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写真小説 DO TO

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画家が抱える問題意識や、思想的な議論、そして極めて人間的な交流が、無作法なまでにゆったりとした語りの方法で展開します。豊平川の程近くにたたずむ小さな美術館。HOKUBU記念絵画館…
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#写真

DO TO(1) 「あれから好きな画家は河原朝生」

小西さん 久しぶりです。日増しに寒くなりますが、つつがなくお過ごしですか。私はいま網走行きの列車の中です。レンガ造りの洋館が残る街から六時間がかりの旅を意気消沈してすごしています。長い長い道のりです。私の人生への問いかけは静かな空に向けられています。どんなにがっかりしているかお分かりにならないでしょうね。不本意ですが、とうとう都落ちです。窮迫した生活から逃げてきました。都会を離れたら、もう画家としての道は閉ざされるという不安が、私をとらえます。出るのはため息ばかりです。停車

DO TO(2) 「あれから好きな画家は河原朝生」

小西さん 開拓者によって開かれた、網走の町のはずれに居を構えました。豊荘という名のついたアパートです。畳の焼けた名ばかりのアパートです。引っ越しはひと段落しましたが、まだ、あわただしい雰囲気です。灯油業者への連絡や、ダンボールの処理など、この調子では部屋が片付くころには大晦日です。何もかも自分たちでやらねばならないのですが、ほこりにも、寒さにも、あきあきしてしまいました。部屋はお香のような古びた匂いがしますが、窓を開けようものなら、冷気が部屋に吹き込みます。いま外の気温は5

DO TO(6) 「あれから好きな画家は河原朝生」

スポットライトに照らされた展示室はしーんと静まり返っていた。かすかな足音は響いていたが、この絵が周囲の物音のすべてをかき消しているようだった。私は別の好奇心で気を変えたかった。屈辱の反動から立ち直るきっかけがほしかった。私は後ろをふりむいた。そして誰もいないので安心した。私は考え事をするとき、身近に人を置くことを好まなかったからだ。ただ自分の過ちにはこれ以上メスを入れたくなかった。あの感情の落とし前には距離を置くようにして、先ほどの女生徒とのやりとりを、人が近づく前におさ

DO TO(8) 「あれから好きな画家は河原朝生」

2018年9月6日 正午 狸小路エリのことを思い出すと切なくなる。恋の再燃を夢見ていたのではない。願望は成就するよりつぶしてしまう方が立派な行為だと思っていた私は、無理矢理に一緒にいたいとは思わなかった。ただ、あの頃のことを思い出すと、連鎖反応で恋心もフラッシュバックしていった。しかし、彼女の微笑みのとなりに私はいなかった。過ぎていく時間が私だけを取り残したようだった。そして、つい思い出してはいけないことまで思い出してしまうのだ。しかし、こういう切なさを取り除いても、私はも

DO TO(9) 「あれから好きな画家は河原朝生」

新しい学期に入る前に、私がカビくさい河原朝生の画集を買ったのは自由が丘の古本屋だった。直感的に表紙の絵にひかれて一度見たことのある名前をもう一度注意深く眺めた。なんだか身震いをするような思いでそれを買って外へ出た。林立するビルの一方で、駅前は賑わいを見せていた。私はタバコを買いにコンビニに立ち寄った後、そこから線路を進行方向の右に眺めながら、待ち合わせの喫茶店まで小道を歩いた。百メートルほどの道のりだった。 駅前の喫茶店のような様々な人間が休息を求める場所では、座席の間隔が近

DO TO(10) 「あれから好きな画家は河原朝生」

「同じグループだね」 「うん」 テーブルで区切られた通路の向こうから、エリが身を乗り出して話かけてきた。夏休みのゼミのことだ。私は前かがみになり彼女が聞き取れないくらいの小声でささやいた。チョークを持った先生はよれよれのシャツを着ていた。黒板には二日間のスケジュールが記されていた。   その教室には30人くらいの生徒がいた。僕らはこれから座学の後に、それぞれの班ごとに分かれて、与えられた課題に取り組むことになった。幸先が良かった。エリと過ごす授業はとびきりな時間ではあったが、

DO TO(11) 「あれから好きな画家は河原朝生」

大学のアーカイブをめくりながら、私は首をかしげていた。現代の個人的な趣向に偏った足の表現にはいやらしい人為性と不自然さがあり、私は好きではなかった。そこで私は足というテーマの新しい枠組みを提案した。 「手とは対立する足の機能を明確にして、もう一つの進化の歴史を浮き彫りにしよう」という意見だった。金沢さんもエリも、この考え方に賛成した。茨木さんは会話には入らず、蚊に刺された足をポリポリとしていた。私はそれを横目で見やって、ため息をついた。困ったことになると思った。金沢さんが「そ

