銀河鉄道の里(旧穂別町富内)
旧富内線(とみうちせん)
大正12年、国鉄富内線(日高線鵡川駅から)が鵡川~富内まで開通し人口が急増します。昭和20年には穂別炭鉱(現・杵臼)が開坑し,最盛時の昭和36年には人口1万を超えました。(昭和40年に閉山)
この鉄道は、ひだか町の「道の駅樹海ロード日高」の近くまで開通します。更に北部の占冠村を通る根室本線金山駅まで達し、道東十勝へと繋がる計画でした。
「ほべつ銀河鉄道」
昭和61年に国鉄富内線が廃止された際、富内地区の住民が中心となり、地域の衰退を防ぐために「銀河鉄道の里」とする取り組みがおこなわれました。
駅舎や構内の保存、空へ向けたレール(銀河への橋)、「涙ぐむ目」という花壇の整備など駅周辺を富内銀河公園として整備しました。
この背景には戦後初の民選村長となった横山正明(39歳)氏のイーハトーブ構想(宮沢賢治の理想郷)がありました。当時電気のなかった穂別村に村立発電所を設置、全国初のスクールバス運行、村立病院、村立高校の設置など村民の福祉と教育の向上をめざしました。横山正明の生涯はドラマになると思いました。
日本人の政治家も素晴らしい人はいるもので、いろいろ訪ねてみるものです。
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