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観光客が行かない鵡川巡り・後篇

観光客が行かない旧穂別町の旅

穂別町は、胆振管内東端の勇払郡に設置していた町です。平成18年に鵡川(むかわ)町と合併し新町名を「むかわ町」となりました。
夕張山地南部に位置し、北部は占冠村しむかっぷむらと接し、日高山脈の狩振岳かりぶりだけを水源とする一級河川の鵡川むかわ中流域を占め、町域の約90%は山林でした。

町名はアイヌ語ポンペッ(小さい・川)で、現在の穂別川を指し鵡川水流と合流する地点に町があります。
合併前の人口対比は、鵡川は穂別の約倍。面積では逆に穂別が鵡川の三倍でした。対等合併でしたが人口の少ない穂別の方がやはり不利のようで、町名が無くなるのは人間でいえば顔が無くなるのと同じ、合併の痛みを感じるものがありました。

鵡川町と穂別町・合併して「むかわ町」

穂別は、松前藩が成立した17世紀初めより商いの場として鵡川場所が開設され、鵡川の上流地域である上鵡川場所がありました。
1700年代末には約100人のアイヌ人が山住し干しザケ・シイタケを採っていたといいます。
明治25年、現在の仁和(にわ)に伊達の士族として入植した星進一家が入植したのがはじまりでした。


中村平八郎記念館

明治26年、良質な石油を発見し新潟出身の中村平八郎が移住したのが穂別開拓の先駆者となります。
しかし、明治31年の鵡川氾濫被害で大きな損害を受け事業は中止。
この中村平八郎が邸宅として大正13年に建てた建物が「中村記念館(上の写真)」として保存されています。(国の登録有形文化財)

昔は海の底

恐竜公園

昭和50年、地元のアンモナイト収集家により発見された骨の化石が「クビナガリュウ」のヒレ足の一部とわかり、ホベツアラキリュウとして認められました。
これらは海生爬虫類などの海の古生物化石でした。そこに平成15年(2003年)、後に「むかわ竜」と名付けられる陸で暮らしていた竜の尻尾が発見。
その後約10年の発掘調査で、ほぼ全身の骨格を回収することに成功。日本初の発見となりました。
穂別は、以前から化石が発見され「化石のまち」として知られていました。

穂別の住民は「ほべつ竜」とはならなかったことに無念さが残ったことでしょう。穂別の街中には、恐竜をモチーフにしたモノが見かけられます。
町立博物館の庭にはアンモナトの道があり、道を隔てた向かい側には「恐竜公園」になっています。

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