自分をいいと思えないとき





少し前に、
とても凹んだ出来事がありました。

このことについて書くか
書かないか、長らく悩みました。

何度か消そうとしました。

でも

私はいつもみんなに読んでもらうことで、
自分を整理して、
前に進むためのパワーを
もらってきた。

さらに

ネガティブなことを認めるって
自分で決めた。

この出来事が私にとって
どういう出来事だったのか、
書くことで俯瞰してみたい。

自分の中でうつうつと考えるより、
外に出すことで何か価値が
あるかもしれない。

とりあえず書いてみます。



私、すごくアグレッシブだとよく
言われます。忙しそう、
果敢にチャレンジしてそう、
いつも活動していてすごいね的な。

でも本当は、
そんなにチャレンジできてないし、
やらなければいけないことを
後回しにしたり、
いい加減に考えたりして、
すごいミスと抜けが多いのが本当です。

つまりまあ、一言で言うと

「回ってない」

例えばよく財布を忘れたり、
さっき持ってた駐車場のチケットが
どこにあるか分からなかったり、
家で携帯を常に探してたり。

から始まり、

子どもの予定を把握しきれず間違える、

というような、シャレにならない
自分だけで終わらない
失敗も多々あります。


例えば以前、日本では

子どものピアノ発表会の日程を
間違えて、電話で慌てて向かい、
間一髪で間に合ったこともあるし、

授業参観の開始時刻を間違えて、
終わってから行ったこともある。

(どちらも被害者は
長女ラスカルで、泣いてました…)

他にも振り返れば、
本当に数々の
色々な失敗をしてきました。

子どもの頃からそうだった。

自分としては
いい加減に考えてるつもりはなくて、
真剣に必死で回してるつもりなんだけど、

周りから見ると

「なんでもっと準備しとかないの?」
「確認すればよかったのに」
「よく考えたらわかるよね」
「普通もう少しちゃんとしてるでしょ」

ってなると思う。

いや本当、その通りなんです。
自分でも後からそう思います。
でもなぜかうまく出来ない…


例えばひとつ出来ても、
複数のことになると出来ない、
みたいな感じ。

大人になって、学習を重ねて、
これでもかなりマシになったと
思いますが、時々、自分自身を
注意欠陥多動性障害…?と
疑う事もある。

そんな部分がすごく嫌で、
いつも何かしら
そういう事態になるんじゃないかと、
行事の時とかは特に、
いつも不安感がある。


でも、
そんなに迷惑かけてるつもりは
実はなく、

なんとなーく「ごめんね」で
許してもらえてる、

なんとなーくだいたいは
回せているつもりだった。


失敗しない人はいないよねー
とか言って。


そのゆる〜い感じが人によっては
すごくイラつくんだろうと思う。

でも、ここ、もし突き詰めてたら、
何か良くないものの
入り口だったのではないか…?

鈍感だったから生きてこれたのかも?

ともちょっと思う。

でも全然回ってなくて、
周りに迷惑をかけていたのは
ホントである。


先日、ついにある人に
ズバッとそこを指摘された。

ある人のことを
友だちと私は思っていたけど、
全然そうではなかった。

予想以上に信頼されてなかった。

信頼してない人と友だちにはなれない。

そうか、私って本当に
いい加減で、友だちになる価値もない、
何にもできない人なんだ!と、
ハッキリ見えた。

客観的に見た自分、
薄々気が付いていたけど見ないように
していた自分を見てしまった。

友だちだと思っていた自分の
浅さ、観察力のなさ。


おお…
凄いカッコ悪い!
なんという無様な姿!


こういう時の心理って、
軽い事故に遭った
くらいの衝撃が来るんですね。

心はそれくらい
ショックを受けてるのに、
身体はまったく怪我もないという
ズレ。

普通に話したり笑ったり、
しようと思えばできる不思議。

でも身体にも、やはり影響はあり、
下腹がキュッてして、
動悸がずっと早くなり、
変な時刻に起きたり寝たり、
長く下痢になり、
肌には全身湿疹が出て…

うん、体と心は繋がってるなとわかる。

心の中では必死でバランスを取ろうと、

自分のことを責めたり、
逆に可哀想と思ったり、
ズバッと言った人が悪いんだと
思ってみたり、
もう忘れて違うことを考えようとか、

まあ本当に
色々頑張るものなんですね。

イソップ童話の
「酸っぱいぶどう」みたいな。
あれ本当によくできた話だよな、と、

その心理の流れを、どこかで
客観的に眺めてる自分を感じました。
 

このカッコ悪い、
なんにもまともにできない
気遣いのない人間。

これが私なんです。

これを知るために
ここまでの流れが
あったのかもしれない。


こういう時、
手負いの獣のように、
何が良くて何がダメか
本能的にわかる。

やはり寝不足はダメで、

楽しいこと、好きなことも
少なからず自分を救ってくれる。

ご飯も抜いてはいけなくて、
お腹は空かないように感じるけど
ちゃんと食べるべき。

友だちとのなんでもない会話は神。

今でも自分のそういういい加減で
きちんとしてないところ

真心がないところ

嫌だと思う。

もっと自然にちゃんとなんでもできる、
他の人になりたいと思う。

嫌だけど、嫌いにはなれない。
嫌いって言ったところで
逃げることはできない。

このポンコツを
立て直して立て直して、
修理しながらやっていくのが
私の人生というものなんだ。

こんなポンコツでも
子どもや旦那さんや
心優しい友達に助けられて
やっていっていいんだ。

どんなに失敗して、
人に迷惑をかけて、
幻滅させて、
怒らせて、

それでも

美味しいものを食べたり
面白いことに笑ったり
成長したいと思ったり
していいんだ。


たった一回、
しかも悪意でなく言われた
言葉だけでも
こんなになってしまうのかと、

改めて言葉の強さ、怖さを思った。

悪意で何かを言われ続けるような、
いじめに遭った人の気持ちは
どんなに辛いだろうとも
考えた。

いいと思えない自分を愛してあげて、
大切に受け入れていく作業が、

どんなに地道な努力と他の助けと
時間と創意工夫が必要なことなのか。

苦しんだ分だけ、
学ぶことができる。

今の私を支えるのはそのあたりの地点。

足掻いた分だけ懐を深くしたいです。


今日は山羊座の新月。
そして部分日食もありました。

肉眼で見るとこんな太陽が

フィルターを通すと
三日月みたいに!

友だちのルーシーダットン&
ヨガニドラーのレッスンにも
参加できて、

そのパワーに後押しもされて、
やっとまとめることができました。


新月の願い事は叶う
という考え方があります。

日食も新しいものが始まる、という
強いエネルギーの時だとか。

色々なものを手放して、また
手に入れて、
新しい理想の場所に行けたらいいな
と思います。


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ここまで読んでくださった
あなたにも、私は支えられています。

本当にありがとうございます。


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