DO TO(12) 「あれから好きな画家は河原朝生」

目の下のクマがひくひくしていた。エリにいわれて気づいたが、精神的なストレスの前段階だった。しかし、できない我慢を、するのが我慢だった。ここで自分の権利を手放したら負けだった。敵の思うつぼだった。ごたごたした状況を沈め、意地悪な嵐を黙らせるには、プレゼンを完璧に乗り切るしかなかった。「こんなことでへこたれてたまるか」と思った。すると私が原稿とにらめっこしている間に、エリがプレゼンの際のポイントを手際よくまとめておいてくれた。私はエリに感謝した。 いよいよ、発表の時がきた。原稿は

DO TO(13) 「あれから好きな画家は河原朝生」

小西さん   今日は日曜日なので美術館へ行きました。お恥ずかしいことに美術館は半年ぶりでした。スーパーなら喜んで行くのに、どうしてこうも美術館へは行かないのでしょう。それは貧乏人の興味の中心が芸術ではなく、ご飯を食べることだからかもしれません。極貧ということではありませんが、暇がありません。   ですから、久々の展覧会で胸がスカッとするかと思いましたが、主催者との間に溝を感じました。何とかいう絵画館のコレクション展でしたが、どうもテーマが粗い感じです。あまりにひどいのでがっか

DO TO(14) 「あれから好きな画家は河原朝生」

私はエリを恋しく思うようになった。しかし、私にはライバルがいた。無二の親友の大友さんだった。あの手紙の中でも触れた自惚れが強い宗教家だった。我々は子供時代の名残からか、神秘的なものに頼って、心のバランスを保とうとする癖がある。迷信や、祈りもそうだが、占いもその一つだ。大友さんは夢占いができるということで、女子の間ではちょっと有名だった。 エリは大友さんを「夢見兄さん」と呼び、最大の敬意をはらっていた。私が聞けば一笑に付してしまうようなことでも信じて疑わなかった。たとえば彼女が

DO TO(15) 「あれから好きな画家は河原朝生」

そのころ、エリが銀座で個展をやるというので、我々は会場まで足を運んだ。私は用意した花束を差し出した。エリは顔をほころばせてそれを受けとった。すると対抗心に火がついた大友さんはエリの絵を買うと言い出した。エリが「ただであげますよ」というのに首を振って、どうしてもお金を払うと言い張った。画廊主に値段を聞くと、それは十五万円だった。大友さんはそれを七万円に値切って買い受けた。したい放題の大友さんが墓穴を掘ったのは明らかだった。 ただ、ここに私の不利を決定的にする事態が起こった。大友

DO TO(17) 「あれから好きな画家は河原朝生」

私はじっと聞き入っているふりをしたが、内心は吹き出したいのを我慢していた。ただ隣を見ると、エリは少しでもコンサートを盛り上げようと拍手していた。私は自分の人格が真面目でないのを反省した。 歌が終わると照明が低く落とされた。すると大友さんは身の上話をはじめた。父親が納沙布岬で海を見ながら大便をしようとしたら、友人から「見えているぞ」と石をなげられ、立ちあがった反動で足をとられ海に転げ落ちた話をした。彼にとってそれは秘密であってはならなかった。彼はギターの弾き語りをした。「自殺だ

DO TO(18) 「あれから好きな画家は河原朝生」

テーブルには冷たい水が二つ並べられた。土曜日の長い授業を終えたエリと私はラーメン店で夕食にありつくところだった。開け放たれた窓の向こうには高速道路をひた走る音の光が流れていた。風の肌触りがいかにも夜だった。 私は「楽しみだね」といった。エリは「そうだね」といった。私の「楽しみだね」はラーメンだったが、エリの「そうだね」は一緒にするアルバイトのことだった。 大学の張り紙を私に向けて差し出して「これやろうと思うの」とエリが言ったのは数日前のことだった。張り紙には大きな活字で「作品

DO TO(19) 「あれから好きな画家は河原朝生」

それからエリはバイトを変えた。今度は銀座の高級パブだった。客の一人が有名な画家で、画廊の経営者に「先生」と持ち上げられていた。画家はエリが美大生とは知らず声をかけてきた。エリの不愛想が気に入ったらしい。ペンを取り出すと、気前のいいチップのつもりで色紙にさらさらと絵を描き差し出した。売れば五万円位にはなるだろうか。エリはそれをダーツの的にして一日でクビになった。 もちろんエリは教授も気に入らなかった。相手が学生という、ただそれだけのことで教授は大きな態度をとったからだ。どこを向