帽子と共に生きる(2022.7.31)

共に生きた証。

前を歩くおじさんが帽子を被っていた。寅さんが被っているような帽子で、調べると「つまみ型ハット」とか「中折れハット」とか言うみたいだ。360度ツバがついたような帽子。

おじさんはスキンヘッドらしく、後ろから見た時、襟から帽子にかけて滑らかな肌が続いていた。

滑らかな肌の途中、色の境目があることがわかる。太陽の下を歩いたときに帽子によってちょうど影が差すライン。小麦色の肌と比較的小麦色の肌が線をなして隣り合っていた。

なるほど、このおじさんはいつもこの帽子を被って出かけているに違いないと思った。

おじさんと、帽子と、太陽がなすライン。

何かと共に生きれば、それらは身体に自然と経験や記憶を刷り込み、刻印を付けたり身体の構造そのものを変えてしまうのかもしれない。

例えば使い続けているペンが手に馴染み、更には指にタコができるように。

共に生きるのがモノでも、コトでも、ペットでも、人間でも。

知らず知らずのうちに僕は様々なそれらと共に生きて、共に生きた証を自分の隅々にまで刻んでいくだろう。

なんだかそれは、嬉しくて誇らしいことだなと思った。

なるべく自分で選び、共に生きる。

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