学校の授業のオンライン化は、補講目的以外は意味が薄く、手間の方が多くなり、メリットをあまり教授できていないという問題があると考えます。

できなかったこと、できていないことをオンライン化によって補講し問題を解決することは利点がありますが、そこに固執すると将来の可能性を狭めると感じてます。

生徒のご家庭のオンライン環境が未整備だったり、先生の情報リテラシーがまちまちで、環境格差の問題も発生しています。

保育の事業をやっていると、熊本の場合、非課税世帯が思ったより多いことに気付かされます。世間に気付かれないように、ひっそりと生活をしているのかもしれません。

この様なご家庭にとっては、そのパケット代金の負担が増します。最低でも自宅に光回線を引いて、スペックの高いPCを用意できないと学校のクラスルームの様な環境の平等性が保てない問題も発生します。

教育の機会格差を埋めるのが筋

まず、最低限のITインフラ環境をご家庭装備できると、オンライン授業環境の品質が格段に向上し恩恵をより感じる体験ができます。

そして、次に「あれ、別に通っている学校の授業だけが授業じゃなくない?」という感覚が芽生え、議論がおこるかもしれません。

将来、午前中、オンライン授業で〇〇学校の〇〇先生の授業を受講して、そしえ、午後登校し友達との〇〇活動を行う様な日々が訪れるかもしれません。

地方にいると、学校や先生が選べません。オンライン授業が機能する内容が科目として位置づくのなら、場所を選ばないメリットが出てきます。つまり、授業の選択肢が増します。

そもそも、学校に行く目的が変わり、学校や先生や授業を選択できない不自由からの開放もされることが想像できます。

現社会に適応している人にこの意味を伝えるのは大変だと思います。しかしながら、不自由を感じた人の開発も社会にとっては大きな資産になる可能性を秘めているので、軽視できないと思います。

虐げられた人から格差が進行し、頑張って稼いで差を埋めることができる格差のある社会から、希望すら持てずこの差を埋める発想にも至らない社会になったら、地獄だと思います。

どんな子どもにも最低限の教育の機会を等しく整備し保障して欲しいです。その差は、少し埋まるはずです。

限定的な話しにせず、もう少し話題の範囲を広げ、ITインフラ環境問題を社会開発課題として位置づけ、議論を深めてもらいたいところです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?