誹謗中傷が奪った大いなる財産〜カレン・カーペンター
出会いはサービスエリア
夏休みや冬休みに家族でドライブに出かけると、父は車のカセットデッキやCDデッキから洋楽を流すの好きでした。
若いみなさんはご存知ないかもしれませんが、その昔、高速道路のサービスエリアには1,000円で買えるドライブ用のCDがたくさん売られていて、父はそこで何枚かCDを買い込んでドライブの供としていました。
父と母は二人が出会ったディスコで流れるような音楽が好きだったようで、ドライブに出るときは決まってそれらの音楽が流れていたんです。
私が小学5年生の頃。
夏休みにキャンプへ出かける道すがら、父はいつものようにサービスエリアでCDを物色していました。
やがて父は車へ戻り、パッケージを開けてCDをデッキに入れて音楽が流れてきました。
それはいつものような軽快なダンスミュージックではなく、外国の女性の声が流れてきたんです。
その声はとても優しく、穏やか。
子どもながらに彼女の歌声に心を奪われた瞬間でした。
「これ、誰が歌っているの?」
運転中の父が教えてくれたのが「カーペンターズ」でした。
2年後。
中学生になった私に父が包みを渡しました。
「辰治、英語の勉強のためにこれを聴くといいよ。」
父が買ってくれたのは、カーペンターズのベスト盤でした。
当時はインターネットがまだ一般的でない時代。
結局、この日までカーペンターズの知識は件のCD1枚でしたが、豪華な装丁と共に、1曲ごとに解説が載っているものは私の宝物になりました。
CDを聴きあさると共に、1曲ずつのエピソードが解説されている解説書はボロボロになるまで読みました。
そして、英語の歌詞を英和辞典片手に必死に和訳し、学校の先生や塾の先生に見てもらって英語の教材にしていました。
無事に高校へ入学。国語と英語の授業にはあまり置いていかれずに済んだのは、紛れもなくカーペンターズとビートルズのおかげだったと断言できます。
(もっとも、ビートルズのコピーバンドをやっていたおかげで他の教科が疎かになっていったのは別の話です。)
しかし、この時私は知らなかったのです。
もうすでに、カレンがこの世にいないということを。
アメリカの音楽シーンを変えた「カーペンターズ」
カーペンターズは兄のリチャード、妹のカレンの2人組デュオ。
「Yesterday once more」「Super Star」「Close to you」など数々のヒット曲を世に送り出したが、日本ではこれらの楽曲がドラマやコマーシャルにたくさん使われていたこともあり、現在でもファンが多いと聴いている。
現代では、あまりに特徴的かつ天才的な歌声であるカレンがフューチャーされることが多いかと思うが、カーペンターズの出発点は音楽的な才能を両親によって見出された兄のリチャードだった。
とある資料によれば、二人が生まれたのは敬虔なプロテスタントの家で、特に母は保守的な考え方を重んじていたのだそうだ。
類い稀なる音楽センスを持った兄のリチャードに対して大きな期待を持つ一方、妹のカレンはどんな楽器を与えても長続きせず、母はそれを快く思っていなかった。
ある時、カレンは「ドラムをやりたい」と思うようになり、それを兄や両親に伝えたのだそうだ。
1960年代のアメリカは未だ保守的かつ封建的な社会。
両親は「女の子がドラムを叩くなんて」とカレンの申し出を一蹴したのだそうだがカレンの決意は固く、リチャードのバンドへドラマーとして参加したのが彼女の音楽的キャリアの出発点だった。
紆余曲折を経て、二人は「カーペンターズ」としてデビューし華々しいセールスを記録。世界中にたくさんのファンを獲得した。
両親も子どもたちから家をプレゼントされるなど、本来であれば「自慢の子どもたち」となるはずであったが、一度こうと決めたら考えを翻さなかった母は、生涯にわたってカレンの音楽センスを認めることはなかったという。
「女性は家庭に入り夫を支えることが務め」という母。
周囲からシンガーとして求められる自分と、親が期待する自分の間でカレンは大変思い悩んだそうだ。
そして、彼女が悩まされたのが「誹謗中傷」である。
カレンは「誹謗中傷」に殺された
彼らが有名になるにつれ、人々の注目は音楽だけにとどまらなかった。
地元のサンディエゴ新聞が、高校生の頃のカレンの写真を掲載し、
「chubby sister(太っちょの妹)」
と揶揄した。
女性に対して「太っちょ」という言葉。
現代では当然アウトな表現だが、この当時は男尊女卑の考えが優勢だったから、新聞社やこれを読んだ世間は「ちょっとしたイジリ」くらいのものだったかもしれない。
しかし、感受性豊かでお年頃のカレンには一生を揺るがすほどの誹謗中傷だった。
現にカレンは、思春期のことから体型を気にしていたようで、このことが発端で無理なダイエットを始めてしまう。
そもそもがドラマーとして音楽のキャリアを出発したカレン。
やがて歌声が評価され、バンドの後ろで音楽を楽しんでいたものが、ステージの最前列に引っ張り出され、挙句にこんなことまで言われてしまう。
「私はやっぱり太っているのかもしれない。」
ステージの最前列で衆人の目に晒されるにつれ、彼女のストレスは増していった。
過度のストレスと無理なダイエットが祟り、カレンはコンサート中に卒倒した。
この時は一命を取り留めたが、その後に出会った不動産実業家との結婚生活もうまくいかず、カレンは徐々に体調を崩していく。
「太っちょな妹」
たった一言の言葉により、カレンはやがて拒食症と過食症を繰り返した。
そして、1983年2月4日。
摂食障害と過度のダイエットにより酷使された心臓は限界に達し、32歳の若さでカレンはこの世を去った。
我々は何も学んでいない
もしも、カレンが今でも歌っていたなら。
さらにたくさんの素敵な楽曲を世に表し、親日家の二人は日本へ何度も訪れて我々の目と耳を楽しませてくれたでしょう。
いや、日本のみならず、世界の音楽シーンは違ったものになっていた可能性が高いのです。
私たちは共有すべき大きな財産を失いました。
それも、心無いたった一言の言葉が原因なのです。
それなのに、私たちは21世紀の世界にあっても何も学んでいない。
インターネットでは心無い言葉の刃が飛び交い、無責任な誹謗中傷が繰り返されています。
それは収まるどころか勢いを増し、悪質さと狡猾さはどんどん酷さを増すばかりです。
紛れもなく、我々は「何も学んでいない」のです。
言う方は軽い冗談のつもり。
しかし、言われた方がどのように受け取るかは別。
自分がやられて嫌なことは相手にしてはいけない。
こんなこと、小学生でもわかるでしょう。
しかし、人はそれを忘れて誰かに汚い言葉を浴びせています。
その多くは「承認欲求」か「優越感」に浸りたいだけの身勝手な犯行です。
いい加減に、私たちは学ばなくてはなりません。
「ペンは剣よりも強し」という表現もあるとおり、言葉にはそれだけの力があるんです。
人を殺すには刃物はいらない、と言うことを我々はいつになったら理解するのでしょうか。
インターネットで汚い言葉が並んでいるのを見るたび、私は激しい憤りを感じます。
カレンのような人類の財産を、誹謗中傷で何人殺せば気が済むのか?
と。
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