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247.「水の味」について熱く語る

はじめに


今回は「千読(せんどく)」という雑誌に寄稿した文章を、「千読」が手元に無い方のために、このnoteにも載せる事にしました。

僕には、自分のプラットフォームじゃない方が、のびのびと文章を書けるという「謎の特性」がある事が判明したので、僕ののびのびとした文章を読んで下さい。


(※千読に掲載された文章は編集者が校正していますので、多少内容が違います。)

ちなみに「千読」の編集者兼発行者はこの人です↓



「水の味」について熱く語る


「水を飲めば水の味がする」


この言葉は、天理教を信仰していれば誰もが知っている言葉だと思います。

しかし、誰もが知っている、当たり前の言葉になっているせいで、聞き流している人も多いのではないでしょうか。

そもそも、
多くの天理教信仰者が勘違いしている事があります。


それは、

水は味がしないんです。

無味無臭です。


それなのに、多くの人が「水は水の味がする」ということを半ば一般常識のように思っている気がします。(気のせいかもしれませんが)

でも一般常識で言えば、水は無味無臭です。

常識では無味無臭だからこそ、教祖が「水を飲めば水の味がする」と言われた事が凄いんです。


ポイント1
 「水は無味無臭である」
これが一般常識であることをまず理解しよう。



僕達はよく「当たり前を喜ぶ」ということ耳にします。
「当たり前は当たり前ではない、有難いことなんだ」
簡単に言えばそういうお話です。


「思うように足が動かせる」
⇔「歩けなくなって気づく」

「ご飯を味わって食べられる」
⇔「ご飯の味がしなくなって気づく」

「太陽が温かく照らして下さる」
⇔「曇天が続いて気づく」


これらは、「失って初めて気づく大切さ」というやつで、普段当たり前だと思っていることが、実は一番有難いという話しです。

ところが「水を飲めば水の味がする」をこれと同じ形にしてみると


「水を飲めば水の味がする」
⇔「水の味がしなくなって気づく」


実際に想像してみて下さい。どうでしょう、頭に「?」がつきませんか?

その理由はもちろん、


元々水には「味が無い」からなんです。


このように「水に味がある」という事は「当たり前を喜ぶ」という話しとは全く次元が違う話だと思いました。


「当たり前を喜ぶ」とは「そこに喜びがある」と気づく事ですが

水を飲めば水の味がする」は、

人間が
「そこに喜びがない」
「何も無い」
と思っているところにも、
神様の目から見れば喜びがある。

そんな風に言われているんじゃないかと僕は感じたんです。

これは「喜び上手」どころではない


「喜びの天才」だと思います。


ポイント2
すでにある喜びを見つけるのではなく、
無いところに喜びを見出すのが凄い。


そしてもう一点、この言葉の凄いところは、
「身体ではなく、心を満たしている」
ということです。

稿本天理教教祖伝には、このように書いてあります。


こかんが、お母さん、もう、お米はありません。 と、言うと、教祖は、
「世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある。」


ここに書いてある通り「水を飲めば水の味がする」は、
お米が無い状況でのお言葉です。

人は食べ物が無ければ、餓死していまします。

ですから、この状況での救いは身体を満たすこと一択で
「水を飲めば腹がふくれる」
「水を飲めば喉が潤う」
「水を飲めば元気でいられる」

こういう言葉だったら、人間思案的にも理解出来ます。

また文脈的にも、「水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。」と言われていることから、「水が飲める」ということにフォーカスすることがほとんどだと思います。


しかし、教祖は
「水の味がする」と仰ったんです。

味じゃ腹は膨れません。
味じゃ命を繋げません。

じゃあ味で何が満たされるのかと言えば、

「心」が満たされるんです。

僕は「これだ!」と思いました。

食べる物がなければ人間生きていけません。
そんな状況でも「味がする」と身体ではなく心を満たそうとされた教祖のお言葉に、尋常じゃない凄さを感じました。

今日食べる米も無いという貧に落ち切った最中、それでも心を満たそうとすることが出来る人ってどのくらい居るんでしょうか?

ちょっと僕には想像できません。
そのくらい凄い言葉だと思います。


ポイント3
物質的に満たされない状況でも、心を満たすことはできる。


「水を飲めば水の味がする」

このお言葉は、
「自分自身が苦しい時期を過ごしている時」
「おたすけの場面」等

色々な場面に転用できる言葉だと思いますので、この悟りがおたすけに携わっている方のお役に立てたら嬉しいなーって思ってます。



おまけタイム


どーも!2日連続21時前に寝落ちした男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

今めちゃくちゃ眠たいです。

どうやら、二日間たっぷり寝るだけでは、寝溜めができないという事が判明しました。

医学的には寝溜めはできないという説を聞いた事がありますが、そんな事信仰者である僕には関係ありません。(暴論)

寝溜めの可能性を信じたい。

むしろ信じるしかない。

そう思って、今日は寝るのが遅くなりますが、明日も快適に過ごせる事を祈ってます。


週一でしか更新していないのに、なんちゅう気の抜けたおまけタイムなんだとお叱りの声が聞こえてくる気がしますが、深夜の幻聴だという事にしておきたいと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!




サポートして貰えたら、そりゃめちゃくちゃ嬉しいです!