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250.別席制度の変遷について#2


はじめに


この記事は前回の続きです。

前回の記事をまだ読まれていない方は、先にこちらをご覧下さい。


前回の記事で、
・教祖ご在世当時はどのようにおさづけの理を渡されていたか。
・本席定め
・別席制度の始まり 
・取次の心得

について書きました。

今回は別席制度がどのように変化していったかを見ていきたいと思います。

 

距離に応じた別席回数

 

 現在、遠方に住んでいる方は、1度のおぢばがえりで複数回別席を運ぶことができます。

そのきっかけになったおさしづが以下の通りです。

 さあ〳〵遠くの処さあ〳〵近くの所は、一つの心の理である。
さあ〳〵遠く〳〵の所は、先ず〳〵運んで、先ず〳〵は遠くは遠くの理運んで、中をば〳〵中をの理、近くは〳〵の理。(後略)
明治21年9月21日

人間の感覚的に考えれば、
「距離は関係ない」
「どんな人でも1ヶ月に1度だけしか別席を運ぶことが出来ない」
こうする方が、理を大事にしていて厳格なように思えるかもしれません。

しかし、 このおさしづでは、
「遠くから苦労して帰ってくる者の心も受け取ってやりたい」
という神様の親心が表れているように思います。


当時の交通事情を考えると、遠方からおぢばがえりをするのは、費用・時間・労力の負担がかなり大きいです。

その大きな負担を負ってでもおぢばに帰ってく人間の、
「真実の心」
を神様は喜ばれていたのだと思います。

子供が遠方から帰省してきたら、親は嬉しいですよね。
「美味しいもの食べさせてあげたい」
「お小遣いをあげたい」
これに限らずですが、
「何か子供の喜ぶことをしてあげたい」
と親が思うのは、当たり前の事だと思います。

そういった神様の親心が、このおさしづから感じられます。

 

別席を運べるのは1ヶ月に付き1回

 

しかしこうなってくると、
早くお話しを3回聞き、すぐにおさづけの理を戴きたい
という人達が沢山出てきたそうです。
(合宿に行って2週間で免許を取得したいと思うのと同じ原理ですね)

 そのような状況に対して、以下のようなおさしづが下りました。

 さあ〳〵中には又急ぐ事もある。さあ〳〵急ぐ〳〵。
心には結構な理が使う事が出けん。

さあ〳〵納して置こうかと言うようなものや。
(中略)
一度が三十日、又一度が三十日、又一度三十日
明治21年12月25日

 このおさしづにより、
別席を運べるのは1ヶ月に付き1回に定まりました。


さあ〳〵急ぐ〳〵。
心には結構な理が使う事が出けん。

このように言われているように、
「はやくおさづけの理をいただきたい」
と思う人間心を、神様は戒めておられます。

さらに、

一度が三十日、又一度が三十日、又一度三十日


「30日に1回しか別席のお話を聞くことができない」
と言われているということは、単に早く別席を済ませようすることを戒められているだけなく、
「お話を聞いていない期間も大切」
という意味が込められているのではないでしょうか?

そう考えると、別席のお話を聞いて終わりではなく、別席と別席の間の期間に
「日々の過ごし方」
「人との関わり方」等々

別席のお話をもとに、

「能動的に」自分の行動を見直すこと

ここにも重点が置かれているように思いますし、

また、毎日を過ごす中で起こる出来事に対して、
「お話しが心に浮かぶ」
「内容を思い出す」
こういった、

「受動的に」教えが心に浮かぶ体験

これも大切な事ではないかと思いました。

取次の当番が出来る

 

