見出し画像

第2期鸞和戦ベスト8B卓観戦記

ここ1年の北海道の麻雀界は、若手の活躍が目覚ましい。

若獅子戦では村上玲央プロが決勝へ進出し、非凡な才を存分に見せつけてきたし、桜蕾戦では安藤りなプロ、木下遥プロがその存在感を視聴者の目に焼き付けてきた。

そして、北海道からこの度登場するのが會田亮介プロ。(以下、敬称略。あしからず。)

彼を見知ったのは10年ほど前。
北海道の名だたる打ち手が集まるリーグ戦に飛び込んできたのが初めてだったと思う。
自分のことを棚に上げて彼の実力を評価するのは気が引けるのだが、彼よりも年齢が上ということだけでお許しいただけるなら、正直言って当時の彼は「市井の麻雀が好きな若い子」そのもの、とにかく普通の男の子という印象だった。


だが、彼が他の打ち手と違うと私が気付くのはそう時間はかからなかった。

とある勉強会でのことだった。

自分が理解できるまで、粘り強く講師を務めてくれた某プロに向けて熱心に質問を繰り返していたこと。
負けても負けても、顎を引いて卓にかじりついていた姿。
そして何より、人に愛される人柄。

いつしか、会うたびに彼の打ち手としての姿がまぶしく感じていた私は、心底人の見る目がないのだなと恥じ入ってしまった。

やがて月日は流れて。
彼は連盟の門を叩いた。

「この場で自分の力を試してみたいんです。」

いつだったか彼と話す機会があり、プロ入りした動機を訪ねた時、きらきらと目を輝かせて彼はこう言った。
その眼光は未来に夢を抱く少年のようでもあり、戦場で相手を撫で切る侍のようでもあり…。
いずれにしても、かつて私が「普通の」と評した男はそこにはいなかった。

彼の麻雀を一言で表すなら、『意思』の麻雀だ。
これまでの苦労や経験、様々な打ち手から吸収してきた麻雀に対する美学を、卓上に描こうというのが會田の麻雀だと私は思っている。
勝たねばならないこの場だからこそ、その『意思』をどれだけ貫くことが出来るのか。
恐らく、會田の心はそんなところにあるだろう。

だから、勝てたならそれでよいが、例え死地にまみれることとなったとしても、彼らしく、前向きにうつぶせに斃れることが出来たら良い。

さながら私は、彼の兄か父にでもなった気持ちで戦いを見守った。

會田がかつてのようなただの優男ではなく、勝負師…いや、麻雀の真理にたどり着きたいと焦がれる「求道者」として成長した姿を見せつけたのは開局早々のことだった。

1回戦の東1局。會田は起親。

3巡目に6ピンを引いて會田の手が止まった。
親ということもあり、ストレートに手を進めて早く先手を取りたい打ち手はツモ切りするのだろうが、會田が育った世界ではそうは打たない。

そう、會田は打1万。
第1打に2ソウが切られているが、遠すぎる三色に固執することはせずに、この6ピンは残して「型」を入れに行く。
これが、會田が育った文化の打ち筋だ。

和久津の仕掛けを挟んで6巡目に會田はテンパイ一番乗り。
ストレートにリーチに踏み込む向きは多いように思うが、だったらペン3万落としのような手筋は踏まない。

會田は当然のごとくテンパイ取らず。
目先の2000点が欲しいならば、とっくにノミ手のリーチに踏み込んでいる。
しかし、場面は東1局。
何のしがらみもなく、得点的な縛りもない。
言ってみれば、一日で最も自由に麻雀を謳歌できる時間。
相手との間合いを計りながらも、會田は出来るだけ大きな絵を卓上に描こうとする。

發のトイツ落としからタンヤオに渡ってこの広いイーシャンテンに受けたところで、

水野の本手リーチ。
和久津のソウズ仕掛け、しかも場には外側の2ソウが2枚飛んでいるにもかかわらず強気にリーチをかぶせてきた。

対する會田は、

2ピンを引き入れて打3万でヤミテンを選択。
2軒リーチとして手の短い和久津の首を絞めに行くことも出来るのだが、リーチ後にソウズを引いて味の悪い結果を背負うのはあまり得策ではない。
弱気に映るかもしれないが、この形が「最終形ではない」というのが會田の判断。
前がかりになることなく、冷静に打てている印象を私は持った。

結果は、和久津が掴んでいた6ピンをイーシャンテンから押して決着。

2,000点の和了で打点こそ小さめだが、本手のリーチをかわし、仕掛けた和久津の手も実らせなかったこと、さらにやるべきことをしっかりと出来ているという点で、會田の出来が相当良さそう。

