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真冬のランドリエ

今日は麻雀とは1ミリも関係ない話を。
まとまりなく、とりとめなく。まさに、徒然なるままに。
という感じ。

昼間、仕事で色々あって。

抱えたストレスを癒す、あるいは吹き飛ばしにどこかへ行くこともままならないくらいに疲れてしまった。

19時過ぎに自室に帰って、夕食を取ってからベッドに寝転んでスマホをぼーっと眺めていた。

何にもしたくない。

重力に抗うことが出来ないままで横になっていたのだけれど、肌に触れる掛布団の感触がなんとも気に入らない。

気になるとすべてがストレス。

今日という日はそういう日なのだろう。
仕方がない。

掛布団を抱えて、近くのコインランドリーへ車を走らせたのが21時半。

掛布団が乾燥機の中でくるくる回るのを数十分眺めていた。

昔から洗濯物がドラムの中で回っているのを観るのが好きで、今日も乾燥機の前でしゃがみこんでた。

途中、メンテナンスに来ていたお店の人が、
「どうかなさいましたか?」
と、心配そうに僕に声をかけてくれたのだけれど、
「洗濯物が回るのを眺めているのが好きで」
なんて話をしてもわかってもらえないだろうから、
「いや、別になんでもないです。」
と、そっけない返事しかできなかった。
スタッフさん、ごめんなさい。

洗濯物が回るのを眺めているのが好きになった理由。
それは、大江千里さんが1985年にリリースした「未成年」というアルバムを聴いてから。

同氏のヒットシングル「十人十色」が収録されている3枚目のアルバムで、リリースされた当時僕はまだ7歳。
もちろんリアルタイムでこのアルバムには出会っていなくて、1990年頃にハマった渡辺美里さんの影響で、時を遡るように千里さんの楽曲を紐解いていく中でこのアルバムにたどり着いた。

1曲目の「REAL」で「リアルに生きてるか、激しく生きてるか」という歌詞が多感な頃の自分にはあまりにも鮮烈で。
思春期特有の恥ずかしさから、何事にも真正面に向き合えなかったのだけれど、それではいけないとこの楽曲に気づかされたような気がして、一気に大江千里というアーティストにはまり込んだ。

このアルバムの中に「真冬のランドリエ」という楽曲が収められている。

これを聴いた当時、僕はそれこそ「未成年」だったけれど、遠くに住む2つ年上の女の子と一丁前に遠距離恋愛をしていて。

電話と手紙で連絡を取り合って、毎年夏休みに3日だけ、その子が住む町へ遊びに行って、同年代の子たちと一緒にキャンプをするのが僕らの関係。
もう何年も続いている夏休みの恒例行事だった。

小樽から彼女が住む深川という町まで、片道3時間のバスの旅。
小樽から札幌で一度バスを降り、旭川行きのバスに乗り換えるのだけれど、僕は当時乗り物に弱く、バスに乗ってすぐに具合が悪くなっていた。

そんな車内で僕が酔い止め薬とともに頼りにしていたのが、カセットテープのウォークマン。
私の家はあまり裕福でなかったため、CDなんか買わせてもらえなかった。
だから、家の近くのレンタルビデオ店から美里さんと千里さんのCDを借りてダビングしたり、ラジオのリクエスト番組にはがきを出して、それをテープに録音してみたり…。
そのテープを何本もカバンに詰めて旅のお供にしていた。


バスが深川のインターで高速道路を降りると、すぐに石狩川と鉄橋が見える。
鉄橋を渡ると数分で左側に寂れたバスターミナルが現れて、僕はそこでバスを降りた。

ターミナルの周りには民家ばかり。
コンビニなんてものはなくて、おおよそ町の中心部とは言えない佇まいだったけど、僕にとっては楽しさしかない第二の故郷。
車窓の向こうに街並みが見えてくる胸の高鳴りは忘れられない。

集合場所になっている公民館までの道すがらに、彼女の家がある。
彼女の家はパン屋さん。
彼女はとっくに集合場所へ向かっていて、キャンプの準備を手伝っているのだけれど、僕は彼女の家のパンのにおいが大好きで、彼女がいないのを承知でパン屋さんに寄り道するのがいつものことだった。

