鑑となる手本。


洗濯物が障子の向こう側で揺れている。
影がゆらゆらと踊り、風に煽られている。
午後には乾くだろう。
午前中のうちに干したものだ。
外は良い天気だが、私は出られない。
強風だから出ないというわけではない。
政府からの勧告だから。外へ私は出られない。
けれど洗濯物を干すときに、外出している人をベランダから見かけた。
買い出しに行くのだろう。生活に必要な買い物に出掛けるときだけは認められている。
緊急事態宣言というのが、政府から発令される前に私は少しばかり備蓄していた。混乱したスーパーや百貨店に出向いたら、それが命取りになるだろうと、なんとなく想像した。
大体の人たちは回避できるだろう。体の不調が何も起こらない人だっている。
私は普通の体型だし持病もない。病気もここ数年は無縁だが、それでも人生何があるか分からない。
仕事ではマニュアル作りを任される立場であった。新製品の取扱説明書なるものを、作る部署に所属して、人がいわゆる読まないトリセツってやつを作っていた。
その職場も今やないけれど。
会社は不況に陥り、つい先週に倒産した。
だけど心は絶望していない。どうしてかって、元々が体力ない会社だったのだ。いつまで持つのか分からなかった。政府からの助成金とやらに乗っかるには遅かった。
本当は家族のような同僚も上司も、よく頑張ってくれた社長も、宴会を開いてお互いに労って、頑張ったと褒め称えたかった。昭和時代から平成になって、そして令和に変わりよく続いた小さな会社だった。
散り散りになった仲間たちのことを、思い出しながら、ゆっくり深呼吸をする。
今日はなんて綺麗な晴天だろう。
雲ひとつない真っ青な空を眺めながら洗濯物を干しているとき、心は無音だ。
穏やかな風を感じながら、洗濯物を干すというミッションを終えて、そうだ、温かい茶を淹れよう。ちょっとウトウトするのも良いかもしれない。

無職となって、これからどう考えを持つべきか悩みはする。それでも淡々と同じことを繰り返している日々でも、私は洗濯物を干すという行動には飽きないことを最近自覚した。
最初は嫌だったけれど。溜まって行く洗濯物を単に見つめているだけでは、何も変わらない。一日のサイクルを動かすために、行動する。ただ、それだけ。だが時々は、この洗濯物を干すという行動を自分で始めたとき、障子の向こう側で揺れる影を見つめて、それが自分でやったものなのか妻がやったものなのかを見分けることが難しいなと、ふと感じるときはある。
昔、出張から帰ったとき、次の日に干す洗濯物は私の洋服が必然と多くなった。
あの頃に妻は言った。
「たまには休んでくださいね。そうしたら洗濯物が減るんだから」
一年前に先立たれた妻の遺言は、私が一人でも生活できるかを心配していたが、今や無用だ。
障子を通して揺れる影を見つめる。
目をゆっくり閉じると、妻との暮らしを思い出す。良き妻であり、同時に良き手本なのだ。


了。


宝城亘.


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