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北海道最強位決定戦に向けて。


とりあえず、明日まで北海道最強位の人です。こんにちは。

いよいよ、麻雀最強戦2021 北海道最強位決定戦が9月26日に開催されます。

競技麻雀プレイヤー垂涎のタイトルである麻雀最強位。
アマチュアにとっては、まさにそのタイトルに繋がる細くて険しい一本道がこの地方最強位のタイトルです。

昨年、自身2度目、このシステムになってからは初めて北海道代表として本大会に出場しましたが、第10期の最強戦同様、このベスト16を勝ちあがることができませんでした。

第10期の最強戦は非常に思い出深い大会で、私にとってはのちの人生を大きく変えるといっても過言ではない出来事がたくさん起こった大会でした。

まず、第10期という大会は、前年に師匠である土田浩翔プロが念願の最強位を奪取され、ディフェンディングチャンピオンとして決勝大会で待ち受けていた大会でした。

私の夢はたった一つ。
大舞台で本気の師匠と麻雀を打ち合うこと。

18歳の時にキャラバンシューズクラブの門を叩いた時から、現在に至るまでその思いは変わっていません。

当時、近代麻雀は雀鬼会の記事が多く掲載されていて、雀鬼こと桜井章一会長をフューチャーした「ゴールド」という別冊も刊行されていましたほど、麻雀界の注目を集めていたんですね。

私が門を叩いたキャラバンシューズクラブはまさに師匠が桜井会長から学んだ麻雀のすばらしさを北海道の若手にも伝えたいとのことから始まったもので、会の名前は、
「重たいキャラバンシューズを履いて山を登るがごとく、自分に負荷をかけた麻雀を伝えるように」
との桜井会長の一言から名づけられたと聞いています。

話は前後しますが、もしこのタイミングで読者最強位になれば、グランドパレスで行われる本戦に出られることになり、師匠との対戦がほぼ実現します。しかし、私は100人超の予選を3位で通過したものの、ベスト16の戦いで跳ね返され、本戦出場には至りませんでした。

戦い終えて肩を落とす私に、声をかけてくれた一人の観戦記者がいらっしゃいました。

いまや、「note界のコロッケ職人」として名を馳せる、福地誠さんです。
福地さんは、当時近代麻雀に多数の記事を書いていた有名な記者さんでした。もう、竹書房をやめてフリーランスになっていた頃だったのかもしれませんが、その辺りは定かではありません。

その福地さんですが、雀鬼流にかぶれていた私の無謀な麻雀に目が留まったようで、予選で勢いよく切り込んだホンイチ仕掛けが珍しく決まった場面を記事にしてくれました。

声をかけてくださったのは、ベスト16でハコ割れのラスを喫した直後でした。

「ドラがトイツの局だけどさ、普段なら本当はあんな仕掛けしないよね?」

私の普段の麻雀をご覧になっていたわけがないのですが、敗因がそこにあったことを指摘してくださったことを今でも覚えています。
些細なことかもしれませんが、誰かの目に私の麻雀が触れて、そうやって言葉をいただけたことが、今でも嬉しいのです。

「遠くから来てくれたから、飯ぐらい食べに行こうよ」と、前年の読者最強位である諸永さんとともに打ち上げに誘っていただき、それがご縁で当時の「オリジナル」編集長のニシヲさん、編集の秋さんや若島さんなど、誌上で知っていたいろんな方にお会いすることができました。


話は脱線しますが、フリー雀荘「たぬ」のオーナーである山崎さん(通称銀玉親方)にお会いしたのもその流れでした。
福地さんが私に「どこか行きたいところはないか?」と聞いてくれて、私が真っ先に名前を出したのが同店。
フリー雀荘に行くことにまだ抵抗があった私としては、誰か一緒に行ってくれる方がいるというのは、まさに渡りに船だったのです。

たぬ創業の地である高田馬場は、パチンコ必勝ガイドの出版元である白夜書房(現ガイドワークス)が所在しているところで、当時はコスモや日拓、国際センターなど、雑誌によく掲載されている有名パチンコ店が軒を連ねている、ミーハーな私にとっては「聖地」のようなところでした。

親方は当時、テレビやメディアにボーダー理論をはじめとする攻略法を解説するプロとして引っ張りだこで、今のように麻雀業界の人、というイメージではなかったのですが、その親方に初めて本店の4階(別名ペントハウス)でお会いした時は感激しましたし、店内のあちこちに書きなぐられた西原理恵子先生の壁画は、どれをとっても興味深いものばかりでした。