これまでは、同じ人から3度お話を聞かなくてはいけませんでした。

しかし、取次人先生も本部員のため忙しく、
同じ人から3度話しを聞くのは、中々難しい状況だったことが想像できます。

そのため、せっかくおぢばがえりをしても、担当の先生が忙しいため、別席を運ぶ事ができない人が出てました。

この状況を改めるべく、
人間の方から
別席のお話しを取次当番を決めても良いか伺います。

取次中当番を定める事の願。
明治22年3月26日

この伺いに対しては一ヶ月後に、飯降政甚氏の身上を通してお諭しがあります。

飯降政甚夜中厳しく左の下歯痛むに付伺
あちら一つ席々急がし成る。(中略)別席の処、俺も〳〵、互い〳〵処、心合わせて夜々話し合うてくれねばならん。
明治22年4月26日

このように、
取次毎に全く違う話をされても困るので、夜にしっかり話し合いなさいとお言葉がありました。

 このおさしづから、別席は
「同じ話しを聞く」
という事に、かなり重点が置かれていることが分かります。

この理由を少し考えてみたいと思います。


1、神様を目標にする

化学の世界で実験をする際、
「比較したい対象以外は全て条件揃える」
これは必須条件になります。

例えば、
「和牛とアメリカ牛、どっちのカレーが美味しいか」
を調べる際に、カレーのルーや具材を別々のものにしてしまっては、味の違いが、肉の違いによるものなのか判別できません。

これと同じで
別席の内容が、取次の先生によってコロコロ変わってしまっては、
「神様のお話で心が変わった」
と思わずに
「○○先生のお話で心が変わった」

と取り違えてしまう可能性があります。

つまり
「神様が目標ではなく、人が目標になってしまう」
この恐れがあるのではないかと思いました。


2、自分の成人が実感できる

これも、先程の実験の必須条件と同じ構造になりますが、
回数を重ねていくと、別席のお話しも最初とは違う部分が心に残ったりします。

しかし、お話の内容は同じですし、その他条件も全て同じです。

ということは、回数を重ねることによって変わったのは、
「聞く側の心」
という事がよく自覚できると思います。


3、覚えられる

これはよく言われている話で、同じ話を繰り返し聞くことで心に収まり、覚えることが出来ます。

 

おさづけの理拝戴は1日3名

 

別席制度が始まり、おさづけの理を拝戴する人が段々増えてきた頃、拝戴する人数を制限するおさしづが下ります。

暫くの処三名と。何にも分からん者はさづけやと言うても、そんな者に渡しては何にも分かりゃせんで。何にもならん。しっかり見分けて実の処を三名やで。
明治22年4月27日

このように、
何も分からない者に渡しても駄目なので、心が定まった者を見定めて欲しいと言われました。

ここでポイントになるのは
神様が人間を見分けるのではなく、
「人間が人間を見分ける」

ということです。

ここには天理教の特徴である、
人間の自主性を重んじている。
という事が強く表れているかと思います。 

 

別席が9回と定められる

 

人間側から別席を運ぶ期間を長くして欲しいと、以下のように願い出ます。

 本席事情だん〳〵つかえ、別席の處も日々増加するを以て、遠く所三三三の理を以て九箇月通るよう改むる御許しの願
明治22年10月17日

 

別席を運ぶ人が増えると共に、おさづけの理拝戴を待つ人がつかえてきて、見分けるのが困難になってきたためです。

 ここでのポイントは、
9回運ぶのではなく、9ヶ月で通るようにと「期間」でお願いしている。
という点にあると思います。

この願い出に対して、神様は以下のように承知をされます。

三三九度一つの理を治め。胸の内発散するである。
明治22年10月17日
(発散=おさしづにおいて、理が心に納まって、心が綺麗になるという意味でよく使われる。)

 ここだけ見ると、人間の都合の様に思えますが、後日のおさしづで、

月々九度の席はどうでもせにゃならん。
明治23年5月16日
同んなじ事九遍聞かしたら、どんな者でも覚えてしまう。
明治31年5月12日

 

このように言われているので、神様も9回別席のお話しを聞かせたいと思っていたのではないかと思われます。

 

様々な規定ができる

 

