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私と自分とほかると。

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【私】無意識を含めた全て。【自分】理論・意思の及ぶ範囲。【ほかる】物理的な存在としての私。
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#私

私、失敗したいので。

“恥の少ない人生を送ってきました。” トライアンドエラー。 プログラミングでは当たり前のことである。どれだけ努力したって一発でエラーのないプログラムなんて書けない、否、そんなことに神経を遣うより、ゴリゴリ書いてチェックは走らせながらor機械に任せるほうが速くて正確だ。 インターネットの通信方式にしたって、たいていは「ベストエフォート」=「善処します(あるいは、最大限の努力はします)が結果は知らんがな」そして、途中で伝送失敗したら、もう一回チャレンジする。そういう方式だ。

好きな服、着たい服、似合う服。

今あなたが着ているのは、どの服だろう。 着たい服を着ていると私らしい? 似合う服を着ていると私らしい? 『結局、自分らしさとは何なのだ』好きな人格と、なりたい人格と、しっくりくる人格も全く違う。 果たして、なりたい自分になるために努力して出来上がったものが、私らしさだろうか?ありのまま、努めて自然的に存在するものが、私らしさではないだろうか? 欲望を満たしていくのが人生なのか、 欲を捨て自己を見つめるのが人生なのか。 自己から解放されるほうが幸福か、 自己を増長するほ

裏表?いいえ、多面体よ。

あなたは服を着替えるだろう。 それは何も汚れた時だけではあるまい。 式典ならば礼服を着るし、 オフならばルームウェアを着る。 夏ならば涼しげな短い服。 冬ならば重厚なロングコート。 TPOとやらに合わせるのは至って正常、 否、合わせなければおかしいのだ。 性格だって主張だってTPOに合わせて何が悪い。 時と場合と立場によって、 服を着替えるような感覚で性格を変える。 そんな私を、 あるひとはブリッコと罵り、 あるひとは世渡り上手と褒め称え、 あるひとは多重人格と気味悪

私の居ない場所、私じゃない誰か、きみの腕のなか

あこがれの場所はいつだって、 現状(ここ)じゃないどこか。 私じゃない誰かの中。Я(欲望)の居ない場所。 欲望と私は常に対立してきた。 私は今も昔も「読書と絵が好きな大人しい女の子」のままだ。 『朝の輝く太陽を浴びながら、洗濯物を干して、  午後の優しい日差しに守られながら、紅茶とクッキーを楽しみ、  夕暮れのとろ火でシチューをコトコト煮ながら、最愛の人の帰りを待つ。』 それで十分なのに。 何が不満だって言うんだい、欲望よ。 別に、 一生をかけられるほど好きなことがあるわ