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観光客が行かない歌志内市の旅・後編

高橋揆一郎「青草の庭」ー歌志内市

        高橋 揆一郎(たかはし きいちろう)
   1928年4月10日 – 2007年1月31日小説家。本名、良雄(よしお)。
            歌志内市名誉市民。

昭和63年に廃止されましたが、JR歌志内線は函館本線の砂川駅から15㌔の歌志内駅まで走っていました。
石炭を運搬するのが主目的で明治24年にはすでに開通。

中空知地区は上砂川町と合わせて純炭砿地帯でした。
旭川の三浦綾子は女学校を出て砂川駅から6つ目の神威駅で降りた神威小学校で教員をしていました。
歌志内の隣町である上砂川町出身では、「やまあいの煙」で芥川賞を受賞した重兼芳子、「光と影」の渡辺淳一は直木賞を受賞しています。
炭鉱の町から三人の受賞作家が生まれています。

「青草の庭」は高橋揆一郎の自伝的小説です。
歌志内市上唄の炭鉱長屋で生まれ歌志内小学校卒業後、北海道庁の給仕をしながら札幌市の私立昭和中学校(夜間・廃校)を卒業後、昭和21年に母校の代用教員に採用されました。

廃駅となった歌志内駅

「敗戦の年が明けた春三月、18歳の正彦は古トランクひとつ提げた姿で郷里の炭鉱町の駅にぼんやり降り立った」    
「駅前広場のあちこちの水溜まりが縮緬皺を浮かべて震えていた。薄汚れた雪はまだ路上に山になっているけれど雪解けは急速に進んでいるようだった。ろくな売物もない駅前通りの商店街はすっかりさびれて、角の大きな料亭は表戸をおろしたままだし、呉服屋は薄暗い店内を覗かせていたがショウウインドウには埃がたかっていた。文房具屋と床屋に僅かに客の姿が見えた」

「青草の庭」高橋揆一郎

神威岳(歌志内市)

空知地方の歌志内市の市街地北部に位置し赤平市に跨る山です。
神威岳は「かむいだけ」が一般出来ですが、こちらでは「かもいだけ」と呼んでいます。標高467.4mです。

歌志内市は炭砿の町として賑わった時代がありました。
炭鉱従業員などによって、夏はハイキング、冬はスキー場として利用されていたが、1960年代前半の神威岳公園化計画により、スキー場・キャンプ場など、複合的な行楽施設としての整備が進められた。

特に東麓面のかもい岳国際スキー場は、北空知を代表するスキー場として知られています。
カモイ岳を行楽や観光施設として整備しようとしています。
眺めの良い山頂にキャンプ場や自然公園を充実させてレジャーセンターにするといった動きです。




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