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験(げん)を担ぐことは非科学的なことか?

最高位戦の沖中祐也プロが、面白そうな記事を書いていらっしゃいました。

文中、「小林剛の目には入らないように」と冗談っぽく書かれていましたが、要は験を担ぐという行為が非科学的なことなので…ということを示唆されていたのだと思います。
 
この、「験(げん)を担ぐ」ということ。
本当に非科学的なことなのかどうか?
自分なりに考えをまとめておきたい分野なので、書いておこうと思いました。

言葉の意味から「験」を紐解く

「験を担ぐ」という言葉。
意味合いとしては、ある物事に対して、以前に良い結果が出た行為を繰り返し行うことで、同様の良い結果を求める行為、という感じかと思います。
 
見えないものを見ようとする「オカルト教」に身を置いている者として、験を担ぐ行為というものは、出かける際に靴を履く行為と同義。
それをせずして何かを成し得ることはあり得ないものと考えますが、それをただの「気分的なもの」と軽視される風潮に敢えて異を唱えてみたいと思います。

じゃあ、「験」ってなんだろう?
調べてみました。
 
まず、「験」という字。
これは「経験」の「験」です。
この字は「しるし」とも読みますし、「証し(あかし)」という意味も持ちます。
つまり、この言葉は吉凶を占うというフワフワしたものではなく、しっかりとした根拠のあることをなぞる、という意味で理解されるべきかなと私は考えています。
 
え?こじつけだろって?
 
まぁまぁ、百歩譲って、千歩譲って、マンボ踊ってそうだとしても。
験を担ぐことが実際にどういった効用があるのか次項で述べますので、まぁお目汚しに読んでいってくださいな。

験を担ぐ=ルーティンワーク

ゴルフやボウリングのように、合図もなく自分で動き出すスポーツは難易度が高いと言われています。
飛んできたボールを打ち返したり、相手の動きに対応したりするスポーツは、流れに沿って対応できたら良いわけですが、初動を自分に求めるものはそうはいきません。
 
その難しい初動を容易にするためにどうするか?
実は、必勝法があるのです。
「初動を流れの中に置いてしまう」ことなのですね。
 
一番わかりやすいのは、ラグビーのゴールキックだと思います。
2021年に引退された五郎丸歩選手は、ボールを蹴る前に独特のポーズをされていました。

このポーズが話題になった際に、なぜこのようなポーズをするのか?と、ある記者が取材したことがありました。
 
答えは意外なものでした。
 
「あのポーズ自体はなんの意味もない。」
 
ただ、こうもおっしゃっていました。
 
「いつも、同じルーティンをすることに意味がある。」
 
と。
 
ボールを蹴ることが初動ならば、その行為自体はものすごく難易度が高いもの。
しかし、ボールを蹴る前にいつも決まったルーティンをこなすことで、動きの流れの中にボールを蹴る行為を置くことができ、難易度を下げることができる。
ゴールキックは「再現性」が問われるものなので、そのためにいつも同じルーティンをこなすのだ、という答えでした。
 
これ、「験を担ぐ」という行為によく似ていると思いませんか?

運を手繰り寄せる行為は、科学に通じる

勝負の前に験を担ぐ行為。
いつもと同じルーティンをこなすことで、以前に成功した時の自分を「再生・再現」しようとする行為と同義と考えます。
 
特に麻雀は、心の置き所が問われるゲーム。
どれだけ正しい手順、素晴らしいアイデアを持っている打ち手でも、それを再現できなければ技量は拙いと言わざるを得ません。
 
成功した時の自分がどのような精神状態だったのか。
その精神状態を再現することが大事だとすれば、負けた時の反省などあまり意味をなさないのかなと私は考えます。
 
同じミスをしない…と人は言いますが、どうしてもやってしまうでしょう?
そのミス自体を咎めても、身に染みついたからやってしまうわけで、失敗について掘り下げたとしてもまたやってしまうんですよ。
だから、その考え方は捨てたほうが良いのかな、と。
 
むしろ、同様のミスを繰り返してしまった時の「自分の精神状態」について記憶しておくことのほうが大切なのではないかと考えます。
 
ミスをしないために=ミスをする精神状態に陥らないためにどうするか。
 
でも、それを追求するのならば「成功した時の自分の精神状態は?」ということを記憶し、再現するための努力を重ねるほうが健全でしょう?
だから、私は失敗よりも成功体験の方が学ぶべきことが多いように思うのです。
 
では、成功した際の精神状態にどうやって持っていくか?
成功した時のルーティンワークを再現することで、最高の精神状態を再生する。
その行為こそが「験を担ぐ」ということではないでしょうか。
 
もしも、「験を担ぐ」という行為が「良運を引き寄せる」ために行うものだとしたら、科学的にも相通じるものがあるということになります。
だから、全くのオカルト案件だと言われることに、私は違和感を覚えるのです。
 
鈴木優選手が、徹底的に験を担ぐのだとしたら。
優選手は自分がアスリートだと言うことを深く理解されているのでしょうね。
そして、麻雀が究極的には「対人ゲーム」であるということもまた、深く理解されているのだとお見受けします。
 
ルーティンワークというものに理解がない人は、その行為を嘲笑うかもしれませんが、どんどん続けてほしいと思います。
そして、それは正しいことなのだと結果が証明するでしょう。
 
Mリーグにはフィジカルトレーナーやメンタルトレーナーという役割の人がまだいないようですが、早くそういう専門家を取り入れた方が良いと思います。
牌効率や有利な打牌の証明は機械でもできますが、心を強く持つということは人間でなければできませんから。
 
科学で麻雀を御そうとする風潮にある昨今だからこそ、こういう分野に関心を持ち続けることもまた必要なのではないか…。
ひねくれ者としては、そのようなことを感じる次第です。



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