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243、秀司氏の最期の言葉


はじめに


「みちのとも 明治43年3月号」
「中山秀司先生に憶う 桝井本部員」
と題した記事がありました。(桝井本部員=桝井伊三郎)

そこには秀司氏の思い出が綴られているのですが、その中に、秀司氏が出直す直前の最期のお言葉が掲載されていましたので、その紹介をしつつ、僕が感じた事を書いていこうと思います。


桝井氏は、明治41年12月に本部員なられ、明治43年7月に61歳で出直されました。
ですので、「みちのとも」のこの記事は、桝井氏が出直す直前の貴重な記録になります。


秀司氏の人柄


まず、「天理教稿本教祖伝」や「教祖物語」では分からなかった、秀司氏の人柄が書かれていましたので、紹介させていただきます。
(以下引用文は全て現代仮名遣いに直しています)


【容姿】

身体付きでございますが、左様、中々ご立派な御方でございました。身の丈五尺五六寸、肉付きのよい御方で、色も白く、まゆ毛の濃い威のあるお姿でございました。

なるほど!

こうやって見た目の特徴を知ると、秀司氏がどのような容姿をしていたのかが思い浮かんできます。
(ちなみに「身の丈五尺五六寸」とは、約166㎝~169㎝くらいの身長になります)

丁度こんなかんじです。

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流石「教祖物語」再現度高い気がします。


【性格】

気のスッパリした陽気な性質でいらっしゃいまして、それはそれは、人付き合いの良いお人でした。気のさばけた御方ですから、人と我との区別をお立てにならず、外出でもなさる際には家中の事をスッキリ他人に腹蔵なく(※包み隠さず)お任せになるという方でございました。

【エピソード】

そういう風で慈悲も非常に深く、近所の小作人などで暮らしに困っているような話しをお聞きになりますと、米なり何なりお与えになります。貸しておやりになったものでも、やいやいやかましく催促になったというような事ではありません。このへんで返さないでそのままに許してやることを「帳消し」と申しますが、先生が帳消しになさった事はどの位が知れません。
秀司先生は学もよくお出来になりましたが、大変器用な御方で、どんな事でもなさいました。村の区長などに選挙されておなりになった事も度々で、辞退なされてもまた選ばれるというような次第でありました。当時役場でも何かむつかしいものが来ると「中山が出てきたら読んでもらおう」と言って先生のお出でになるまで待っていたという事でございます。


性格やエピソードを読んでみると、慕われていただけでなく、頭も良いということで、村の人達から頼られていたことがよく分かります。

ただ、この辺りは今日の本題ではないので、サクサク次へ進みたいと思います。



秀司氏最期の言葉



ということで、ここからが本題です。

桝井伊三郎氏が秀司氏から聞いた、出直される前に言われた言葉を紹介します。

宿屋、風呂やをお始めになってから二年も経ってからだと思います。六十一歳でお隠れになりました。別に大した病気というではなく、楽にお眠りになるようにお隠れになりました。お隠れになる時も、もう一度寿命をお延ばし下さるように神様にお願いもうしましょうかとお尋ね致しますと、先生は
「無い寿命をお願いするのは、それは欲だすセ、理の欲というものだす」
と仰せになって、更にお苦しみの様子を拝見しませんでした。
(「それは欲だすセ」の「セ」の読み(意味)分からなかったので、そのまま表記しています)


「無い寿命をお願いするのは、それは欲だすセ、理の欲というものだす」

(語尾が「だす」だということに、まず衝撃を受けたことはさておき)


無い寿命をお願いするのは「理の欲」であると、秀司氏は言われています。

まずこの「理の欲」という言葉ですが、この解釈に関しては大変難しいです。

そもそも天理教では「理」という言葉に含まれる意味が膨大で、
天理教辞典にも
「『理』の意義は極めて深淵であり、これを定義づけることは難しい」
と書かれています。

なので、
「理の欲」とは何か?
という問いについて考えることは、今回放棄します。
(誰か教えて下さい笑)


しかし、秀司氏が自分の命を「無い寿命」と言われた事には、心当たりがあります。

それは、秀司氏が出直す前年、金剛山地福寺へ願い出て看板を貰いに伺っていました。

教祖から
「そんな事すれば、親神が退く」
と言われていましたが、秀司氏は教祖に対する官憲の弾圧も無くすために、教祖の反対を押し切って、地福寺へ看板を貰いにいきました。

ですから、自分の命を「無い寿命」と言われたのも、
「身の内から親神の御守護が退く」
ということを
「覚悟していたから」
かもしれません。

このお話を読んだときに、「東本大教会初代会長 中川よし氏」の生涯を書かれた本「大いなる慈母」を思い出しました。

「私は、今度、身上をお返し(出直し)だと思います。皆さんも私をたすけようと思って、決して神様に無理なお願いをして下さるな。私は今、五十三歳です。これで出直すとすれば、若死にのように思います。しかし丹波で、お母様の命をたすけて頂くために、私の寿命を半分に切りつめて、お母様の寿命をあと二十年先延ばして頂きたいとお願いしました。神様は、この願いをお聞き届け下さって、お母様はきっかり二十年、寿命を延ばして下さいました。だから、私が身上をお返ししても、五十三歳で出直したと思ってはいけません、本当は、それだけでも七十三歳まで生かせて頂いたのです。皆さんはこれをよく承知して、決してご無理をお願いしないように」
(中略)
このことについて、本三宿分教会長坂野さくは、次のように話している。
「ある時、亡くなられる五、六年前でしたか、会長様がおっしゃいました。私が病気しても、決して神様にお願いしてはいけないよ。私はね、自分の生命を切りつぎ切りつぎお願いをして、随分たくさんの人様にたすかって頂いたんだよ。この間勘定したら、もう私は三百五十何歳になっている。そんなのが厚かましく生きているんだからね」

中川氏も秀司氏と同じく、
「神様にお願いしなくて良い」
と言われています。

秀司氏は「教祖の反対を押し切って」
中川氏は「自分の寿命を縮めて」
と、若干願いの筋は違いますが、この2人に共通していることを上げると、

・無理な願いであったが、御守護頂いた。
・その願いは自分のためではなかった。
・その願いのためには自身の犠牲も厭わなかった。

・2人とも親(母親)のための行動であった。
という事が見えてきます。



神様が簡単に治してくれないのはなぜ?


