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産業保健師になったきっかけ

-バーンアウトを経て
高校時代から海外で働く看護師になりたいという夢を持ち、受験勉強、病院実習、国家試験を乗り越えてきた。まずは臨床経験を、という簡単な思いで大学病院の外科で勤務していた。「3年臨床経験をしたら辞めて海外に行く」と決め、当時の師長さんとの面談でも「3年目で辞めます」というキャリアプランを提示するなどなかなかやりにくい看護師だった自覚がある。笑

3年間の臨床経験を経て、夢の海外留学へ。現地でAssistant in Nursing(AIN)の資格を取り、認知症・緩和ケアユニットの施設でAINとして勤務していた。外国のいい意味での緩さや人と人との距離感に日々刺激と感動を受け、毎日充実していた。今後のプランを考えた時、このまま海外で正看護師の資格を取り永住したいな・・と考えることも多かったが、実際には親の健康面での問題が出現し、日本に帰国することを決意。ちょうど出国してから2年が経っていた。

帰国してからまずは仕事がないと生きていけないため、留学経験も活かし病院の医療通訳と、ホットラインのカウンセラーのお仕事を始めた。「3年臨床経験をしたら辞めて海外に行く」と決めて行動してきたわたしは、海外から帰国した後のプランがなく、今振り返るとバーンアウト状態だった。
帰国後のキャリアプランが白紙のまま、毎日何となく過ぎていっていた。

-大学の先輩
帰国後、産業保健師の仕事をしている大学の先輩とご飯をした時に、「産業保健師すごく楽しいよ」と話を聞く機会があった。「すごく楽しいと思える産業保健師の仕事ってすごいなぁ」なんて考えていたその数か月後、「一人退職するからどう?」と声をかけて頂き、とんとんと話が進み、今の企業で産業保健師として勤務することになった。

-後追いの意味付け
右も左も分からないまま産業保健師として仕事が始まり、毎日必死に業務を覚えた。慣れないexcelの作業で頭がパンク寸前な日々を送り、excelの表が降ってきて溺れる夢を見たり、「フォルダが見つかりません!」と泣いている夢を見たり。笑
振り返ると病院の電子カルテは便利過ぎた・・。IDを入力すれば過去の記録も採血データも処方内容も確認できる。会社内で社員さんの情報を確認するためにはツールが病院とは異なりあちこちのフォルダを確認しにアクセスする・・。そもそも病院以外の職場で働くこと自体が初めての私は、今まで見てきた世界がすべてと思っていた自分の考えが狭かったことを自覚した。

関わる相手が患者さんではなく社員さんであり、病院とは違うエネルギーを感じる事、思っている以上に社員さんは健康意識が低い事などを知り、健康を維持すること・病気にならないための予防をする大切さを感じ、保健師としてどのように社員さんに伝えていくかという使命感を感じるようになった。

思い返せば親が患った病気も、ずっと昔に介入があれば予防することができたかもしれない。そんなことを感じながら、わたしが産業保健師になった理由を後追いながら意味付けすることができるようになった。

まだまだ経験は浅い身ながらも、産業保健師のやりがいや挑戦していきたいことなど書いていけたらと思っている。

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