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【3ー13限目】保険のおばちゃん(おねえさん)の歴史

大正5年に始まった簡易保険が「月払い」の保険でどんどん拡大していくなか、昭和23年に明治生命が月払いの保険を売り始めた。

戦後、生活が苦しかった国民にとって月払いの保険はありがたく、結構売れたから、他社も月払いの保険を売るようになってんな。

一方で、保険料の集金業務は大変だった・・・

ってことで、生命保険会社は保険料の集金業務だけをするパートさんとして、主に戦争未亡人を雇った。
終戦直後で生活が苦しいけど働き口は少ない、ってことで未亡人だけでなく、家計の足しに働きたい主婦もたくさん雇うことができたんやな。

昭和26年、明治生命が「せっかく集金でお客さんと会うなら、ついでに保険の販売も任せようぜ」ってことになった。
その際、米国プルデンシャル社に「地区を細かく分けて、1人の外務員さんにその地区での販売も集金もすべて担当してもらう」ってやり方を教えてもらった(デビット・システム)。
そして次第に、担当する地区を片っぱしから一軒残さずピンポンする「軒並飛込み営業」を行うようになってん。

彼女らの報酬のうちほとんどは歩合給で、生命保険会社にとっては人件費を削減しながら、地域に密着した営業活動ができるという大きなメリットがあった。

こういった営業手法は昭和30年代前半までにほとんどの生命保険会社で採用され、戦前の男性外務員が中心だった生命保険の営業は、女性中心になっていったんやな。
(女性外務員のことは、「生保レディ」とか「セールスレディ」って言われてるで)

ただ・・・女性外務員によって契約高がぐんと伸びたことによって、生命保険会社は「とにかく人を集めるんだ~!」ということで、新聞の苦情覧に取り上げられるほどあらゆる手段を使ってむちゃくちゃな採用をした。

その結果、

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こういったスパイラルは今もなお、少なからず残っている。

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【3ー14限目】「GNP営業」ってなんでしょう?
やで~

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