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『虐待児の詩』 新潮文庫の一冊

「三億円事件」


一橋文哉の「三億円事件」といえば、ビートたけし主演でドラマ化されていたらしいのだが、残念ながら、再放送も無かったようで、私は見ていない。
それどころか、こんなにリアルでスリルのあるノンフィクションが存在すること自体知らなかったのである。

私と一橋文哉との出会い(といっても直接本人を知っているわけではなく、一橋氏の執筆のことであるが)は、仕事上読まなければならなかった多くの技術書に、押し潰されそうになっていた時だった。

その日も、いつものように行きつけの書店の技術書の棚へとまっしぐらに向かおうとしたのだったが、入り口付近に堆く詰まれていた真っ赤な表紙が、なぜか視野の片隅に止まってしまい、ふとその赤い本をとって開いてしまったのだ。

その瞬間、罠にはまってしまったのである。

もっと先が知りたい、最後まで読みたいという気持ちに負けて、大枚?はたいて買ってしまったのだ。勿論、文庫本でなくハードカバーをである。

それは「『赤報隊』の正体」という本で、朝日新聞阪神支局襲撃事件について書かれたものだった。一気に読み終わってしまい、日本人にもこんな凄いルポの書ける人がいたんだと思いながら、不覚にも放心してしまった。

私はフレデリック・フォーサイスなんかも結構好きなのだが、ルポという純粋な視点で捉えると一橋文哉の方が現実に忠実な分はるかに凄いかもしれないなと感じさせられた。
しかも、読み物としても面白いのであるから言うことはない。

そしてこんな凄いルポを書いた人間が「三億円事件」についても出版しているということを巻末で知ると、いてもたってもいられなくなり、またもやハードカバーで「三億円事件」を買ってしまった。

当時、既に文庫本かされていたのにそんなこと考えもしなかった自分が、若干、情けないのだが、そんなこんなで文庫本の「三億円事件」はハードカバーとあわせると二度目になる。

それでも「三億円事件」を文庫本で買った理由は、速読の慣らし(目慣らし?)には、一度読んだことのある方が良いと判断したからである。

先ず、ハードカバーで読んだときの印象を述べると、やはり、スリルとサスペンスにリアルさが相俟って、「うーん、事実は小説よりも奇なりか・・・」と考え込んでしまった。

そして、今回もう一度読み返すことになった理由なのだが、人は人から影響を受け、そしてまた人に影響を与え・・・、そして体験したことを一生引きずって生きていく、人間とは本当に因果な動物なのだと思わず考え込んでしまったからだ。

一橋文哉の取材がすべて真実なら、かなり信憑性のある話だと思うし、彼がターゲットとした「先生」と不良グループから呼ばれていた人物が、仮に「三億円事件」とは無関係な人物であったとしても、そこには「三億円事件」で一橋文哉が描いたのと同等、若しくはそれ以上の因縁が渦巻いていることに変わりはないのである。

そこには、血の通った真実が見え隠れしているのがわかる。

事件の背景には、必ずその犯罪者の生い立ちがあり、事件とは、その生い立ちゆえに起こるものなのである。
同じ文章をただ読み返すだけでも、もう一度考えさせられていたであろうが、より強く因果というものを考えさせられたのには理由がある。

実は、この文庫本版の「三億円事件」の巻末には、文庫特別編として、「『クレイジー・ジョー』最果ての地に死す」という最終章が追加されているのだ。
その内容はこれから読もうとされている方々のために詳しく述べることはしないが、ハードカバー発刊後も一橋文哉は取材を続けており、「先生」と呼ばれていた人物の足跡を追い続けた結果がしっかりと付加されているのである。

私のようにハードカバー版で読んで良かったが文庫本版は読んでないという方には、是非、文庫本版も読んで見られることをお勧めしておこう。




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