このように、寿命とまではいかずとも、自分を犠牲にしてたすかりを願うという話しはよくあります。

例えば、目の見えなくなった子供のために、自分の片目を差し出して、子供の片目を見えるようにして頂くと言った話しもありますし、
教祖が「月日のやしろ」となられる前の「黒疱瘡のおたすけ」の話もあります。

稿本天理教教祖伝
「無理な願いでは御座いますが、預かり子の疱瘡難しい處、お救いけ下さいませ。その代りに、男子一人を残し、娘二人の命を身代りにさし出し申します。それでも不足で御座いますれば、願満ちたその上は私の命をも差上げ申します。」

こういった話しを聞くと、
「なんですぐに病気を治してくれないの?」
「なんで犠牲を払わなきゃいけないの?」

という疑問を持つ方もいるかもしれません。

この疑問に関しては、僕の実体験をもってお答えしたいと思います。


僕の母は2年前に出直しました。

その出直す1年前にも、母は倒れ、救急車で病院に搬送されました。

母は喘息持ちだったのですが、その時は発作が酷くなり、一時心肺停止状態となって命も危ない状態でしたが、なんとか命を助けていただくことができました。

しかし、少なくとも一ヶ月以上は入院しなくてはいけないと医者から言われました。

この時僕は、母を助けて頂きたい一心で神様にお願いしました。
「神様、お母さんの苦しみを、僕が引き受けられるだけ引き受けますので、どうか無事に退院できるよう、たすけて下さい。」

こう願うと不思議なことに、
高校以降は、年に1〜2度喘息になる時もあるという程度だった僕が、
その日から、毎晩喘息で苦しむことになったのです。

この時は二ヶ月近く、毎晩喘息で苦しむことになりました。

最初は神様にお願いした身でありながら、
「なんで、今年はこんなに喘息で苦しむんだろう」
と思っていました。

しかし、母が予想以上の回復を見せ、約3週間で退院することができると聞いた時に初めて
「自分が喘息で苦しんでいるのは、神様が僕のお願いを聞いて下さったからだったんだ」
と気づいたんです。

気づいた瞬間、毎晩苦しんでいた喘息の症状が、
「しんどく辛い苦しみ」
から
「めちゃくちゃ有難い苦しみ」
「喜びの苦しみ」

に変わりました。

「自分の辛い状態が、母のたすかりに貢献できてるんだ。」

そう心の底から思えた時に、苦しいことが、心底嬉しいと思えたんです。
(もちろん、僕以外の家族や親戚、その他大勢の方が母の助かりを願ってくれていましたので、僕の願いだけで御守護いただいた訳ではありません)

もしこれが、僕には何の体調の変化もなく、ただただ母が早く退院できたというのであれば、

僕が神様のご守護を「こんなにも有難いと思うこと」は無かったでしょう。

例え自分が苦しんでも、自分の本気の心が神様に通じ、願いどおりに叶えて頂くということは、もの凄く大きな喜びになるんです。


まとめ


おこがましい事ではあるんですが、僕の経験も秀司氏や中川氏と同じ、親(母)の助かりを願っての行動だったという共通点があります。

ぶっちゃけ二ヶ月苦しむ事と、寿命が縮まる事を天秤にかけたら、そりゃ自分が被る犠牲の大きさは全然違います。

しかし、秀司氏や中川氏も、
自分を犠牲にする事になっても、親を助けて頂くことが出来たということは、きっと大きな喜びだったんじゃないかと思っています。


それらを併せて考えると「理の欲」とは、

自分の願いを叶えるために差し出したもの(寿命)を
「願いが叶ったけど返して欲しい」
と神様に理の無いお願いをする事

かもしれませんね。



おまけタイム


どーも!急に他媒体での露出が増えてきた男
ほこりまみれの信仰者こーせーです。

最近急に他媒体での露出が増えてきた気がします。

ということで、それにちなんで「こんな露出狂は嫌だ」ベスト3を発表したいと思います。


第3位 剛毛の露出狂
胸毛とか全身の毛が濃い露出狂は、ちゃんと剃ってから行動に移して欲しいですね。
エチケットってやつです。



第2位 口だけの露出狂
口では露出狂だと自称しておきながら、一回も行動に移したことのない口だけ野郎は、一度行動してから言ってもらいたいものです。




第1位 真の露出狂
真の露出狂って何?



久しぶりにベスト3系をやると、かなり自分の腕が鈍っていることが分かったので、日々精進していきたいです。


本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!

【告知】 


おたすけピックスに出ます!
日時:2021年10月9日(土)13時〜
内容:ヤバイ、手加減無し
申込:天理教青年会HP

お時間ある方は是非聞きに来てください!
申込はこちら↓


どんな奴が喋るのか気になる方は、こちらの動画で確認してください↓


ということで、


ほな!


サポートして貰えたら、そりゃめちゃくちゃ嬉しいです!