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おおたじんじゃのはいでんから (せたなちょうおおたく)
油絵 アクリル樹脂/ベニヤ F10 横530×縦455 2016年制作


せたな町大田区

せたな町は北海道南部の日本海にある町です。
平成17年に北檜山町・瀬棚町・大成町の3町が合併して誕生しました。
町の北は島牧村、東は今金町、南は八雲町、西は日本海をはさんで奥尻島をのぞんでいます。

町の北と南が山地となっており、北部には道南の最高峰狩場山(1,520m)など1,000m級の山々が連なり、南部には遊楽部岳(1,276m)や白水岳(1,136m)が連なっています。



(大成地区)


太田神社

太田神社は断崖絶壁にそびえる太田山(標高485m)にある北海道最古の歴史を誇る山岳霊場です。
創立は嘉吉年間(1441~1443)といわれており、享徳3年(1454)に松前藩の祖、武田信広が太田に上陸した際に太田大権現の尊号を賜ったと伝えられています。

美濃の国の「円空上人」は寛文6年(1666)に太田山にこもり、岩窟内で数多くの木彫仏像を作りました。
さらに、安永7年(1778)には甲斐の国の木喰上人が訪れ、円空の仏像に感動し自らも仏像を作ったといわれています。
二人が作った仏像は焼失・紛失しましたが、その後復元されたものが太田神社拝殿近くの保管施設に3体展示しています。

毎年6月27日~28日には大漁と海の安全を祈る例大祭があります。
27日には白装束の若者が行う本殿までの御山掛けを。
また、大漁旗をなびかせた漁船群の海上渡御、花火なども実施されます。

太田神社拝殿から本殿のある太田山山頂を見上げると、不思議な世界に引き込まれます。

『むかしむかし、この蝦夷の地に敦賀から来た暴れ者がおりました。アイヌの人たちが和人に挑んだ戦いに、この男はひとり悪知恵をつかい勝利を収めます。それいらい、この男に文句をいう人はいなくなりました。この男が、アイヌ集落のある太田に上陸したときに、山の頂にある祠に太田大権現の尊号を賜ります。以来、この航海の安全と霊神の加護としてみんなは信仰するようになりました。この男の名は「たけだのぶひろ」、松前藩の祖となるひとでした』

自作

太田神社は太田山(485m)の険しい山頂にあるため拝殿は岸壁にあります。すぐその横にある灯台は道内最古のもので「定燈籠」(じょうとうろう)といいます。青銅製でどの方向から見ても「太田」の文字になっており、夜にともる灯りはより童話の世界に似合います。


太田神社

道南五大霊場の一つで、山門の入口には「まむしに注意」の看板が人を寄せ付けません。石段は45度あると思われる角度で斜面にへばりつき、とても手すりがなければ上る気にはなりません。
ここを上ると北海道最古の山岳霊場、太田神社がありますが、途中から石段はなくなり、鉄の鎖にしがみ付きながらの登山コースとなります。

下から見上げて合掌。

定山渓に温泉宿を設けた定山和尚もここで修行を積みました。
松浦武四郎なども訪れているほか、阿部比羅夫の伝説も伝わる所です。
紙芝居や童話を作るには話題に事欠きません。
そのような思いを持ってこの絵を描きました。


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