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写真小説 DO TO

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画家が抱える問題意識や、思想的な議論、そして極めて人間的な交流が、無作法なまでにゆったりとした語りの方法で展開します。豊平川の程近くにたたずむ小さな美術館。HOKUBU記念絵画館…
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#河原朝生

DO TO(4) 「あれから好きな画家は河原朝生」

その絵を見たのは大学の美術館だった。展覧会の終盤にその絵の前で立ち止まった。そして妙に気分がはしゃいだことを思い出す。興奮して、去りがたかった。この絵には、どこか懐かしいところがあった。ノスタルジックが基調だが、いつの時代を描いたのかはわからなかった。こういうのは有本利夫以来だった。でも古典的な趣味を押し付けるのとは違った。つまり美しさの主張ではなかった。今はなき時代を偲び、幼いころの手を差し出したいようだった。どうやら、この画家にとっては過去に関心をよせることだけでも制作の

DO TO(5) 「あれから好きな画家は河原朝生」

「ここに描かれた男の人は、一体、どんな気持ちで流される家を見つめているのかしら?」と彼女は絵を指さしていった。それは私が全体に気を取られて見過ごしていた部分だった。私は目を瞬きしながら答えた。  「ホームなのか、ただのハウスなのかという問題はあるけど、高みの見物かな?」 「そうかしら?」その声には明らかに違和感をほのめかす香りがただよっていた。彼女は絵に近づいて付け加えた。 「この人の心も一緒に流されているように思うわ」 「そういわれれば、そうかもしれない」彼女の言い草がやや

DO TO(8) 「あれから好きな画家は河原朝生」

2018年9月6日 正午 狸小路エリのことを思い出すと切なくなる。恋の再燃を夢見ていたのではない。願望は成就するよりつぶしてしまう方が立派な行為だと思っていた私は、無理矢理に一緒にいたいとは思わなかった。ただ、あの頃のことを思い出すと、連鎖反応で恋心もフラッシュバックしていった。しかし、彼女の微笑みのとなりに私はいなかった。過ぎていく時間が私だけを取り残したようだった。そして、つい思い出してはいけないことまで思い出してしまうのだ。しかし、こういう切なさを取り除いても、私はも

DO TO(9) 「あれから好きな画家は河原朝生」

新しい学期に入る前に、私がカビくさい河原朝生の画集を買ったのは自由が丘の古本屋だった。直感的に表紙の絵にひかれて一度見たことのある名前をもう一度注意深く眺めた。なんだか身震いをするような思いでそれを買って外へ出た。林立するビルの一方で、駅前は賑わいを見せていた。私はタバコを買いにコンビニに立ち寄った後、そこから線路を進行方向の右に眺めながら、待ち合わせの喫茶店まで小道を歩いた。百メートルほどの道のりだった。 駅前の喫茶店のような様々な人間が休息を求める場所では、座席の間隔が近

DO TO(13) 「あれから好きな画家は河原朝生」

小西さん   今日は日曜日なので美術館へ行きました。お恥ずかしいことに美術館は半年ぶりでした。スーパーなら喜んで行くのに、どうしてこうも美術館へは行かないのでしょう。それは貧乏人の興味の中心が芸術ではなく、ご飯を食べることだからかもしれません。極貧ということではありませんが、暇がありません。   ですから、久々の展覧会で胸がスカッとするかと思いましたが、主催者との間に溝を感じました。何とかいう絵画館のコレクション展でしたが、どうもテーマが粗い感じです。あまりにひどいのでがっか

DO TO(18) 「あれから好きな画家は河原朝生」

テーブルには冷たい水が二つ並べられた。土曜日の長い授業を終えたエリと私はラーメン店で夕食にありつくところだった。開け放たれた窓の向こうには高速道路をひた走る音の光が流れていた。風の肌触りがいかにも夜だった。 私は「楽しみだね」といった。エリは「そうだね」といった。私の「楽しみだね」はラーメンだったが、エリの「そうだね」は一緒にするアルバイトのことだった。 大学の張り紙を私に向けて差し出して「これやろうと思うの」とエリが言ったのは数日前のことだった。張り紙には大きな活字で「作品

DO TO(19) 「あれから好きな画家は河原朝生」

それからエリはバイトを変えた。今度は銀座の高級パブだった。客の一人が有名な画家で、画廊の経営者に「先生」と持ち上げられていた。画家はエリが美大生とは知らず声をかけてきた。エリの不愛想が気に入ったらしい。ペンを取り出すと、気前のいいチップのつもりで色紙にさらさらと絵を描き差し出した。売れば五万円位にはなるだろうか。エリはそれをダーツの的にして一日でクビになった。 もちろんエリは教授も気に入らなかった。相手が学生という、ただそれだけのことで教授は大きな態度をとったからだ。どこを向