しかし、ここには一人、忘れてはいけない男がいる。

言わずと知れた名手、西川である。
攻めさせて良し、守らせて良し。
とにかく、この西川にイニシアチブを取らせてはいけない。
會田のみならず、和久津、水野共に、そのことは頭の中にあったはずだ。
しかし、その暗黙の防御線を、西川は軽々と超えてくる。

東3局、5巡目にリーチを入れると、中盤に2000-4000ツモ。
次局の親番では、

和久津の先制リーチに対して無筋の4ソウをぶつけて追いかけリーチ。
そして、ツモ切った發を水野に叩かせて、

6000オールを誘発。
完全に流れをモノにした西川が1回戦から1人浮きの大爆発。

一番点数を持たせてはいけない相手に点数を持たせてしまった。

麻雀は何が起こるかわからないものだが、ことここに及んでは西川の勝ち抜け確率は70%を超えるだろう。
実質、残り1席を3人で争う戦い。
次の2回戦で大きく加点に成功できたら、後は西川との協力プレーで最後までランパスを繰り返しながら、非常に有利なパターンに持ち込むことが出来る。

しかし、會田にとっては苦難が続く。

2回戦は3番手の水野が東場の親番で大量得点に成功。
1回戦の西川が記録したよりも大きなトップを召し上げて西川を猛追するポジションへ。
逆に、會田、和久津は大きな差を付けられてしまい2強2弱の縦長な体系で前半戦を終える。

ご覧のとおり、水野タイフーンの最中にあっても、西川が負った傷はわずかに4.3。
いかに西川の牙城を崩すのが難しいかがお分かりいただけるかと思う。

だから、トータル2番手のターゲットポジションに西川が位置するようになれば、ほとんど勝機がない。
我らが會田は、3回戦ではなんとか水野をからめとって2番手になれる隊列にもちこまかなければならなかった。

しかし。
18000あまりの浮きを乗せて、目論見通りに差を詰めにかかった會田に悲劇が。

というか、これは水野の選択を賞賛すべきだろう。
5巡目に四暗刻イーシャンテンから打7ピン。

安目の8ピンや6ピン引きの三暗刻など眼中になし。
目下のライバルである會田の連荘に対する畏れはあっただろうが、この手は最高の形に仕上げようという『意思』が、この7ピンに垣間見える。

そうして残した發が重なり、ツモり四暗刻をテンパイして即リーチ。
リーチの2発目に4枚目の9ピンを引き入れてカンをすると、嶺上から手元に舞い降りたのが發。

會田に親かぶりさせて奈落に突き落す8000-16000。
あの時、7ピンを残して發をツモ切りしていると、河に發が3枚並ぶ世界もあっただけに、たった1枚の選択でまさに天国と地獄。
そのコントラストはあまりにも鮮やかすぎだ。

役満には、勝負の流れを一太刀にする効果がある。
流れを断ち切り、全てを無に帰すような破壊力がある。

水野はこの渾身の一撃で、ターゲットポジションに鉄壁とも言える西川を引きずり下ろし、得点下位のガード役の任に当たらせることで、自らの勝ち上がり確率を100%に限りなく近くした。

この効果は非常に大きい。

それでも會田は、例え10万点の差があったとしても、最後まで諦めない打ち手。
また、今日の出来ならば、それを可能にする男。
しかし、相手が西川となると、その可能性は針の孔よりも小さくなってしまう。

さながらそれは、函谷関の要塞に刀一本で立ち向かうようなもの。
會田は一瞬で追い込まれてしまった。

そして、その見立ては残念ながら現実のものとなってしまう。

4回戦では會田が必死に抵抗するも、ターゲットの西川が全く崩れず。
最終局、會田には倍満ツモという条件が残ったが、最後は西川から會田へ引導が渡されてゲームセット。

敢え無くベスト8で會田の戦いは終わった。

負けはしたが、1回戦の東1局での打ち回しを全国の視聴者に観ていただけただけで、會田亮介という打ち手の魅力は十分に伝わったのではないかと思う。
負けてなお強し、という姿は見せることが出来たのではないだろうか。

「もっとやりようがあったように思う。」

謙虚なふりをして、ありきたりな言葉を吐く打ち手はそれこそたくさんいる。
この言葉も、そんな優等生の受け答えに聞こえる方はいるかも知れない。

ただ、彼のそれは違うと私は断言する。

彼は彼らしく戦った。
そして、及ばなかった。
その結果を謙虚に受け入れて、反省し、明日に繋げたい。

やりたいことが出来なかったという後悔のそれではなく、負けてなお麻雀に一途でいたいという思いが、言葉の端々ににじみ出ているのだ。

麻雀の真理にたどり着きたい。

敬虔な求道者としての歩みはこれからも続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?