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225.嫌がらせに対してどう対処すれば良いのか「おさしづ」に書いてある件


はじめに


嫌がらせや批判を自分に向けられた時に、どのように応対すれば良いのか悩みますよね。

これって多かれ少なかれ、誰しもが悩んだことあると思います。

でもご安心下さい。

天理教の原典である「おさしづ」に、対処法がしっかり書いてありますので、今日はその「おさしづ」を紹介したいと思います。


悪を善で治め


松見崎という角力取(すもうとり)が本部へ無心に来て、平野楢増に向けて種々の事言い掛けるに付、過日刻限の話しもある故、如何取り計って宜しきや願

(前略)
世界の悪は皆あちらの悪こちらの悪皆寄せ、あちらへこちらへばら〳〵。とんと一つ悪を定めて道が付いた。悪を善で治め、たすけ一条、千筋悪なら善で治め。悪は善出る処の悪の精抜けて了う。
(中略)
所を変えて優しい心を治め、何よの処頼む。何程心あれども頼む。心あれば荒い言葉も使うまい〳〵。成るだけ秘っそう、出せまい、秘っそうにして。
明治22年2月7日


この「おさしづ」は、松見崎という力士が本部にいんねんを付けて金の無心をしに来たので、どのように対応すれば良いのかを本席様に伺ったものです。

こういった嫌がらせに対して「おさしづ」では
「悪を善で治め」
と言われています。

しかし、これは簡単なことではないと思います。

「勧善懲悪」が好きな人って多いですよね。
しかしこれは、悪を善で治めることとは真反対の考え方です。


倍返しダメ


皆大好き「ドラマ 半沢直樹」でも、主人公が悪役に「倍返し」する姿を見てスカッとした方も多いと思います。
(ちなみに僕は、半沢直樹を見たことありません)

でも「倍返し」は、神様の思いにまったく沿わない行為だと思います。

「所を変えて優しい心を治め、何よの処頼む。何程心あれども頼む。心あれば荒い言葉も使うまい〳〵」

このように述べられているように、
善は「悪を成敗すること」ではありません。
「優しい心を治めてくれ」と、おさしづでは述べられています。

優しい心で接すれば、相手の心の悪い部分も抜けていってしまうという事だと思います。



どうすれば優しい心でいられるのか


とは言っても、敵意を向けてくる人に対して、優しい心でいることは中々できないと思います。

そこで、教理や逸話篇等から、どうしたら優しい心になれるのか、参考にしてみましょうと。



○本質的に悪い人はいないと考える(おふでさき)


一れつにあしきというてないけれど
一寸のほこりがついたゆへなり 1号-53

世界中の人間に、誰1人としてあしきという人はいません、心に一寸ほこりがついただけで、人間の本質は善です。

僕は「人間の本質は善か悪か論争」の際、人間は
「性善弱説」であると考えてます。

人間の本質は善だけど、弱いからすぐほこりが溜まってしまう。

ですから、
悪意を向けてくる相手は「悪」ではなく、人間は弱いから「心にほこりが付いてしまっただけ」なんです。

このように、心を中心に考えると、相手も辛い状態なのだということが見えてきて、優しくなれるかもしれません。



○かしもの・かりもので考える(逸話篇)


悪意を向けられた結果、経済的に実害を受けた(受けそうになった)場合はどうするかという問題も思い浮かびます。

その際に思い出すのは、天理教教祖伝逸話篇「114.よう苦労して来た」のお話です。

天理教教祖伝逸話篇「114.よう苦労して来た」
泉田藤吉は、ある時、十三峠で、三人の追剥に出会うた。その時、頭にひらめいたのは、かねてからお仕込み頂いているかしものかりものの理であった。それで、言われるままに、羽織も着物も皆脱いで、財布までその上に載せて、大地に正座して、「どうぞ、お持ちかえり下さい。」と言って、頭を上げると、三人の追剥は、影も形もない。余りの素直さに、薄気味悪くなって、一物も取らずに行き過ぎてしもうたのであった。そこで、泉田は、又、着物を着て、おぢばへ到着し、教祖にお目通りすると、教祖は、「よう苦労して来た。内々折り合うたから、あしきはらひのさづけを渡す。受け取れ。」と、仰せになって、結構なさづけの理をお渡し下された。

「かしもの・かりもの」が心に納まっていれば、
「ものに執着しない」ということが、この逸話から分かってきます。

自分のものだと思うから執着してしまうのであって、全てのものは神の身体であり、自分の物は何一つありません。

自分の都合に関係なく、その時がきたらお返ししなくてはいけないのだと理解していれば、泉田藤吉氏のように、

言われるままに、羽織も着物も皆脱いで、財布までその上に載せて、大地に正座して、「どうぞ、お持ちかえり下さい。」

と言えるのかもしれません。



○相手を恩人だと考える(口伝)


山本利三郎氏が教祖から聞かせて頂いた話しに

「人が悪口を言うたら、その人のうしろ姿を拝んで通るんやで、そうしたら、その人がこちらの因縁を取ってくださる恩人になるのやで。」

という言葉があります。

悪口や批判を浴びせられることもあると思います。
しかしそれは、医者が患者の悪いところを指摘して治療するように、相手が自分の悪いところ(心の癖)を教えてくれている恩人なのだと理解できれば、腹を立てることなく悪を善で治めることが出来そうです。


実行はどれも難しい


ここまで、書いていて気付いたのですが、「悪を善で治める」のは簡単なことではないみたいです。(今更)

むしろ上に書いた方法の他に、教祖のひながたに解決策を求めてみたり、具体的な解決方法を考えれば考えるほど、かなり難しいことだと感じました。

やはりここは、難しく考えるのはやめにして、
万能であり最強の心遣いである「たんのう」
これができれば、悪を善で治めることもスムーズに出来るだろうなと思います。


(ん?もしかして大半の記事は「たんのう」で締めれるかも…)



おまけタイム


どーも!最近あるチャレンジを始めた男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

最近、おそらく毎日そこそこの時間を使っても1年以上時間がかかりそうなチャレンジを始めました。
3分の1くらい消化できたら、どんなことをやっているか経過報告をして、自分を奮い立たせていこうと考えています。

今は内容を言いません。

出来ないかもしれないから。

チキンなので言えません。

出来なかったら恥ずかしいから。

でも、何かやってることを公言しておくことで、強制的にやる心境を作らせて下さい。


本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!


サポートして貰えたら、そりゃめちゃくちゃ嬉しいです!