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なんとなく思ったなろう作家とは
始めてみたのはいいが何もないのはという事で、気楽なエッセイを書いている。
で、この手ので気楽に書けるのだとしたら、私自身の事しかない訳で。
という訳で、なろう作家と分類されるだろう私が見たなろう作家の一考察というやつでエッセイの一本をでっち上げようと思う。
世の小説家となろう作家の違いをあげる場合、私だったらこれをあげたいと思う。
プロットを作らなくても良い。
これ、楽なように見えて結構難しい。
行き当りばったりの本文勝負で全体像が見えない事も多々ある。
何よりもその物語を作者自身がわかっていないなんて事もある。
それでも、なろう作家はこうやって世に一気に広がった。
理由をあげるならば、『小説家になろう』を始めとした小説投稿サイトに投稿する事で読者の目に晒されるからだろう。
読者のニーズに合わせ、読者の望む物語をピンポイントに送ることができるのならば、当然として作家として成功する。
とはいえ、昨今のなろうブームはいつ弾けるかとは私も危惧しており、私はそのブームが萎む前に小説家に成れた口である。
なお、この形で作家に成ると風呂敷のたたみ方がものすごく下手になる。また、書籍化されても打ち切りでなろうの方も書かなくなるなんてケースもあちこちにある。
偉そうに言う私だって完結できない物語がある訳で。それでもこうやって話ができるのは、完結させた物語ができたからである。
小説家になったなろう作家として断言する。
物語を完結させた事がある作家は強くなれる。
だからこそ、なろうのエッセイでも何度もこれだけは力説している。
『物語をどんな形でもいいから終わらせろ』と。
そこから、世界はきっと違うものを見せてくれるはずだ。
私が小説家として今心がけているのは、実は話ではなく文字数だったりする。
一日二千字を書く。そしてそれが書ける生活習慣を維持する。
この二千字を一週間続ければ一万四千字。六十日つまり二ヶ月で十二万字だから、一冊の本ができる計算になる。
二千字というのは四百字詰め原稿用紙五枚である。
まぁ、起承転結を一枚ずつ割り振る形が分かりやすいだろう。収まらない場合にあまりの一枚を足すイメージを持てばいい。
この形になる前は大体倍の四千字を一話として投稿していた。
四千字一話で週二投稿が限界だったのだが、半分にした結果毎日投稿ができるように体ができていたのである。
なろうをはじめとする小説投稿サイトは速さが命だ。
だからこそ、自分がどれぐらいの分量で毎日投稿できるのかを知るのはある意味必須条件と言っていいだろう。
なお、この戦略の元はJR東日本209系電車の蔑称『走ルンです』からとっており、『(ストーリーを)軽く』『(投稿を)速く』『(文量を)短く』の三点セットで書き始めたのが私を小説家にしてくれた作品である『現代社会で乙女ゲームの悪役令嬢はちょっと大変』だったりする。
見事この戦略は図にあたったのだが、209系電車と同じく『もっと重たいストーリーを』『もっと物語を深く』という声の結果『文量が多くなり』、結果Twitterでバズったあの北海道開拓銀行ネタが書かれる訳だから、世の中というのは分からないものである。
話がそれたが、なろう作家として小説家デビューをした訳だが、多くのなろう作家はここで小説家に脱皮するという事ができていないというか、その意味を理解できないのではないかと私の実体験を晒してみようと思う。
なろうに投稿していた物語の書籍化だからなろうをそのまま持ってくると多分失敗するのだ。
なろう小説と小説はそれだけ違うものだと私は理解していた。
一番意識したのはページ数である。
なろうはいくらでも書き散らかして良いのだが、本というのはページという物理的な限界がある。
という事は、読者は最低限その中である程度完結された物語を期待している訳で、私が書籍化作業をする際に最初にするのが、このページの枠内にある程度の起承転結の物語を編成する事だったりする。
もちろん、続きが気になるような引きをつけてだ。
最悪、打ち切られてもなろうで完結まで持っていけばいいかという覚悟と気楽さがあるので、この時点で畳む事だけは最初から放棄していたのは今だからこそ言える話である。
作家だけで食っていけるとは私自身思ってもおらず、仕事は減らしつつも残していた訳で、そういう意味からも保険をかけながらの書籍化は良い方向に転がり『このラノベがすごい2022』単行本・ノベルズ部門8位ランクインという栄誉まで頂いた事は今でも夢ではないだろうかと思っている。
ほどよく文字数が二千字近くになったので、最後はUPした写真について触れることにしよう。
作家になったのだからと缶詰という名前の湯治旅を企画しその時に撮った写真である。
場所は熊本県の杖立温泉。
近年の豪雨とコロナ禍で苦しんでいるので、また収まったら行こうかなと思っている。
良い温泉街で修羅場時にここで湯につかりながら、パソコンと格闘したものである。
作家とは人生を売る職業だと作家になって知った。
そんな私がこのnoteに何を残すのか?
多分私自身がわからない……
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