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日記

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祖父のにこにこ

 大型連休に地元へ帰った。その中の一日で、父方の実家に行った。実家は北海道の南側に位置する港町で、大型プラントのぐねぐねやら、クリームソーダの色に塗られた大きな球形のタンクやらが在りし日の鉄工業の賑わいを遠く感じさせる。今は五月の爽やかな風が吹いている。風が爽やかだということは、鉄工業が渋っているということの証左に他ならない。

 母方の実家は当時の住まいから遠くなかったこともあって、入院していた

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ぱきらくん、あるいは私がおかしくなった訳

ぱきらくん、あるいは私がおかしくなった訳

 私の創作はぱきらくんで始まったといっても過言では無い。思えば、物語を創る喜び、とか何とか言ってしまうとなんともナルシスティックで面映いのだが、おそらく他人に語って聴かせることに面白さを見出すことができたのはぱきらくんのおかげなのである。
 と、ここで私はある感傷に浸りながら、実家の小汚いカーペットに平積みにされている小中学生時代の教科書の山の中にある、「さんすう 2」を思い出す。

 あきらくん

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気難しい友人の話

 僕には気難しい友人がいる。「友達」と呼ぶにはどこかこちらに「落ち度」があるようでいたたまれないので友人だ。
 彼とは高校で出会った。深い低音を持つ彼は、その声のせいなのかクラスでは大きい声を出すこともなくいつもじっと佇んでいる生徒だった。「『雨ニモマケズ』だ」とその時は思っていた。

 中学の同級生12人に対しクラスは6つ。最低でもひとりは同じクラスに顔見知りがいるだろうと高を括っていた僕は、見

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とりあえず花子を置いてみる

まず、花子という女性をひとり置いてみる。ここから物語風景は立ち上がる。「花子はどこにいるのか、どこにいるのが適切なのか」を考えれば良いのだ。そうすると、新宿や渋谷では少し華美に過ぎることが容易に想像できる。花子はおそらく化粧下手である。それは、鬼瓦権三が毛むくじゃらで汗臭いのと同じ理由からである。ニュアンスはそれぞれ固有に意味を持ちうる。化粧下手な花子を渋谷や新宿に置いても、おそらくは街の色に押し

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人間に疲れたあかつきに

一日が悠久の如く長く感じられる。曇天曇天の二日間から打って変わってびっくりするほど晴れた神宮球場ヤクルトオープン三連戦の最終日。実際にびっくりしたのだが、「びっくりするほど」というのは、まあ表現のあやだ。ここで「言葉のあや」ではなく「表現のあや」としたところに自分の成長を感じる。いつもならやはり「言葉のあや」とするか、「宮間あや」などやって興ざめなのであるが、良く我慢している。
我慢している

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