「あら、久しぶりね。マリエなら先に行ってるわよ。」

彼女のお母さんは私の顔を覚えていてくれて、私の好きだったたこ焼きパンを一つ、紙袋に入れていつも差し出してくれた。

1年ぶりのパンを口に運びながら公民館へ。

久しぶりに彼女に会える。

今だったらすぐに駆け寄って手を繋いで、再会を素直に喜べるだろう。
でも、中学生の僕にはそんなことできなくて。
どんな顔をして彼女と会ったらよいのかわからず、パンを食べながら公民館の周りを何周かして、気持ちが落ち着くまで時間稼ぎをした。

「そこで何してるの!早く入ってきてよ。」

その声に驚いて見上げると、公民館の2階から彼女が手を振っていた。

「なんでここの周りをぐるぐるしていたの?」

不思議そうに問いかける彼女。
照れ屋の僕の気持ちなど、知る由もないだろう。

僕は犬じゃなくてよかった。
会えてうれしい気持ちが尻尾をブンブン振ることでバレていただろうから。

「いや、考え事してたんだ。」

精一杯の言い訳をして取り繕ってみるけれど、きっと年上の彼女にはお見通しだっただろう。
今考えると決してこれが正しいこととは思えないけれど、当時の僕には年上の彼女に格好悪いところを見せたくないという精一杯の背伸びだった。


多感な頃の夏。
3日間はあっという間に過ぎて。

キャンプ場から公民館へ僕らは戻ってきた。

そして僕は、いつも彼女を自宅まで見送っていった。

「バスターミナルまで見送るよ?」

そういう彼女だったが、見送られるのが寂しくて、僕は彼女といつもここで別れることにしていた。

離れがたくなる前に。
そう。きっと、離れられなくなるから。
だから、去り際は出来るだけあっさりと。

僕は中学2年生。彼女は高校生。
たった2つの年齢の差だけれど、この差がとても大きなものと感じられていた。

彼女に見合うような「大人」にならなければ。

「また来るよ。手紙も書くし、電話もするね。」

精一杯の背伸びをした結果、僕の態度はそっけないものだったのかもしれない。
僕なりに格好つけて、言葉少なにターミナルへ向かう僕。

しばらくして、彼女は僕を追いかけてきた。
そして、僕のシャツの裾を掴んで彼女は言った。

「なんか、寂しい。それじゃ。」

出会って数年、文通をするようになってから3年目の夏。
ターミナルまでわずか数分の道のりを、僕らは初めて手を繋いで歩いた。

「元気でね。また、会いに来てね。」

ただその言葉だけを繰り返す彼女。

「うん。」

何を話していいのかわからない僕。

結局、僕らは繋いだ手を離せないまま、乗るはずだったバスを1本見送り、ターミナルのベンチに座り込んだ。

上手く話が出来ない僕は、言葉の代わりにウォークマンのイヤホンを片方彼女の耳に当てて、帰り道に聴くはずだった千里さんの楽曲を流した。

それが、「真冬のランドリエ」。

遠距離恋愛…とも言えないような、ただ恋に恋をしていただけの子どもの頃。
気持ちの確かめ方も知らなかった僕らが、距離と時間というものに押しつぶされそうになって。

その不安な思いと楽曲のイメージが、彼女に伝わったのかもしれない。

「この曲、いいね。少し寂しいけど。」

片方ずつのイヤホンと、ぎこちなく繋がれた手と手。
この時の感情を、今になっても上手く言葉にできないのが歯がゆくて仕方がない。

次のバスがやってきた時、彼女は僕の手を両手で握り直して言った。

「ようやく、見送る気持ちになれた。また会いに来てね。待ってる。」

彼女に促されてバスに乗る僕。
夕映えの中、やがて走り出したバスの後ろ姿に、大きく手を振る彼女。

僕はあの光景よりも美しいものを、まだ観たことがない。

結局僕らはお付き合いするまでには至らなかったけれど、千里さんの声を聴く度に今でも思い出してしまう。

初恋の味は甘酸っぱい、なんていうけれど。
僕にとっては甘くて苦い、そんな感じだ。

小樽に戻ってきて、僕はキャンプで汚れた服を近所のコインランドリーへ洗いに行った。
彼女との旅の思い出を、母親に洗い流されてしまうのがためらわれたからだ。

ランドリエの中で、くるくる回る洗濯物。

その向こうに、彼女が笑っている顔が見える気がして。

思い出を一つ一つ整理するように、僕はランドリエを見つめていた。


掛布団がくるくる回るランドリエを見つめていた今日という日。

「乾燥が終わりました。」

と、無機質な女性の声で、初恋の思い出は終わってしまった。

甘くて苦い夢を観て、きっと今夜の眠りは浅いことだろう。

ってか、寝らんね。

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