そこで、ある方に出会って、その方が北海道の私の友人と結婚して…みたいな話もあり、人の縁というのは、どこでどう繋がっているのか、本当に不思議なものだなと思います。


閑話休題。

そんなことで、麻雀最強戦は私にとって、人生のターニングポイントでご縁をたくさんいただいた、とても思い入れの深い大会です。

まず、第10期の読者最強戦に出られたことで、たくさんのご縁がつながりました。

そして、昨年北海道最強位になってこの一年という間に、またたくさんの方に知り合うことができました。

試合に勝ったこと自体よりも、私はたくさんの方に「おめでとう」とか「がんばれよ」と声をかけていただいたことの方が嬉しかったです。

北海道最強位決定戦史上初の連覇を。

と、声をかけていただくことも何度かありましたが、その功よりも、もう一年北海道最強位であり続けられたら、どんな方に出会って、どんな縁をいただけるのだろうかと、そのことを想う時間の方が長かった気がします。

昨年は無我夢中で戦い続けた時間でしたが、今年は一味違います。
いつでも北海道最強位の名を汚さぬように、必死でこの看板を磨き続けました。
昨年は、次の最強位へ渡すときに失礼にならぬように…などと考えていましたが、この看板を背負い続ける間に、簡単に誰かに渡すわけにはいかなくなりました。
そして、この看板が私の麻雀を成長させてくれたと思いますので、是が非でもこのタイトルを再び我が物としなくてはなりません。

これまで「勝つ」という言葉は「精一杯向き合う」という言葉でひた隠しにしてきましたが、いくら気を鎮めても、これ以上自らを偽ることは出来ない気がします。

日曜日までは、人が変わったように目が吊り上がっていることと思いますが、少しだけお許しください。

そして。
この文章を書こうと思ったのは、一言、こういう戦いの場を与えてくださった麻雀最強戦に、そしてたくさんの方にお礼の言葉を述べたかったからなのです。

ずっと、このタイトル戦を開催し続けてくださった竹書房の皆様。
特に金本委員長は同い年。
片や東大卒、片や学もない田舎者の高卒。
何のつながりもなかったはずなのに、麻雀という共通言語でお話ができることって、本当に素晴らしいしありがたいなと思います。

そして、北海道においてこのタイトルを守り、育て、大きくされてきた喜多清貴プロ。
喜多プロを支えていらっしゃる北プロ、吉田祥子プロ、そしてかわいめぐみプロ。
大会運営が長かったおかげで、会場の中の些細なことにも気が行ってしまう私にとって、いついかなる時にも抜かりなく仕事をされているプロ集団に身を預けて、のびのびと打たせていただける環境は本当にありがたいのです。
また今年もお世話になります。よろしくお願いします。

北海道の各地で最強戦を盛り上げるべく大会を開催し続けてくださる店舗の皆さん。

帯広のかっぱさんこと植田プロとは、苫小牧の店舗予選で知り合い、めったにお会いすることはありませんが、今でもきっと、その当時のことで話に花を咲かせることができるだろうなと思います。

そして、苫小牧のcolorsのオーナーである山家プロとは、キャラバンシューズクラブで共に研鑽した仲間であり先輩です。優秀なスタッフに囲まれている姿を見るにつけ、人の縁って大事だよな、支えてくれる人ってありがたいよなと、先輩の姿を見ていてそう感じます。

そしてなにより、ホームグラウンドであるハートランド。
ここは、18歳の私が憧れたお店。まさに原風景。
内装がきれいになり、卓も新しくなり、往時の風景とはがらり変わってしまいましたが、当時から打ち手として憧れていたプレイヤーが今でもお店にいらっしゃるので、私にとってはあの頃と同じ、緊張する場所です。
時代が変わり、私と同じ世代のプレイヤーが静かに闘志を燃やして、バチバチと火花を散らしていた頃とは変わってしまいましたが、今でもここに身を置いて麻雀をしていると、あの頃のことを思い出し、手に汗を握りながらも背筋が伸びる気がします。
いつも楽しく麻雀をさせていただいて、ありがとうございます。


たくさんの方の思いが詰まった麻雀最強戦 北海道最強位決定戦。
その戦いの舞台に身を置ける幸せに涙がこみ上げてきそうになりますが、多少入れ込んだ気持ちも、こうして文字にしてここに置いていこうと思います。

北海道最強位のタイトルの重みをしっかりと感じて、応援していただける仲間のたくさんの想いもしっかりと感じて、私の麻雀のすべてをぶつけてきます。


おみやげみっつ、たこみっつ。
あとは、この呪文で百人力よ!

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