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新です。これがベトナム語専攻在校生として最後の投稿になるようです。
卒業式からもすでに数日が経過しました。西尾章治郎総長の素晴らしい式辞を聞くと、卒業生らしい良い話をする自信も無くなってきますね(笑)。阪大のホームページから全文が見られるみたいなので、気になる方はどうぞ。

私の最後の記事は、旅行に行った話をしようと思います。
三月某日に北海道の宗谷岬へ行ってきました。北緯45度31分、日本国民が制限なく到達できる国内最北端の場所です。

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特に大学に入ってから私は日本国内をいろいろ旅行してきたのですが、この宗谷岬という場所は国内旅行における一つの終着点だと感じました。最寄り駅の稚内では「日本最北端の駅でございます」とアナウンスが掛かり、「最北」とか「到達」とかいう仰々しい案内を至る所で見かけます。「日本最北端の公衆トイレ」も観光地化されていました。

かねてからずっと行きたかった憧れの場所でもあったので、かく言う私も「最北端」に到達した瞬間は感動しました。稚内駅からそれ以上伸びていない線路や(昔はまだ先があったそうですが)、Google Mapの現在位置=この海の先は樺太という表示が、ここが「日本の終わり」だと実感させてくれます。「これ以上行けない場所まで来てしまった」という達成感と、「これ以上は行けないのか」という寂寥感に同時に苛まれる貴重な体験ができました。

でも一方で、「最果て」っぽくない光景もありました。宗谷本線に六時間ぐらい乗ってやっと着いた稚内駅ですが、映画館や図書館が併設されていて、駅構内は地元住民の憩いの場になっていました。通勤・通学の拠点としても繁盛しているようで、どうやら私の地元駅とあまり変わらない使われ方をしているようです。周囲に何もない田舎駅を想像していたので、前情報を仕入れていない私にとってはそこそこ驚きでした。
さらに言えば、宗谷岬に行くために宗谷バスという路線バスを使うのですが、「宗谷岬」が終着ターミナルになっている訳ではありません。地元の人間は「最北端」には目もくれず、そのバス停を通過してどこか別の場所に向かうのです。

私が特別だと感じていた場所は、他の人にとっても同じ、ではありませんでした。宗谷岬に着いた嬉しさのあまり一枚購入した「最北端到着証明書」を、売店のおばちゃんは何千枚も保有しているのです。ゲームでよくあるラストダンジョンはもっと秘境感溢れているのに、日本における最果ては普通に人が生活している街だったのです。

考えてみれば当たり前のことでした。稚内市は人口三万人を擁する立派な自治体だし、幼稚園から大学まであるのだから生活基盤だって整っています。ただ、ちょっと寒くて遠いだけ。大阪府箕面市との違いなんてそれぐらいでしょう。

人の世においても同じ事が言えるかもしれません。どれだけ苦労して自らの夢に到達したとしても、世界にはその夢を当たり前のように実現し続けている人たちが大量にいる。だからと言って憧れから稚内に移住したとしても、またすぐに大阪のことが恋しくなるに違いありません。叶えたい夢が実は理想とはかけ離れた代物だったり、逆に何気ない日常が実は誰かにとっては羨むべき物であったり、人生は分からないものだねっていう話です。

こんな感じの教訓めいた文章をあと千文字ぐらい用意していたのですが、恥ずかしくなってきたので消しました。この辺で終わりにします。


最後に、北海道で食べた「せきぐち」というお店の新得そばが半端なくおいしかったので紹介します。このご時世に旅行を推奨するのも考え物ですが、近くまで行く機会があればぜひ行ってみてください。近くにポケモンのイラストが描かれたマンホール(通称ポケふた)もありました。

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以上、我々四年生の最後の記事でした。
半年程度の付き合いでしたが、広報を担当出来て光栄でした。
さらば。またどこかで会いましょう!

2021.3.31


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