保苅実。入試問題に使われる「ラディカル」と著作権。
これまでに何度も「ラディカル・オーラル・ヒストリー」が入試問題に使われている。使用されると、著作権料の支払いについて私のところに連絡がくる。
掲載許可が1年だけだったり5年だったりするし、掲載先が当該大学のウェブサイトだったり予備校の問題集データベースだったりして、その条件によって著作権料が違うのだろう、金額は様々であるが、入金された著作権料は全て「保苅実とつながる会」の活動費になっている。
使われている箇所は、以下の一文から始まる各所。
歴史はどこからやってくるのだろう。
北部オーストラリアの中央に位置するノーザン・テリトリーに展開した最大級の牧場の一つが、ビクトリア・リバー流域のウェーブヒル牧場である。
多くの「近代的」社会、「西洋(化した)」社会において、歴史の制作やそのメンテナンスは、歴史学者の仕事であるとされてきた。
ここであらためて自問すべきは、なぜ我々は、キャプテン・クックの侵略や大蛇による洪水の歴史を(信じることができないとしても)一定の範囲で理解することができるのか、という問いである。
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著作権といえば、保苅実が独自に展開した「家」の概念を、ある有名作家がそっくりそのまま小説に使ったのだが、事前に一切の連絡がなかったので、私が弁護士を通じて抗議したことがある。
保苅実は「ラディカル」の元になった彼の博士論文を提出する前に、通算で一年弱お世話になったグリンジのコミュニティを再訪問し、長老たちとのミーティングでプレゼンをして、提出と発表の許可を得た。
いくつものコミュニティに滞在許可を求め、許可をくれたのはグリンジだけだった。彼らのストーリーをカリヤ(白人)たちに、そして遠い日本の人々にまで届けてくれるだろうという期待をもって、彼らは自分を受け入れ、彼らの歴史を語ってくれたのだ、と保苅実は理解していた。
だから、グリンジの承認なしに、保苅実が論文を提出することも発表することも有り得なかったのだ。
「40代を生きたい」と言い、研究者としてこれからという32歳でこの世を去った彼が遺したこの一冊を利用する際には、それがどんな形であろうとも、著者である保苅実だけではなくグリンジの人々の想いも汲み取り、真摯な態度を示してもらいたい、というのが「保苅実とつながる会」からの心からのお願いである。
写真展図録(トップの写真)のご注文については以下の通り。
つながる会が長年管理してきたメモリアル・ウェブサイト HOKARIMINORU.ORGは、私がいずれ管理できなくなることを想定して、オーストラリア国立図書館のデジタルアーカイブTroveにお願いし、2021年4月29日付の状態で全てのコンテンツが永久保存されている。
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