さらにこの時期、本部員の話し合いで様々な規定が出来上がります。

 

一、別席を願出る者は一年以上の信者に限る
一、別席の順序は、枝先講元は元講元へ願い、
  それより本部取次中へ願い出づべき事
  (教会順序を追って)
一、別席は周旋方以上の者に限る
一、本席(おさづけ)手順は、百里以上は一度、
  七十里以上は二度、五十里以上は三度、三十里以上は四度、
  二十里以上は五度、十里以上は七度、十里以内は九度

 ここでのポイントは別席を運ぶ際のハードルで、
一年以上の信者に限る
周旋方以上の者に限る
 (周旋方は現在の教会の立場では役員相当にあたる)
 (講元=会長、講脇=副会長、周旋方=役員)

おさづけの理を拝戴するどころか、別席を運ぶだけでも、かなりハードルが高いです。

また、
「別席の順序は、枝先講元は元講元へ願い」
とあるように、
現在の順序運びは、この規定が元になっています。

このように規定を読むと、
別席を運ぶ段階でふるいにかけられていることが分かります。

以前、神様が人間で見極めて欲しいと言われていましたが、見極める際に
「あの先生は優しいからOKしてくれる」
「あの先生は厳しいから落とされる」
といった、個人によるバラツキを無くすために、明確な基準を設けたのかもしれません。


また、距離に応じた別席の回数を関しては、実は現在までに何度も変更されています。

交通機関の発達により、距離=時間という公式は成り立たなくなっていますので、今後どうなっていくのか気になるところです。


おまけ 別席制度は人間の都合?


 今回も、勉強会で気になった意見を取り上げたいと思います

別席制度の変遷を見ていくと
「昔はこうだった」
「本来の形はこうだ」
「教祖時代に戻るべきだ」
このように、元の形にに立ち返ろうとする考えが出てくると思います。

しかしここは、
「今の形に意味がある」
と考える方が良いんじゃないかと思います。

例えば、
別席回数が3回から9回になったのは、便宜上ともとれますが、
回数自体が、おさづけの理を拝戴するに相応しいがどうかを見極めるハードルになっているとも受け取れます。

今の形に意味があると思えば、
「今の状況を受けて、これからどうしていくか」
という未来志向に繋がるので、
個人的には、信仰的に物事を考える上で
「今を否定しない」
ということは、結構重要なポイントだと思っています。


そもそも天理教は大きな戒律はなく、
人間が「自主的に」「自立するため」の教え
だと思います。

そう考えると、現在の別席制度も

戒律的な段階を経て、
各々の心に裁量を委ねられた
自立の段階になっている。

とも考えることが出来るのではないでしょうか。


今日の豆知識
「取次人は15人しかいなかったかも」

辻忠作、清水与之助、鴻田忠三郎、高井猶吉、梅谷四郎兵衛、桝井伊三郎、山沢為造、宮森与三郎、板倉槌三郎 増井りん、増野正兵衛、喜多治良吉、松田音二郎、あと2人は不明。
(平野楢蔵、松村吉太郎、永尾楢治郎、諸井国三郎、山中彦七、本部員であるこの中の誰かだと思われる。)
別席の内容を統一するにあたり、現在保存されている別席本が15冊のため、15人は確定している。

to be continue


おまけタイム

 

どーも!先日ひさしぶの二日酔いで死んだ男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

11月末に「clubhouse」という音声SNSで繋がった方が、別席を運ぶことになり、5日間天理に滞在されていたので、その対応で忙しく、noteの更新が遅れてしまいました。

丁度こんなツイートをした時期です。


かなり濃密な5日間で、その方を通して学びが沢山ありました。

 

この詳細については、ラジオで話しているので、良かったらそっちも聞いてください。


丁度この別席制度の勉強会をした後に、その方が別席を運んでくださると決まったので、この勉強会には神様が働いていたと思ってます。


本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!

講師のインスタアカウントです↓

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